滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 第6話 太った火曜日②

滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 第6話 太った火曜日②

7つのとき、神様と決別してから、
わたしはいつしか魔法も奇跡も信じない大人になった。
けれど、周りにはいつも「信じる人」がいた。

 唯一、歩いて行ける近所にあった親戚の家には、飛び石や蹲踞(つくばい)や石灯籠(いしどうろう)のある、苔(こけ)むしてひっそりした和風の庭と、ヒャクニチソウやヒマワリやホウセンカの咲く、明るくワサワサとした庭があって、和風の庭は和室の縁側から、花壇のある庭は和室の裏にある廊下から、出るようになっていた。花壇の庭に出る手前にお手洗いと廊下と塀に3面を囲まれた薄暗い空間があり、その隅にいとこが「バナナの木」と呼んでいた高い木があった。そして、その木の下には井戸があって、のぞくと、ひんやりした空気が流れ、青い空が映り、白い雲が流れているのが見えた。井戸の中にある空は、頭の上にある空よりもずっとずっと遠かった。

 そのいとこの家には、キリストの絵本があって、ストーリーはまったく覚えていないのだけれど、遊びに行くと、よく読んだ。正確に言うと、読んだというよりも、「眺めた」のであって、眺めたのは、聖母マリアの絵でもイエズスの絵でもなく、悪魔の絵だった。その絵本に描かれた悪魔は、緑色で、長い舌とシッポがぴょろりと伸びて、かなりリアルだった。いとこのおばあちゃん──血はつながってはいなかったが、近所だったから一番親しかった──によると、「キュウリのお漬物ばっかし食べてたら、こんなになるのよ」ということだった。

 キュウリの漬物ばかり食べると緑色の悪魔になるという話は、子供心にかなりのインパクトがあって、おばあちゃんにその理由を何度も訊(き)いたのだけれど、何度訊いても答えは同じ、「そうなるからそうなる、だからそうなの」ということだった。おばあちゃんはページを繰って、真っ白な羽衣をまとった天使の絵を指さし、「好き嫌いなく何でも食べると、こうなるのよ」とも言った。

 ミッション系の幼稚園と高校と大学に行ったものだから、周りにはいつも信者がいて、そして、いつも神様の話が、頭の上を流れていた。5つのパンと2匹の魚を5000人で分けても食べきれなかったとかいったキリストの数々の奇跡の話を、「アラジンと魔法のランプ」の話を聞くみたいにして聞き、主の祈りも天使祝詞も、何を言っているのかはさっぱりわからなかったけれど、みんなといっしょに唱え続けているうちに歯磨きと同じように身に付き、やがて、まっさらの新品だった心にキリスト様が侵入して、すっかり洗脳されていった。あのころは、神様を心の底から堅く堅く信じていた。

 それが小学校に上がったばかりのとき、神様に直談判(じかだんぱん)した頼みごとが聞き届けられなくて──いやはや、何のことはない、それは、父にねだって買わせたバンビのぬいぐるみを生きた子鹿にしてくださいということだったのだが──1年の長きにわたって、真摯に懇願し、時には神を脅迫し、時にはなだめ、時には威嚇して祈り続けたのに、神様はガンとしてかなえてくれず、朝起きて、今日こそは、とまず祭壇に目をやると、ぬいぐるみは無慈悲にもぬいぐるみのままであり続け、そして毎朝毎朝、深く深く失望し続け、この期待と失望の日課サイクルを1年間ほど繰り返したあげく、失望するのに疲れて、とうとう神様に直談判するのをやめた。神様はどうやら何もしてくれないらしい、これからは自力で生きていくしかない、と子供心に悟ったのだった。心の中で神様に裏切られた思いもしたし、かなり恨んでもいた。

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桐江キミコ(きりえ・きみこ)

米国ニューヨーク在住。上智大学卒業後、イエール大学・コロンビア大学の各大学院で学ぶ。著書に、小説集『お月さん』(小学館文庫)、エッセイ集『おしりのまつげ』(リトルモア)などがある。現在は、百年前に北米に移民した親戚と出会ったことから、日系人の本を執筆中。

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