『ブレードランナー』の新作映画が公開! 35年経っても愛される理由と作品の謎に迫る。

1982年に公開されたSF映画、『ブレードランナー』。この作品が35年を経た現在でも愛される理由はどこにあるのでしょうか。原作小説との比較や作品を読み解くキーワードとともに紹介します。

1982年に日米で公開された映画、『ブレードランナー』。フィリップ・K・ディックの代表作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を原作に、『エイリアン』をはじめとするSF映画の巨匠として知られるリドリー・スコット監督の手によって映画化されました。

公開された当時、『ブレードランナー』は興業成績の面から見ると決して成功を収めたとは言えませんでした。日本では早々に上映が打ち切られ、本国アメリカでも制作費を下回るほど。それでも時が経つにつれ、『ブレードランナー』はSF映画の金字塔として映画史におけるとても重要な作品に位置づけされるようになりました。

それから35年が経った2017年10月27日には、続編となる『ブレードランナー2049』が公開されます。当初は支持されなかった『ブレードランナー』がなぜ、高い評価を受ける作品となったのか。また、映画『ブレードランナー』と原作小説の相違点や現在の評価を得た理由を紹介します。

 

本物の動物を求める冴えない男が主人公『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』

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『ブレードランナー』の原作小説、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の舞台は1992年。第三次世界大戦後の世界は放射能に蝕まれ、地球上の生き物は滅亡の一途をたどる状況です。ごく一部の恵まれた人々が地球外に移住している一方、貧しい人々は荒れ果てた地球に残ることを余儀なくされています。

そんな荒廃した地球では、生きた動物を所持していることが一種のステータスになっていました。しかし、警察官でありながら、懸賞金を懸けられたアンドロイドを倒すことで賞金を稼いでいる主人公、リック・デッカードが所有しているのは、電気仕掛けで動く本物そっくりの羊です。

「じゃあ、きみはなんだ。おれが稼いできた懸賞金で、けっこうせっせと衝動買いをしてくれたじゃないか」(中略)「あれを貯金してたら、いまごろは屋上にいる電気仕掛のニセモノの代わりに、正真正銘の羊が買えていただろう。おれが何年も何年もあくせくして稼いだあげくが、ただの電気動物ときやがる」

デッカードはかつて羊を飼っていたものの、羊は破傷風が原因で死亡してしまいました。それでも本物そっくりな電気仕掛けの羊を世話することで、表面上では生きた動物を所有しているように見せています。いくら本物そっくりであるとはいえ、いつかボロが出ることを恐れたデッカードは一刻も早く本物の動物を飼うことを熱望します。

デッカードは馬を所有している隣人にコンプレックスを抱いた矢先、偶然にも前任者から懸賞金付きのアンドロイドを処分する仕事を引き継ぎます。「この仕事を片付ければ、懸賞金で生きた動物が買える」と考えたデッカードは、逃走したアンドロイドの調査を始めるのでした。

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の主人公はデッカードだけではありません。知能が弱く、普段は模造動物修理店のトラック運転手として働いているJ・R・イジドアもまた、物語の中心人物です。

廃墟のビルにひとりぼっちで住んでいたイジドアはある日、逃げ出してきたアンドロイド、プリスと出会います。追われる立場にあったアンドロイドたちの存在を知ったイジドアは、彼らに隠れ家を提供。アンドロイドを追うデッカードと、アンドロイドと交流するイジドアを対照的に描きながら、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の物語は展開していきます。

アンドロイドと人間は、検査によって区別されます。この検査は「誕生日に子牛革の札入れをもらったら?」、「子どもが蝶のコレクションを見せたら?」という質問をもとに、相手の反応を見るもの。傷つけられた生き物に共感できれば人間、共感できなければアンドロイドとして判断されます。

「わたしの考えを教えてあげましょうか、J・R?この虫に、こんなにたくさんの脚はいらないと思うわ」
「八本?」とアームガードがくちばしをいれた。「どうして四本じゃたりないの?ためしに四本切ってみたらどう?」思いついたようにハンドバッグをあけると、いかにもよく切れそうな爪切り鋏をプリスに手渡した。
異様な恐怖がJ・R・イジドアをうちのめした。
(中略)
「前ほど早く走れなくなると思うけど、どのみちここじゃつかまる餌食もいないわ。いずれは死ぬのよ」鋏をとろうとした。
「おねがいだから」とイジドア。
プリスはけげんそうに顔を上げた。「この虫がなにかの役に立つというの?」

イジドアは偶然にも、アパートの廊下で生きたクモを見つけます。しかし、アンドロイドたちはクモの足を無慈悲にも切り落としていきます。顔色ひとつ変えずにクモの足を切り落とすアンドロイドたちと、その姿を見て恐怖するイジドア。両者を対照的に描くことで、人間とアンドロイドの違いが強調されています。

デッカードもまた、アンドロイドたちを処分する立場でありながら、人間そっくりなアンドロイドたちに次第に共感し、苦悩することとなります。デッカードはそれまで自分が生きていくために行っていた行為が「処分」から「殺害」に変わってしまったことに気がついたのです。

 

ハードボイルドな捜査官が主人公『ブレードランナー』

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対して、映画『ブレードランナー』の舞台は2019年。かつてはレプリカントと呼ばれるアンドロイドを専門に取り締まる捜査官、ブレードランナーだったデッカードはある日、元上司で、ブレードランナーの統括者であるブライアントから呼び出されます。

レプリカントは人間に反抗することができないよう、4年の寿命を迎えた時点で死ぬように設計されていました。しかし、延命を望むレプリカントたちは人間に反旗を翻し、地球へと侵入。デッカードはブライアントから侵入したレプリカントたち6人を始末するよう伝えられます。

デッカードはレプリカントの情報を集めようと、レプリカントの開発者であるタイレル博士に接触。タイレル博士の姪の記憶が移植されていることから博士の秘書であるレイチェルがレプリカントだと見抜くものの、その事実に動揺する彼女の姿に強く惹かれていくのでした。

映画と原作小説は、キャラクター造形やレプリカント、ブレードランナーといった呼称が大きく異なりますが、「地球に逃げ出してきたアンドロイドを処分することになった主人公」、「主人公が任務を通し、アンドロイドへ感情移入する」という物語の本筋が共通しています。別のアプローチで、「人間とは何か?」、「自分を人間だと証明する確かなものとは?」という壮大なテーマを描いています。

 

かつては駄作と言われた『ブレードランナー』。それでも一部から支持された理由とは。

『ブレードランナー』が日本で公開されたのは1982年の夏。多くの観客を見込める夏休みの公開であり、すでに公開され大ヒットを記録していた『スターウォーズ』のキャストでもあった俳優、ハリソン・フォードの主演作だったにも関わらず、『E.T』のヒットの陰で『ブレードランナー』の興業成績は全く振るいませんでした。

しかし、そんな『ブレードランナー』は一部の間でカルト的ともいえるほどの支持を得ることとなります。大衆的でなかったとはいえ、どうしてそこまでファンを惹きつけたのでしょうか。その理由は作品の世界観を表すふたつの要素にありました。

 

人気の理由1.ハードボイルドな主人公として描き直されたデッカード。

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原作小説のデッカードはイジドアから「中肉中背の平凡な男」と評されている反面、『ブレードランナー』のデッカードはトレンチコートに身を包んだハードボイルドなキャラクターになっています。これは、映画の脚本を担当したハンプトン・ファンチャーの「未来のフィリップ・マーロウ」というアイデアによるもの。

この「フィリップ・マーロウ」とは、レイモンド・チャンドラーによって書かれたハードボイルド小説に登場する私立探偵です。チャンドラーの描くハードボイルドな世界観は多くの人に支持され、1940年頃にはマーロウの登場する映画がハリウッドで次々と制作されました。当時、ハリウッドでは退廃的な雰囲気が特徴の「フィルム・ノワール」が多く作られており、マーロウの登場する作品もその中のひとつだったのです。

ハードボイルドなデッカードの設定には、もうひとつ別の作品が影響しています。それはフランスの作家、メビウスが描いた短編漫画『ロング・トゥモロー』です。

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主人公の私立探偵、ピートは荷物を回収する依頼を請け負った矢先、追われる立場に。ピートは美女の依頼人と一夜をともに過ごしますが、彼女は実は異星からやってきたスパイだった……『ロング・トゥモロー』は「孤独な探偵の一人語り」、「美女の依頼人とのラブロマンス。そして裏切り」といったハードボイルドの要素が詰まった、「未来のフィリップ・マーロウ」的作品でした。そして『ロング・トゥモロー』の舞台となる都市を空にそびえる高層ビルではなく、地下に向かって何層にもわたるごちゃごちゃとした建物がつらなる形で描きました。そんなカオスな町並みも、ダークなハードボイルド作品の雰囲気を演出しています。

そんな作品がもととなり、『ブレードランナー』のデッカードにはハードボイルド要素が加わったのです。

また、ファンチャーのアイデアにより、デッカードは当初マーロウと同じく「トレンチコートと中折れ帽」を身につける予定でした。しかし、デッカードを演じた俳優、ハリソン・フォードが別作品『レイダース/失われたアーク』で中折れ帽を被っていたことからトレンチコートだけになった……という裏話もあります。

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理由その2.それまでのSFとは一線を画した、退廃的なビジュアル。

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日本を代表するアニメーションを制作してきた押井守監督も『ブレードランナー』のファンの1人です。『ブレードランナー』の世界観を手がけた工業デザイナー、シド・ミードに触発されて『攻殻機動隊』ができたことをWOWOWの情報番組『渋谷LIVE!ザ・プライムショー』で明かしているように、『ブレードランナー』はさまざまな作品に影響を与えています。

それまでのSF映画といえば、光沢を持ったロボットが登場するような、無機質で真新しい未来が舞台のものが一般的でした。しかし『ブレードランナー』で描かれる2019年のロサンゼルスは退廃的で暗い未来。酸性雨が降りしきる暗がりの中、けばけばしいネオンサインが輝く薄汚れた街並みはそれまでのSFのイメージを一転させるほどの力を持っていました。きらびやかで希望に満ちた未来ではなく、今と大して変わらないようなレトロな世界観とサイバーな街並みを大胆にミックスさせた風景はSFファンにとって衝撃的だったのです。

そして『ブレードランナー』の世界観は、多文化が混ざり合った結果、混沌としている点も忘れてはなりません。「強力わかもと」の広告が街頭ビジョンに映り、雑踏では「おい、誰か変なものを落としていったぞ」といった日本語が聞こえるように、『ブレードランナー』の世界観には日本的な要素が多く取り入れられています。

かつてリドリー・スコット監督は来日した際に、訪れた歌舞伎町の様子を、映画に取り入れたいと考えたとされています。そのため、2019年のロサンゼルスが作り上げられた背景には、歌舞伎町のイメージが加わっているのです。

それまでのSFに見られる未来のイメージをガラリと変えた『ブレードランナー』は、後世の作品にも多大な影響を与えています。

海外からも高い評価を受けているゲーム『メタルギアソリッド』シリーズを手がけた小島秀夫監督は『ブレードランナー』をモチーフに、ゲーム『スナッチャー』を生み出しています。

それは「神戸港を埋め立てて作られた架空の都市、ネオ・コウベ・シティを舞台に、スナッチャーと呼ばれるアンドロイドを主人公の捜査官が追う」といったストーリーからも、影響を受けていることがうかがえるでしょう。この他にも、キャラクターの容姿がレプリカントと酷似している、映画で通行人が言う「おい、誰か変なものを落としていったぞ」というセリフを主人公が口にする……など随所にも『ブレードランナー』を彷彿とさせる小ネタが見られます。

また、2010年よりTwitterで連載され、アニメ化もされた小説『ニンジャスレイヤー』もまた、『ブレードランナー』から強い影響を受けています。

『ニンジャスレイヤー』の舞台は大気汚染で昼でも薄暗く、酸性雨が降り注ぐ巨大都市ネオサイタマであり、『ブレードランナー』と同じ「強力わかもと」の広告がアニメ版の背景にもしばしば登場しています。

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このような「日本をもとにした近未来」、「どこか荒廃した巨大都市」を舞台にしてた作品が作られるようになったのは、紛れもなく『ブレードランナー』があったからこそ。未来と現代、日本と海外を混成させた物珍しさが多くのクリエイターに衝撃を与えたのです。

 

理由その3.悪い意味では不親切。良い意味では余白を与えてくれた物語。

映画には監督が泣く泣くカットしたシーンなどをあらためて追加したバージョンが作られることも珍しくありません。『ブレードランナー』もそのひとつであり、5つものバージョンが作られています。

その差異は、「冒頭にデッカードのモノローグが入っているか否か」、「ラストシーンがハッピーエンドになっているか」といった点。そしてリドリー・スコット監督があふれるアイデアを次々と詰め込みすぎた結果、説明不足や矛盾点が生じることとなってしまいました。

「初めて観たけれど、よくわからない」という声が続出するように、『ブレードランナー』は不親切な作品だと主張する人もいます。しかし、良い意味では「観た人それぞれが自由に解釈できる余白がある作品」とも言えます。公開から35年経った今もなお作品における議論ができるのは、幾重にも謎が積み重ねられたままである『ブレードランナー』ならではでしょう。

 

謎だらけの『ブレードランナー』、2つのキーワード。

では、そんな初心者には優しくない『ブレードランナー』の真相を読み解くための3つのキーワードをもとに、作品の雰囲気をつかむための2つのキーワードを紹介します。

キーワードその1.「ふたつで十分ですよ」

真実が明らかになっている度:★★★★★
ストーリーそのものとの関係度:☆☆☆☆☆

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映画『ブレードランナー』は、デッカードがネオンひしめく街の片隅で新聞を読みながら、屋台の席が空くのを待っているところから始まります。

デッカードは屋台のカウンター席に座るなり、以下のようなやりとりを店主と行います。

店主:「なんにしましょうか」
デッカード:「Give me four」(4つくれ)
店主:「ふたつで十分ですよ」
デッカード:「No,four.Two,two,four」(いや、4つだ。ふたつとふたつで4つだ)
店主:「ふたつで十分ですよ」
デッカード:「And,noodles」(それと、うどんをくれ)
店主:「わかってくださいよ」

何かを4つ注文しようとするデッカードと、「ふたつで十分」を繰り返して渋る店主。注文後、デッカードはたどたどしく箸を使いながらうどんを食べていますが、店主と揉めながら注文したものは最後までわかりません。

『ブレードランナー』に影響を受けたゲーム『スナッチャー』でもこのやりとりがそのまま使われているように、後世の作品でもこのフレーズが度々オマージュとして使われています。

このシーンについて、ファンの間では「あれは天ぷらでは?」、「いや、寿司かもしれない」、「うどんを4玉食べようとしていたんだよ」という議論が繰り広げられていました。

こんな議論が生じた背景には、試写の段階ではあった「白米の上に青野菜と黒光りする魚が2匹乗った丼が画面に映りこむシーン」が削除されてしまったことが関係しています。デッカードが注文したものは丼であり、店主と、丼に乗せる魚の数で揉めていたのでした。

しかし、ファンの間では「4つとは本来処分するはずだったレプリカントの数で、2つとは最終的にデッカードが処分したレプリカントの数だ」という説まで登場しています。

普通の作品であれば、「主人公と店のガンコ親父がオーダーをめぐって一悶着する」という些細なものに思えるかもしれません。こんな些細なシーンですら大真面目に議論をしたり、物語の伏線とされてしまうのは謎だらけの『ブレードランナー』がどんな作品なのかを象徴するシーンとも言えます。

 

キーワードその2.6人目のレプリカント

真実が明らかになっている度:★☆☆☆☆
ストーリーそのものとの関係度:★★★★★

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デッカードは元上司のブライアントから「4人のレプリカントが街に潜んでいる」と告げられます。実際に作品に登場する対象のレプリカントはリーダー格のロイ、怪力が特徴のレオン、ダンサーを装っていたゾーラ、人間に拾われたプリスの4人。しかし、ブライアントは「地球に侵入したレプリカントは男3人、女3人の計6名であり、そのうちの1人はすでに死亡している」とも説明しています。

後からの説明を踏まえると、すでに死亡している1名を除いて、地球に侵入しているレプリカントは5人。ブライアントの説明には矛盾が生じています。

実は、本来は6人目のレプリカント、メアリーも登場する予定でした。もともと、『ブレードランナー』は世界観を表現するのに一切の妥協を許さないリドリー・スコット監督が手がけていたこともあり、膨大な予算と時間をかけて作られていました。しかし予算の都合上、どうしてもメアリーの登場シーンを撮影することがどうしても難しくなってしまい、メアリーの設定そのものが無しになってしまった……という大人の事情があったといいます。

こうしてレプリカントの人数が1人減ってしまったにも関わらず、ブライアントのセリフが修正されないまま公開された結果、物語最大の謎が生じることとなったのです。

人数の整合性は後に作られたファイナルカット版でセリフを修正し、一旦は解決されました。しかし、消えた「6人目のレプリカント」の真相は公開当時からファンにとって議論の的であり、作品最大の謎にまで発展しました。さらに、「デッカードこそ、最後のレプリカントだった」という主張まで生まれています。

リドリー・スコット監督はこのアイデアを非常に気に入り、「デッカードが最後のレプリカント」と思わせるシーンを撮影しています。劇場公開時には周囲からの反対により削除されたものの、1992年に公開されたディレクターズカット版には新たに追加されることとなりました。

その追加シーンとは、「デッカードが白昼夢でユニコーンを見るシーン」。2019年の自然がほぼ失われた未来が舞台でありながら、森の中をユニコーンが走り抜けるシーンは幻想的な印象を観客に与えました。

また、このシーンからクライマックスでデッカードの同僚、ガフがユニコーンの折り紙を残していたことについて「本来ならばデッカードしか知りえないはずの夢の内容をガフが知っていたのは、デッカードが人間によって記憶を移植されたレプリカントである何よりの証明だ」という解釈が新たに生まれました。

デッカードがレプリカントであるという証明は、これだけではありません。デッカードは自宅にたくさんの家族写真を飾っていますが、それらはどれもセピア色に変色しています。さらに妻と見られる女性の服装は第二次世界大戦前のもの。2019年を舞台にしている今作から100年以上も前と思われる写真をデッカードが大切に飾っていることが、レプリカント特有の「記憶や思い出への固執」として見られているのです。

さらに監督は、レプリカントと同じくデッカードの目が光るような加工を意図的に加えました。そんな出来事もあって「デッカード=レプリカント説」はさらに強まりましたが、あくまでも「そのように思わせる」レベルであり、はっきりとした明言はされていません。新作の公開に伴い、「物語最大の謎がついに明らかになるのではないか?」と、どこかで期待しているファンも多いでしょう。

 

前作から35年。『ブレードランナー2049』は何を描く?

『ブレードランナー』から35年の時を経て、新たに公開される『ブレードランナー2049』。リドリー・スコットは製作総指揮に回り、2016年に公開されて話題を読んだSF映画『メッセージ』などを手がけたドゥニ・ヴィルヌーヴが監督することが発表されています。

舞台はタイトルにもある通り、『ブレードランナー』が描かれた2019年から30年後の2049年。ロサンゼルス警察の新人ブレードランナー、“K”が行方不明のままだったデッカードを探すところから始まります。

さらに前作から『ブレードランナー2049』に至るまでの空白の30年間がアニメーション作品『ブレードランナー ブラックアウト 2022』によって語られることが明らかにされました。

海外からも高い評価を受ける人気アニメ『カウボーイビバップ』や映画『マトリックス』の関連作品『アニマトリックス』を手がけた渡辺信一郎監督が「最大のリスペクトを払うこと」、「イミテーションにならないこと」を念頭に置きながら制作された『ブレードランナー ブラックアウト 2022』も、『ブレードランナー』ファンの期待が高まる要素のひとつです。

果たしてデッカードは前作の後、どんな人生を送っていたのか。新作でも登場することが明らかになっているガフは物語にどう関わってくるのか。そしてデッカードの正体は明らかになるのか……いつまでも尽きることのない、『ブレードランナー』の魅力を『ブレードランナー2049』がさらに強固にしてくれることは間違いないありません。

 
参考文献
「<映画の見方>がわかる本 80年代アメリカ映画 カルト・ムービー編 ブレードランナーの未来世紀」著:町山智浩
「メイキング・オブ・ブレードランナー」著:ポール・M・サモン 訳:品川四郎
「『ブレードランナー』論序説:映画学特別講義」著:加藤幹郎

初出:P+D MAGAZINE(2017/09/26)

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