思い出の味 ◈ 伊吹亜門
晴明神社が近い堀川今出川の角に、是空というラーメン屋があった。
通っていた大学の近所で、しかも当時私が下宿していたアパートの数軒隣だったこともあり、学生時代には足繁く通った店だ。鶏ガラと豚骨の濃厚なスープが特徴で、ご飯がおかわり無料かつおかずの唐揚もボリュームがあり、学生にとっては嬉しい店だった。
私は大学でミステリ研究会というサークルに所属していたのだが、是空に行くのはそのメンバーと一緒のことが多かった。毎週土曜日にある例会後には「晩飯どうしよう」「是空でいいんじゃない?」というのがいつもの流れだった。
講義の空き時間ができるとミス研の部室に顔を出し、そこで同じように時間をつぶしていた先輩や後輩たちと最近読んだ本の感想などを話し合う。いつの間にかミステリ談義に花が咲き、そうこうしているうちに夕飯時になって、皆で是空へ赴きラーメンをすする。それでも話が尽きない時は、近くの酒屋でお酒を買い込んで、夜が更けるまで誰かの下宿でああだこうだと論じ合う──そんな毎日だった。
明治五年の京都で起きた或る毒死事件をめぐる私のデビュー作「監獄舎の殺人」には、是空という蕎麦屋が出てくる。完全なおあそびだ。蛇足でしかないことはもちろん分かっていたが、そもそもこの短篇はミス研の卒業記念に書いたものだったので、思い出のひとつとして登場させておきたかったのである。
そんな是空も、二〇一九年の一月末に閉店してしまった。ミス研の皆も多くは京都を離れ、今はそれぞれの場所でそれぞれの人生を戦っている。
一昨年には私も右京の方に引っ越したが、今でも調べ物で大学図書館を使うため今出川を訪れる機会は多い。
堀川今出川のバス停で降りると、かつて是空の入っていた店舗は道路を挟んだ向かい側に見ることができる。通り過ぎるたびにあの味が、そしてあの頃が懐かしくなる景色だ。