「推してけ! 推してけ!」第15回 ◆『かすがい食堂 あしたの色』(伽古屋圭市・著)
評者=内田 剛
(ブックジャーナリスト)
共に食べれば心も未来も色づく!
駄菓子屋は誰でも安らげる心の故郷だ。そして親子二代三代にわたって親しまれてきた懐かしき日本の原風景でもある。通い慣れた学校の近くにあって安心なイメージ。ちょっと古びた店先であっても、店主が見つめるのは街の変化と子どもたちの成長。おまけを楽しんだりゲームをしたり遊びの場所であると同時に、仲間たちとの憩いの場所であり年齢を超えた新たな出会いもある。さらには小銭の計算など金銭感覚も養われた学びの場としても貴重であった。学校でも家庭でも公園でもない。地域コミュニティの拠点としての駄菓子屋はこの世になくてはならない存在なのである。
「かすがい食堂」の舞台は東京の下町。古き良き人情が残る街の人たちから愛されている駄菓子屋だ。主人公の春日井楓子は大学を卒業して憧れの映画業界に飛び込んだが、心身ともに疲れ果てドロップアウト。やむなく祖母が営むこの駄菓子屋「かすがい」の後を継ぐことになった。自らのストレスを癒しながら店にやってくる子どもたちと触れ合い、浮き彫りにされるのは摂食障害やネグレクトに貧困問題。読み進めていくうちにごく自然にこの国の病理が見えてくる設定が実に興味深い。課題が見つかれば次は問題解決だ。悩める子どもたちを救いたいと楓子が店の奥で始めた試みが「子ども食堂」であった。孤独な家庭に育った子どもたちがありつけた温かな食事、笑顔も眩しい賑やかな食卓。行き場を失った子どもたちにとって居場所があることがいかに大切か。そして生きることは食べることであるという真理を実感させてくれる物語。ここまでが前作『かすがい食堂』のあらすじとなる。
シリーズ続編である本作はさらに抱える問題が深まり、果敢に「攻めた」作品に仕上がっている。駄菓子屋の「おばちゃん」ぶりが板についてきた26歳の楓子の奮闘に注目だ。タイトルに「あしたの色」とあるよう「色」にこだわっており、世の中に溢れた様々な色、多様性がメインテーマだ。いまや国籍や人種を超えた交流は当たり前の日常となっており、当然のように「かすがい食堂」も異文化交流の場所となるのだ。そして思わぬ「国際問題」にまで発展してしまう。髪の毛の色、肌の違い、通じない言葉、見慣れない仕草。先入観で人を判断してはいないだろうか。無意識のうちに感情を遠ざけてはいないだろうか。普通という意味や常識という感覚が根本から揺らぎ、人種差別と根深い偏見が巻き起こすトラブル。こうした予期せぬ事例は様々なコミュニティでも実際に起きていることだろう。価値観の異なる者たちが心の底から理解しあうことは本当に難しい。しかしお国柄を伝えやすい家庭料理をきっかけとすれば近道だ。一緒に食材を買い出しに行き調理をし同じ皿から分けあって食べる。それぞれのルーツや故郷の話も貴重なスパイス。大きな壁と深い溝に直面し、乗り越えていく術を知った楓子たちの経験は多くの読者にとっても参考になるはずだ。
レイシズムというシリアスなテーマに挑みながらもユーモアも感じさせる。社会問題に立ち向かう著者の真摯な眼差しは決して揺らぐことはなく、発せられるメッセージはどこまでも強くて確かだ。前作からのパワーアップぶりがとにかく凄まじく驚かされた。美味しい料理の描写はもちろんのこと、物語として圧倒的に読みやすい点も大きな特徴である。本来親しまれるべき店に「忌まわしきガイジンはこの町から出て行け」という卑劣な中傷ビラが貼られた事件を追う場面ではミステリ作家としての本領発揮。スリリングでページをめくる指ももどかしくなるほどグイグイと引きつけられた。存分にストーリーを楽しませつつも、ここには決して目を背けてはならない現実がある。
まずは問題を知ることからすべてが始まる。誰もが心豊かに過ごすことのできる未来のための必読書。どんな教科書よりも説得力があり心地よい人間味にも溢れているこの一冊は人生の大事なことを教えてくれる。まさにかけがえのない駄菓子屋のようだ。子どもたちだけでなく楓子の清々しい成長ぶりも読みどころ。ぜひ前作と併せて読んでほしい。
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『かすがい食堂 あしたの色』
著/伽古屋圭市
内田 剛(うちだ・たけし)
約30年の書店員勤務を経て2020年よりフリーに。文芸書ジャンルを中心に各種媒体でのレビューや学校図書館などで講演やPOPワークショップを実施。NPO本屋大賞実行委員会理事で設立メンバーのひとり。著書に『POP王の本!』(新風舎)。
〈「STORY BOX」2022年1月号掲載〉