石井妙子著『原節子の真実』に見る「時代の正しさ」を鈴木洋史が解説!

存在感に溢れた名女優についてまわった「謎」の数々。国民的女優が背負った葛藤やその素顔について、詳細に描かれた評伝を、ノンフィクションライターの鈴木洋史が解説します!

【書闘倶楽部 「時代の肖像」】

評者/鈴木洋史(ノンフィクションライター)

「時代の正しさ」を背負わされた「永遠の処女」の生涯

『原節子の真実』

原節子の真実

石井妙子著

新潮社

本体1600円+税

石井妙子(いしい・たえこ)

1969年神奈川県生まれ。白百合女子大学大学院修士課程修了。著書に『おそめ 伝説の銀座マダム』(新潮文庫)、『日本の血脈』(文春文庫)、『満映とわたし』(文藝春秋。岸富美子との共著)など。

彼女にはつねに「謎」がついてまわった。なぜ生涯独身を貫いたのか。なぜひっそりと引退し、なぜその後半世紀もの間、隠遁生活を送ったのか。

昭和37年の出演作品を最後に映画界との接触を断ち、マスコミの取材にも応じなかった原節子が、昨年9月に95年の生涯を閉じた。本書はその「伝説の女優」の評伝だが、これまでの主要な評伝が小津安二郎作品を通した女優論として書かれてきたのに対し、本書は異なる貌を描く。

昭和10年、14歳で映画界入りした原は、2年後、ドイツ人監督による日独合作の『新しき土』に主演する。日独が協力すれば明るい未来が開けると暗示する国策映画だ。原は招待されてドイツ各地を舞台挨拶して回り、宣伝大臣ゲッベルスらナチス高官と会食する。昭和14年には、姉の夫で映画監督の熊谷久虎が撮る戦争映画に出演し、「戦争にはどんなことをしても勝たなければいけない」と考える「軍国の優等生」となる。以後、戦意高揚映画への出演が増え、「清く、正しく、美しい日本女性」を体現し続けた。一方、敗戦後に主演したのは、GHQの奨励する民主主義啓蒙映画『わが青春に悔なし』(監督黒澤明)や民主主義映画の頂点と言われる『青い山脈』(今井正監督)だった。原は〈常にその時代の正しさを演じる使命を背負わされた〉のである。

本書が焦点を当てるもうひとつのテーマは恋愛や男性との関係であり、原が二十歳の頃、無名の若き助監督と交際していたことについて近しい関係者の証言を得る。それは「結婚を意識した熱烈な恋」だったが、義兄熊谷久虎が激怒し、助監督は会社を追放され、2人は別れさせられてしまう。原は〈こんなに苦しいのなら、もう二度と恋はしない〉と語ったという。

本書が繰り返し言及するのは、熊谷と原の関係が周囲に「疑惑」を持たれていた事実だ。原の熊谷への傾倒は尋常ではなく、戦前、国粋主義にのめり込んで政治活動を行った熊谷に影響され、一時期その活動を補佐し、ユダヤ人謀略説まで唱えていたほどだ。疎開する姉や甥と別居し、2人で住んでいた時期もあった。そうした関係を見て、男女の仲を疑う関係者は多く、本書は生々しい証言も引いている。男女の関係や性に関して潔癖症だったのではと想像させる原が、姉の夫と関係があったとは信じられないのだが……。

著者は膨大な資料を読み込み、これまでの評伝がアプローチできなかった関係者への取材にも成功している。そうして、寡黙で、人見知りで、内向的で、孤独な雰囲気を漂わせていた少女時代に始まり、本を読むなどして多くの時間を家の中で過ごした後半生までを描く。そのなかで、関東大震災のときに母親が頭から熱湯をかぶって大火傷をしてしまい、それが原因で精神を病んでしまったことを明かし、原が〈終生、自分を語ることを好まなかった〉ことには〈こうした事情も作用していたと考えられる〉と推測する。

原の生前、著者は何度か取材を申し込むが、実現しなかった。それゆえ、「謎」について決定的な答えを導き出せてはない。むしろ本書を読むことで「謎」は深まり、「なぜ?」という問いは強まる。だが、そのことは、本書が「伝説の女優」の輪郭をこれまでになくくっきりと描くことに成功し、限りなく真実に近づいたことの証拠でもある。

(SAPIO 2016年6月号より)

 

 

 

初出:P+D MAGAZINE(2016/05/21)

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