未来派は危険なアバンギャルド!その魅力を歴史とともに解説

「アバンギャルド芸術」と聞いて、なにか危険な魅力を感じるあなたは、「未来派」を好きになるかもしれません。20世紀の芸術に未来派が巻き起こした熱狂について徹底解説いたします!

皆さんは、「アバンギャルド(=前衛)芸術」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。

常人の理解を拒むような、難解なアングラ芸術?

それとも、テクノロジーを駆使した斬新なアート?

はたまた、過激で挑発的な「思想」を搭載した芸術運動?

20世紀初頭のイタリアに生まれた「未来派(英:futurism, 伊:futurismo)」は、そのすべての要素を、史上稀に見る純度で兼ね備えた芸術運動でした。

そのアバンギャルド性たるや、「芸術は爆発だ」でおなじみの故・岡本太郎氏にも通底するような、すさまじいエネルギーを秘めているのです!

そこで今回は、スピード感とダイナミズムに満ちた未来派の芸術運動について、提唱者であるフィリッポ・トンマーゾ・マリネッティの有名な宣言に立ち返りつつ、日本への影響も合わせて解説します。

 

爆音、狂騒、機械文明:「未来派宣言」の衝撃

未来派と呼ばれる芸術運動をアバンギャルドたらしめているものは一体なんなのでしょうか?具体的な作品事例を振り返る前にまず、その基本理念について知っておく必要があります。

なぜならば、そもそも「未来派」というネーミング自体が、個々のアーティストの活動が社会や画壇の中でひとつの潮流として認識されたことによって後付け的に名付けられたものではなく、たったひとつの「宣言」によって世間に初めて周知され、その宣言に共鳴したアーティストたちの手によって事後的に(しかし瞬間的に)広められたものだったからです。

その「宣言」とは、1909年2月20日、詩人であったマリネッティが、イタリアの全国紙である『ル・フィガロ』紙の第一面にデカデカと掲載した「未来派宣言(Manifesto du Futurismo)」のことです。

 

(一部邦訳)

我々は労働、快楽、反逆に衝き動かされる大いなる群衆を謳おう。現代の首都にわき起こる多彩、多声の革命の潮を謳おう。荒々しい電気の月光のもとに浮かび上がる兵器庫や造船所の震える夜の情熱を、煙を吐く蛇をむさぼり喰う貪欲な鉄道の駅を、煙の紐で雲から宙吊りにされた工場を、陽を受けて恐ろしい刃物のようにきらめく河を巨大な体操家のように跨いだ橋を、水平線を嗅ぎ回る冒険好きの汽船を、長いチューブの手綱をつけられた巨大な鋼鉄の馬のような、線路を蹴る胸の厚い機関車を、旗のようにばたばたと音を立て、熱狂した群衆のように喝采するプロペラを持つ飛行機の滑らかな飛行を、謳おう。

 

1909年当時、マリネッティがこの宣言で表明したのは、旧態依然とした美術界に対して浴びせられる「都市」「群衆」「機械文明」からの強烈なカウンターパンチとしての芸術という、極めて挑発的な態度でした。この宣言は、「ヨーロッパ芸術の中心地といえばパリ」という20世紀初頭の美術界において、古いルネサンスの記憶に沈んでいたイタリアの「後発意識」を刺激し、熱狂的な支持者を生み出すことになります。

現代にも、「スチームパンク」と呼ばれるような荒廃した未来世界を描く世界観や、「インダストリアルアート」と呼ばれるメカニカルな芸術が存在していますが、マリネッティの宣言には、それら現代的感性のひな型とも言える世界観が打ち出されていると言えますね。

 

F1レースの原型?未来派のスピード狂時代

古代ローマから続く伝統を保持しながらも、ミラノなどの都市から最先端ファッションを世界に届け続けているイタリア。その国民性は、フェラーリなどのスポーツカーを生み出し、F1レースに熱狂する、「スピード狂」な一面も持ち合わせています。

未来派を代表するアーティストの例として、ウンベルト・ボッチョーニがいますが、彼の作品を特徴付ける荒々しいスピードとダイナミズムの美学は、20世紀冒頭にしてそんなF1レースの熱狂を先取りしていたと言えるかもしれません。

1909年までフランス印象派の焼き増し的な作風に終始していたボッチョーニでしたが、未来派の運動に合流してからというもの、当時の描画法から大きく逸脱するような 、大胆な作風で世に傑作を送り出したのでした。

 

Boccioni States of Mind I: The Farewells

Becky Riveraさん(@pleur_a)が投稿した写真 –

ボッチョーニら、未来派の画家たちが自らの旗印としたのは、都市交通や群衆の暴動など、20世紀のヨーロッパに新たに出現したスピードとダイナミズムの表現でした。

そして、このような都市的性格により、未来派の芸術は美術界をはみ出るような狂騒を巻き起こすのです。

 

「ヨーロッパのカフェイン」:未来派が巻き起こしたお祭り騒ぎ

未来派の巻き起こしたムーブメントは、絵画の世界にとどまるものではありませんでした。『未来派劇作家宣言』(1911)、『未来派文学技法宣言』(1912)など、多岐の分野にわたる「宣言」に結実し、これら宣言の乱立は自ずと世間の耳目を集めることになりました。ルイジ・ルッソロの「騒音音楽」などでも知られる未来派音楽は、現代のノイズ・ミュージックの原型を生み出したとも言われています。さらにマリネッティは、「未来派の料理本」(!)まで出版するのです。

お上品な官製芸術への反発心から、都市の大衆を扇動するようなセンセーショナルな芸術を志向した未来派にとって、新聞や雑誌というマス・コミュニケーションのための媒体を利用したこれらの宣言自体が、ひとつの「メディア・アート」であったと言うべきでしょう。

さらに、マリネッティの支持者たちが生んだムーブメントがどれだけ熱狂的なものだったのかを示しているのが、「未来派の夕べ」と呼ばれる集会。

スパゲッティさえ混じった野菜の雨の中を、幕は上がった。マリネッティが演説を始めると、カンジュッロが書いているように、「じゃがいも、オレンジ、ウイキョウの雨で、あたりは地獄と化した。[中略]すると一個のじゃがいもが彼[編注:マリネッティ]の目にまともに当たったので、カッラが大声で、「じゃがいもの代わりに、アイデアを投げろ、馬鹿ども目」と叫んだ。劇場は一瞬静まりかえったが、マリネッティがパラッツェスキの『時計』を朗読して、「自分の寺に咲いた赤い花とともに死ぬのは、なんと美しいことか」という行に達した時、聴衆の一人が彼にピストルを差し出し、「いいぞ、自殺しろ!」と言った。するとマリネッティはこれに、「私に鉛の玉が似合うとすれば、おまえには犬の糞がお似合いだ」と応酬した。

キャロライン・ティズダル、アンジェロ・ボッツォーラ著『未来派』松田嘉子訳より

 

「芸術家の集い」と呼ぶには危険すぎるこの乱痴気騒ぎの様子からもわかる通り、未来派芸術はメディアを利用した世間への挑発だけでなく、街路に溢れる群衆を巻き込む力を持ったムーブメントととなりました。「芸術の世界に突如としてフーリガンが登場した」と言えば、そのインパクトがお分かりいただけるのではないでしょうか。

その過激さが故、「ヨーロッパのカフェイン」と呼ばれるようになった未来派芸術は、20世紀におけるアバンギャルド芸術のひとつのあり方を示したと言えるでしょう。

 

国際化するアバンギャルド:日本文学への影響

「機銃掃射をも圧倒するかのように咆哮する自動車は、《サモトラケのニケ》よりも美しい」という宣言中の有名な一句に特徴付けられるように、独自のスピードの美学を打ち出した未来派。そのスピード感は、イタリアから世界各地へとこのムーブメントが伝播する速さにも表れています。

日本では、明治を代表する大作家である森鷗外が、マリネッティが宣言を発表したのと同じ1909年に、雑誌『スバル』誌上の「椋鳥通信」でマリネッティの宣言を訳文とともに紹介しています。大衆メディアの発達によって世界規模での情報伝達のスピードが向上したことを示すエピソードですね。

さて、日本に伝来した未来派芸術は、絵画の分野はもちろん、文学の領域においても独自の表現を生み出すこととなりました。マリネッティ自身が示した「未来派的な文学」のあり方の一つが、下の画像の「自由な状態にある語」に顕著な、どこからどう読めばいいのかわからないほど文字組みを大胆にアレンジし、ほとんど意味をなさない擬音の類をふんだんに盛り込んだ表現。

 

そんな大胆な表現方法を、日本文学で最も効果的に取り入れたのが、アナキスト詩人である萩原恭次郎です。

萩原の第一詩集である『死刑宣告』(1925)は、どぎつい赤色で書かれた表紙タイトルの毒々しさからすでにセンセーショナルな詩集でしたが、その内容も同じくらいに過激。1920年代の日本におけるアバンギャルドの機運を今に伝える快作です。

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上の「ラスコリーニコフ」という詩からもわかる通り、萩原の詩作品は視覚的に様々なリズムや効果を生み出しつつ、言葉を一つの安定した意味の枠組みにとらわれない、極めてアナーキーな状態へと解放します。

他にも、次の「広告塔!」という詩では、上下・左右に様々な文字組みを配列しながら、ありとあらゆる情報・動態・絶叫が入り混じるモダンな都市空間のダイナミックな体験を読者に伝えているのです。

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おわりに

既存の芸術表現をかたっぱしから爆破するかのように、固定観念への挑戦・挑発を繰り返した未来派の芸術運動。そのアナーキーな美学が芸術シーンに新鮮な驚きを提供した一方で、その過激さはしばしば、美学的な立場から戦争賛美的な生命を繰り返していたマリネッティがムッソリーニ率いるファシスト党に入党するなど、政治的に不穏な動向とも共鳴することとなりました。

さまざまなアバンギャルド芸術が入り乱れた20世紀の美術界では、「芸術のための芸術」を標榜する、芸術至上主義的な声明が多く残されました。しかし、たとえ優れた芸術作品が〈芸術〉という領域に独立して存在しているかのように見えたとしても、実際のところ、政治や社会との関わりを持たずに存在することができた芸術運動など存在しないのです。

皆さんも、過去の芸術運動について学ぶ際には、同時代の歴史状況も合わせて探ってみると、次々と面白い発見があるはずです。

 

 

初出:P+D MAGAZINE(2016/09/04)

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