知念実希人『十字架のカルテ』
心の闇を覗く医師たち
医学はとても広範な学問だ。先人たちの長年の積み重ねによって培われた、膨大な知識の集合体であるそれは、もはや一人の人間が全てを身につけるのはとても不可能なものとなっている。なので医師は各々が専門を持ち、その分野の知識を深くつきつめたうえで、専門外の分野については、それに精通した他の医師の指導を仰ぐという分業によって医療は成り立っている。
私はこれまで、内科、外科、心臓外科、美容外科等々、さまざまな診療科をテーマにして医療ミステリーを中心に小説を執筆してきた。そしてこのたび刊行される『十字架のカルテ』では精神科に焦点を当てている。
体ではなく心を診る精神科は、医療の中でも異彩を放っている診療科だ。他の科が扱う疾患は、検査データや画像診断によって客観的に診断が下されることが多い。それに対し精神科医は、主に面接により診断へと近づいていく。
近年は研究が進み、精神疾患の多くが脳内のホルモンや神経伝達物質に問題が生じていることが原因であることが明らかになっている。しかし、それを検査で明らかにする方法はいまだ完全には確立されておらず、精神科医たちは昔ながらの面接により、闇の中を手探りで進むように患者の心を冒す疾患の正体を少しずつ明らかにしていっているのだ。
さて、『十字架のカルテ』ではたんに精神科を取り上げただけでなく、精神鑑定をテーマにしている。被疑者が犯行時、精神疾患に冒されていたか否かを判定する精神鑑定。これが行なわれるのは、刑法三十九条に心神喪失者は罰することができないという規定があるためだ。
『十字架のカルテ』は、主人公である影山司が被疑者たちの心の闇をあばいていき、事件の裏にある意外な真実を突き止めていく重厚なミステリー小説である。精神鑑定医と被疑者の息の詰まるような頭脳戦を楽しんで頂ければ作者としてとても嬉しい。そのうえで、なぜ、犯行時に精神疾患により心神喪失状態であったなら、被疑者を罰することができないのか、果たしてそれは正しいことなのか、多くの人々がこれまで疑問に思っていたであろう、そのことがらについて読者の方々に考えて頂くきっかけになればとも思っている。