ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第2回
連載2回目ということで、今回は景気よく「打ち切り」の話をしたいと思う。
私も9年漫画家をやっているので、連載が終了している作品も多々あるのだが、その全てが打ち切りで終わっている、パーフェクトゲームだ。
しかし、自分で引退を決められる野球選手が一握りなように、連載を作者の思惑通りに終わらせられる漫画というのもおそらく一握りなのである。
作者はまだ描きたくても、人気がないため出版社の判断で終了させられたりするものもあれば、逆に作者はもう「やりきった感」を感じているのに、本を出せば売れるため出版社の意向で終わるに終われないタイプもある。
しかし、作者が「完走した」と思っているものに「もう10km行っときましょう」と言うと、サッカー漫画なのに宇宙に進出してしまったり、後々「あの漫画は宇宙に行く前に終わるべきだった」という伝説として語り継がれる羽目になってしまう。
このように最初から「ここまでで終わる」と決まっているものは別として「人気次第」な作品が、作者と出版社の思惑が完全一致して終わるケースはレアなのではないかと思う。
だがこれは「最高の形で作者と出版社の思惑が一致するケース」がレアなだけであり「消極的な意味で合致する」ケースは割とあると思う。
作家にとって「打ち切り」が全くの青天の霹靂かというと、「薄々感づいている」場合が多いのではないだろうか。
もちろん、連載が始まった次の号で雑誌廃刊という場合はさすがに寝耳にぺぺローションだし、むしろ何故始めさせた、という話だ。
だが「単行本が発売してからの打ち切り」というのは作者も何となくわかるものである。
「雑誌アンケート至上主義」を謳っているところもあるが、出版社の利益というものは、主に単行本の売り上げで出るものなので、大体単行本の売り上げ次第で、連載が続くか続かないかが決まるのである。
よって1巻が出て売れれば「重版」という追加で本が刷られるのだが、それが1回も起こらず2巻が発売され、それが1巻より部数が大幅に下がっていたら「医者ははっきり言わないが大体余命がわかる」状態なのだ。