滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 第6話 太った火曜日③
彼はアルコールが入ってもなかなか心を割らない。
立場から生きる人生というのは、なかなか難儀なものだ。
数年前のこと、ある神父さんと、飲みに行ったことがある。この神父さんは大学の同級生で、大学時代に信仰心に目覚めて、信仰の道をまっすぐ突き進んでいった人だ。
少々アルコールでも入ったらいろんなことが聞けるかもしれないと思ったけれど、同級生はなかなか心を割ることはなく、会話はいつまでたっても表層をすべったままだった。まるで心の扉に鍵をかけ、だれも入ってこないようにしているみたいだった。人を導く側の自分が人に弱みを見せてはならないと自制していたのかもしれない。
でも、時々、ことばの隙間から、ふっと思いが流れ出てくることがあった。同級生は、「家族がいないから、さ」とか「家族はいないけど、さ」とか、何度か言った。その後にどんなことばを続けたかったかわからなかったけれど、なんだか家族のいないことを残念がっているみたいだった。たとえ妻子がいなくても、周りには同じように聖職についた人がたくさんいて、みんな仲良くて家族みたいなんじゃないだろうかと勝手に思っていたのだけれど、どうやらそうでもなさそうな気配だった。
神父に向かってすべき質問ではないけれど、話の流れでぶしつけにも、本当に神はいると思うのか尋ねると、同級生は、無遠慮な質問に苛立(いらだ)つこともなく、「こういう立場にいるからさ」と答えにならない答えを言った。
普通なら、もっと心を割って、もっとなまの話ができるのに、ひょっとしたら、同級生が心の中の思いを正直に語れるのは、神様だけなのかもしれないし、あるいは、ひょっとしたら、神様にさえ心の中を打ち明けられないのかもしれない。いつまでたっても、同級生は、「立場」から話をし続けるのだった。MUSTとSHOULDの数珠つなぎの人生を、同級生は歩んでいるみたいだった。
立場から生きる人生というのは、往々にして、なかなか難儀なものだ。元牧師の、信仰を中心に世界が回っているような、たいそう信心深い人を知っているが、彼は、牧師として父として夫として、さぞかし心の満たされる日々を送っていただろうと思いきや、実際は、心の中はカサカサしていたらしく、年上の弁護士の女性と浮気をしていたのがばれるや、教区に辞表を出し、妻と4人の子供を捨てるということをしでかした。「パーフォーマンスをやっているみたいだった」と彼は言った。プロテスタントからグリーク・オーソドックス(ギリシャ正教会)に鞍替(くらが)えし、司祭を慕う側になって、お手本を示さなくてもよくなった。今は、英語を外国人に教えて、気楽に生活している。
ひょっとしたら、同級生も、立場に縛られて、神父としてあるべき道を歩くパーフォーマンスをしているみたいな気持ちでいるのかもしれない。
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