「推してけ! 推してけ!」第22回 ◆『さんず』(降田 天・著)
評者=石井光太
(ノンフィクション作家)
自死が織りなす残酷で滑稽な人間劇場
もしあなたが自ら命を絶つとするならば、いかなる理由によるものだろうか。
耐え難い苦痛から逃れたいから? わが身に起きた不条理を世に知らしめたいから? 誰かに復讐を果たしたいから?
人間は命を授かった時から生きることへの本能を身につけている。だが、現実世界に数多ある障壁にぶつかった時、人はその本能を粉々に打ち砕かれ、自死へと追いつめられることがある。その過程に光を当てることは、社会のゆがみと極限の人間の姿を浮き彫りにすることになる。
本書の著者・降田天は、二人の女性の合同ペンネームだ。一人はプロットを担当、もう一人は執筆を担当している。役割が明確に分かれていることもあり、複雑なトリックを鋭く描くことには定評がある。
今回の作品で、降田天は、「さんず」という架空の自殺幇助業者を生み出した。業者の職員が、自死を考えながらも踏み出せないクライアントのもとへ赴き、その後押しをするという設定だ。
あまりに特殊な設定は物語を非現実化させることがあるが、五つのエピソードがどれも重厚な社会問題をテーマにしているため、リアリティーの強度がしっかりと保たれている。さらにともすれば感傷的になって冗長な作品になりやすい話を、この設定によって端的に、かつエンターテインメント性の高い作品にすることに成功している。
五つのエピソードは、どれも対立軸がある。コンビニの店長からのパワハラを苦に自殺をした女性と、その死によって自らも自殺に追いつめられる店長の交錯する思い。身寄りのない女性秘書が自らの命をかけて守ろうとする代議士と、その気持ちを踏みにじり出世を狙う代議士。闇金業者から借りた金を自らの生命保険によって返済しようとする男と、彼を自死へと追い込んでいく血も涙もない闇金業者……。
一つひとつのエピソードは、主人公と対立軸にある登場人物だけでなく、その家族や同僚など周りにいる人たちの目線からも描かれる。それによって、自死という一つの出来事に、二重、三重の意味が与えられていく。
興味深いのは、著者が「死」をテーマにしながら、社会の生態系をも描き切っている点だ。各エピソードの主人公にかかわる人々に光を当てることで、自死の後もつづく人々の人生や社会のあり方を描いているのである。
身近な人の死によって、新たな人生を手に入れられる人がいる。
命を絶つことによって、自らの人生に意義を持たせられる人がいる。
死を望むことによって、逆に生きる理由を見つけようとする人がいる。
ミツバチの世界を思い浮かべてほしい。巣の中で生まれる数匹の女王バチ候補の幼虫は自らの死によって一匹の女王バチの命を誕生させる。働きバチは女王バチの命を支えるために過労死する。あるいは、やってきた外敵を退治するために自分の命を犠牲にする。そう、すべての死は何かしらの生につながっているのだ。
これは人間社会も同じなのかもしれない。個だけを見れば、死は一つの終幕だ。だが、視野を広げれば、個の死は別の人の人生につながっていく。
かつて、自殺の名所として知られる富士の樹海を取材したことがある。樹海に詳しい人に案内してもらったところ、こんなことを教えられた。
「ここには大勢の人が自死を望んでやってきます。同時に、彼らが残した遺品を見て命の尊さを考えて自殺を思いとどまる人や、パトロールや遺体探しをすることを生きがいにしている人なんかもいるんです。死からいろんなものがつながり、生まれていくんです」
近しい人にとって、死は終わりであり、悲しみだ。だが、本書が描くのはそうした悲劇ではなく、自死を通して見える、人間全体の生の営み、もっと言えば、滑稽でありながら愛おしい人間の姿なのである。
もしかしたら、降田天は人間の存在そのものをミステリだと考えているのかもしれない。
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『さんず』
著/降田 天
石井光太(いしい・こうた)
1977年東京生まれ。2005年『物乞う仏陀』でデビュー。他に『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『赤ちゃんをわが子として育てる方を求む』など著書多数。近著に『ルポ 誰が国語力を殺すのか』がある。
〈「STORY BOX」2022年8月号掲載〉