波瀾万丈の一代記『野見山暁治 人はどこまでいけるか』
31歳で渡仏し、93歳で文化勲章を受章した画家・野見山暁治氏の一代記。窮地に立ってもあきらめない、自在なるその生き方は、読む人に勇気を与えてくれます。
【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
嵐山光三郎【作家】
野見山暁治 人はどこまでいけるか
編・構成 のこす言葉編集部
平凡社
1200円+税
装丁/重実生哉
波瀾万丈の中でのあきらめない力と自在なる生き方
〈毎日絵を描く。だって絵描きだもの。じゃあ、あと何をするよ。十時半ごろからとにかく午前中はずっと描いている。〉
と、野見山さんは語りはじめる。話し言葉でつづる波瀾万丈の一代記。野見山さんは九州飯塚市の炭鉱業の子として生まれた。三男四女、七人きょうだいの長男。17歳のとき上京して東京美術学校(東京芸術大学)油画科に入学するが戦争に応召となる。満州で病に臥して入院し、福岡の傷痍軍人療養所で終戦を迎えた。
27歳のとき、妹の同級生内藤陽子と結婚して、フランスへ行こうとすると、外務省に、絵描きにはパスポートを出さないと断られた。妻が豆腐を買って包んできた新聞に、「フランス私費留学生募集」の記事が載っていた。31歳でフランスへ行き、あとからパリへ来た妻が癌を患って死んだ。
マドリードに滞在し、43歳のとき、帰国して田中小実昌の一家と同居した。50歳で福岡在住の武富京子と再婚し、東京と福岡で別居生活を送る。東京芸術大学教授となるが、「芸大では大学紛争にあいました」。
〈結局、十三年ほど芸大に勤めました〉
〈「ぼくは騒ぐ学生が悪いとは思っていません」〉
80歳のとき、妻京子が癌で亡くなった。93歳で文化勲章受章。いま97歳。
〈ぼくは「九条の会」の役員をやっていますが、いくら平和を唱えても、戦争は必ず起こるものだという確信がある。〉
〈絵は何かの役に立つのか。《ゲルニカ》はピカソだからできたので、へたに「平和の絵」を描くと、絵の現実から離れていく。〉
窮地に立ってもあきらめない力。存在するものの不思議を見つめて、表現する意思。人間がどこまでいけるかに賭ける情熱。
自在なる野見山さんの生き方を知ると勇気がわいてくる。
〈下手でも手を動かす。きっと自分が絵描きなのではなくて、自分のなかに絵の神さまが入りこんで、描かせているんだ。〉
(週刊ポスト 2018年10.26号より)
初出:P+D MAGAZINE(2018/11/04)