作家を作った言葉〔第7回〕小佐野 彈
歌人としてデビューし、その後小説も書くようになったきっかけ──つまり僕の文筆家としての原点が、俵万智さんの第三歌集『チョコレート革命』であることは、これまでにさまざまな媒体で話しまくってきたし、書きまくってきた。でも、どれだけ言葉を尽くしても語り切れないほど、この一冊の本が僕の人生に及ぼした影響は大きい。
俵万智さんの第三歌集『チョコレート革命』が発売されたのは、一九九七年の五月。中学校からの帰り道、なにげなく立ち寄った田町駅前の書店のレジ横に、板チョコ柄のカバーが印象的な本がびっしりと平積みされていた光景を、鮮明に覚えている。僕が十四才の誕生日を迎える、一週間ほど前のことだった。なんの本だろう、と興味を抱き、手に取って適当にページを繰ってみた。すると、一首の歌が目に飛び込んできた。
知られてはならぬ恋愛なれどまた少し知られてみたい恋愛
大げさではなく、僕はマジで戦慄を覚えた。「これ、まさにいまの俺じゃん!」と心のなかで叫んだ。そしてこれが、僕が〈短歌〉という文芸と出会った決定的瞬間だった。まっすぐな口語でつづられた三十一音の定型詩の自由さも、一瞬で僕の心を鷲摑みにした。
当時僕は、美術部の同性の先輩への恋心を自覚していた。自分の性愛の対象が同性であることにも、気づき始めていた。でも、そんな自分をどうしても認めることができなかったし、家族や友達には絶対に言えなかった。胸のうちで、なんとも名状しがたい甘辛い感情が、水風船のように膨らみ、いまにも破裂しそうになっていた時分だった。『チョコレート革命』は不倫という恋をうたった歌集だけれど、「知られてはいけない恋だが、ほんとうはちょっと知られたい恋」なのは、僕の同性への恋だって同じだ、と思った。その夜から僕は、国語のノートに見様見真似で、三十一音の定型詩をつづるようになった。
小佐野 彈(おさの・だん)
1983年東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。台湾台北市在住。2017年「無垢な日本で」で短歌研究新人賞受賞。19年、第一歌集『メタリック』で現代歌人協会賞、「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」を受賞した。他、小説作品に『車軸』『僕は失くした恋しか歌えない』など。
〈「STORY BOX」2022年7月号掲載〉