小川洋子のおすすめ作品5選~ささやかに、懸命に生きるヒロインたち~
静謐で美しい世界観と、繊細な文章表現、弱者に寄り添う温かなまなざしで読者を魅了してきた作家、小川洋子。小川作品には、華やかな主役になれるタイプではなくても、自分の持ち場でささやかに懸命に生きる、愛おしいヒロインたちが数多く登場します。そんなヒロイン達に注目しながら、作品を紹介します。
1991年『妊娠カレンダー』で第104回芥川賞を受賞以来、静謐で美しい世界観と、繊細な文章表現、弱者に寄り添う温かなまなざしで読者を魅了してきた作家・小川洋子。2003年刊『博士の愛した数式』はベストセラーになり映画化もされ、一躍、国民的人気作家になりました。
現在では芥川賞の選考委員や、本を紹介するラジオ番組「パナソニック メロディアスライブラリー」のパーソナリティを務めるなど、日本の文学シーンを語る上で欠かせない存在になっています。
さて、小川作品には、華やかな主役になれるタイプではなくても、自分の持ち場でささやかに懸命に生きる、愛おしいヒロインたちが数多く登場します。読者は、彼女たちに自分を重ね合わせ、励まされることでしょう。小川作品のヒロインたちは控えめで、自ら手を挙げて自己アピールすることはしません。そこで本人たちの代わりに、彼女たちヒロインを紹介してみることにします。
1、『博士の愛した数式』~聞き上手の家政婦~
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80分しか記憶が持たない老数学博士と主人公である家政婦との温かな交流を描いた小川洋子の代表作で、映画化もされました。
主人公は、結婚することができない相手の子を妊娠して高校を中退し、家政婦としてシングルマザーとして、日々を精一杯過ごしています。そして、派遣先の家庭で、記憶に障害を持つ老数学博士と出会います。
君の靴のサイズはいくつかね?
80分しか記憶が持たない博士にとって、朝玄関に現れる主人公はいつだって新しい家政婦。そして毎朝同じ質問を繰り返すのです。
24です。
気持ちの優しい主人公は、決して博士の質問をないがしろにせず、毎日ていねいに答えます。
24か。素晴らしい。4の階乗だ。
階乗とは、4までの自然数(1,2,3,4)を全て掛け合わせた数のこと。主人公はそれを博士に教わりました。
君の誕生日はいつだね
博士は尋ねます。
2月20日です。
主人公は答えます。
220。素晴らしいじゃないか。僕の手首に刻まれた284と友愛数の契りを結んだ数だ。
No.284は博士が数学の論文で賞を獲ったときもらった懐中時計に刻まれた数字。友愛数とは、220の約数をすべて足すと284になり、284の約数をすべて足すと220になるといったペアのこと。
人付き合いの苦手な博士は、数字をコミュニケーションツールとしているのです。
主人公は、博士とは学歴もキャリアも正反対で話が合うとは思えません。また、彼女が時間的にも精神的にも他人の話に耳を傾ける余裕があるとも思えません。けれど、彼女は天性の聞き上手を発揮し、何の腹の足しにもならない博士の数学談議に耳を傾けます。それが家政婦としての仕事の一環というより、損得勘定を抜きにした個人の純粋な好奇心からであるところに胸を打たれるものがあります。世知辛い世の中、慌ただしい毎日、私たちはすぐに役立つことだけを求めて生きがちです。しかし、博士はこう言います。
花や星がなぜ美しいか誰にも説明できないように、数学もまた美しい。何の役にも立たないからこそ美しい。
主人公と共にしばし立ち止まって、博士の愛した数式の話に耳を傾けてみてはいかがでしょうか。普段は見過ごしがちな素敵な発見があること間違いなしです。
2、『シュガータイム』~楽しいことも辛いことも同じ体験をシェアしてこそ女の友情~
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本作の主人公は、かおると真由子のふたりの女子大生。ある日、かおるは原因不明の過食症に陥ってしまいます。あなたなら、友人が過食症になったらどう対応するでしょうか。何としてでも止めさせようとする? カウンセラーのもとへ連れて行く? そうすることは簡単でしょう。けれど、本作の真由子は違います。
今日はとことん、かおるに付き合ってあげる。かおると同じものを同じ量だけ一緒に食べてあげる。そうしたら何か、正体がつかめるかもしれない
と、かおるに言うのです。これは出来そうでなかなか出来ることではありません。
わたしたちは寝間きに着替え、リラックスしてからとにかく食べ始めた。真ん中に大きなフランスパンとパン切りナイフを置き、それを切りながら好きなものをのせて食べた。ローストビーフ、ボイルドチキン、ゆで卵、スモークサーモン、レタス、クレソン、きゅうり、バター、マスタード。「まぁ、本当に華やかねぇ」真由子がくすくす笑いだした。
友人の過食症の正体を突き止めるというと、何やら深刻な感じになってしまうのかと予想するのですが、それがまるでパジャマパーティーのような楽し気な雰囲気に変わってしまうのは、親友真由子の、どんなことも深刻ぶらずユーモアに転換しようとする明るい性格によるところが大きいようです。また、出て来る食べ物が実においしそうで、思わず彼女たちと同じものを作って食べたくなってしまうほどです。
やがて、かおるの過食症の原因は、かおるが行き止まりの恋をしていることに原因があるということがわかってきます。かおるは、心のすき間を食べ物で埋めるように次々と色々なものを口に放り込んでいたのです。かおるの恋人からはもうずっと連絡が来ていません。そのことに、かおるは「彼が無言のうちに何を伝えようとしているのか、私の方が気づかなければ」と、自分を責めようとします。しかし、真由子は、
もし彼が無言で何かを伝えようとしているなら、それはとっても卑怯なやり方よ
と、かおるの味方をします。最終的にかおるは失恋しますが、真由子美はいつもただ、かおるの傍にいることで、かおるを慰め励まします。
真由子は、つらい時も友人と体験を分かち合い、共有しようとします。友達が悩んでいるとき、真由子のような人でありたいと思させてくれる一冊です。
3、『ミーナの行進』~悲劇のヒロインにはならない、たくましいミーナ~
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岡山在住の中学1年の「私」は、家の事情で1年間、芦屋の伯母宅に預けられます。豪華なお屋敷であるお宅には、ミーナと呼ばれる年下の従妹がいました。年の近い「私」とミーナは、よい友だちになります。
私に多くのものを与え、自分からは何も求めず、身体が弱いせいで遠くへは出かけられないのに、本をこよなく愛し、心はいつも世界の果てまで旅していたミーナ
ミーナは病弱で徒歩通学が出来ないため、家で飼っているコビトカバのポチ子に乗って通学しています。
ミーナとポチ子の行進は威風堂々としたものだった。事情を知らない人が無遠慮な視線を投げかけくることもあるが、彼らの行進はいささかも乱れない。ミーナはうつむかず、真っ直ぐ前を見据え、ポチ子は一歩一歩坂道を踏みしめてゆく。
ミーナは、外の世界へ出かけられない分、本を通じて、想像の翼で世界へ羽ばたこうとします。本のページをひもとくことは、言うなれば居ながらの旅に出かけるのと同じこと。読書と旅はよく似ていることを、ミーナは「私」に教えてくれます。「私」はミーナの影響で読書の魅力を知り、図書館通いを始めます。そこで出会った本たちが「私」の世界をも押し広げてくれたのです。
お屋敷に住む病弱な少女というと、読者は、深窓の令嬢など悲劇のヒロインを想像しがちです。けれど、ミーナは違いました。ラスト、大人になったミーナはたくましく自立して出版エージェンシーの会社を立ち上げます。「私」もまた、図書館司書となり活躍します。
大人になったミーナから「私」へ、こんな手紙が届きます。
おかげさまで私は、なかなか儲からへんわ、と愚痴をこぼしながら楽しく仕事に励んでおります。翻訳出版エージェンシーなんて、誰がほめてくれるわけでもない地味な仕事ですが、それでもたまには、ささやかな、かけがえのない喜びをもたらしてくれます。今日、町の本屋さんで、私の手がけた絵本を買っている女の子に出会いました。
どんな場所や境遇に置かれても、嘆いたりうつむいたりせず、ミーナのように堂々と行進していこう、そう励まされる一冊です。
4、『口笛の上手な白雪姫』~働くことの尊さを教えてくれる、美貌ではない白雪姫~
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小母さんは、公衆浴場の一部だった。浴槽や石鹸受けやヘアドライヤーといった必需品と、同様の存在とみなされていた。
本作のヒロインの小母さんは、公衆浴場の女性脱衣所の片隅にひっそりと息づいています。見た目は白雪姫には似ても似つかないのですが、白雪姫と小人が暮らしていたような小屋に住んでいるのでそう呼ばれています。
彼女の役割は、乳飲み子を連れてきたお母さんがゆっくり入浴できるよう、その間赤ん坊を預かり、口笛を吹いてあやすことでした。
小母さんはこれ見よがしに自分のサービスをアピールなどしなかった。ロッカーとベビーベッドの隙間で、目を伏せ背中を丸めてできるだけ目立たないように努めていた。
そして、サービスを必要としている人を見つけると、さりげなく手を差し伸べます。
小母さんの武器は口笛だった。その音量はごく小さく、音色は震えがちだったが、眠たくてたまらなかったりして泣いている赤ん坊を、たいていは落ち着かせることができた。
にぎやかな浴場で、彼女の口笛は大人たちには聞こえず、赤ん坊の鼓膜にだけ届いています。小母さんの仕事は、いわばニッチな隙間産業といえるでしょう。世間からはほぼ存在を忘れられ置き去りにされたような小母さんにも、役割があり居場所があるということをこの小説は示しています。
ところで、よその家の赤ん坊をかいがいしくお世話してばかりいるうちに歳をとってしまった小母さんですが、わが子を腕に抱き、ご自慢の口笛を聞かせてあげる機会はなかったのでしょうか。残念ながら、小説でははっきりとは書かれていません。小屋のような家に一人暮らししていることから察すれば、結婚、出産というチャンスは、小母さんには訪れなかったのかもしれません。しかし、小母さんの口笛はおおぜいの赤ん坊の耳に届き、成長を手助けしてきたわけですから、そういう意味で、小母さんは、みんなのお母さんとも言えるわけです。
小母さんは、ある特定の客からは、なくてはならない人として頼りにされ、感謝され、場合によって敬意さえ払われていた。
現代社会は、行き過ぎた個人主義により、何ごとも個人の責任にされがちです。子育てにおいてもそれは例外でなく、すべてが親の役目とされ、社会全体で子どもを見守り育てるという考えが希薄になってきています。幼児虐待のニュースが後を絶たないのも、親の育児ストレスと無縁ではないのかもしれません。このようなとき、もし小母さんのようにそっと手助けしてくれる人がいたら、子どもを持つ親はどれほど心強いでしょう。
物語を読んでいると、今にも小母さんの口笛の子守唄が届いてきそうです。それは、あなたも私もここに居ていいんだよ、という温かなメッセージにも聞き取れます。
5、『最果てアーケード』~とるにたりないものを慈しむ「百科事典少女」~
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最後に登場してもらうのは、連作短編集『最果てアーケード』に登場する、「百科事典少女」と呼ばれるRちゃんです。
とある寂れた町の一角にあるアーケード。そのアーケードの一番奥には、買い物客がひと休みしてお茶を飲みながら、好きな本を手に取れる「読書休憩室」と呼ばれるスペースがありました。この休憩室を発案したのは、物語の語り手である「私」のお父さんです。そして、ここの常連が、「私」のクラスメートのRちゃんでした。
私とRちゃんは決して友だちではなかった。学校の教室でRちゃんは無口だった。キャーキャー言ってふざけたり、女の子同士手をつないで廊下を歩いたり、交換日記をやり取りしたりするのが好きではないように見えた。いつでも堂々と一人ぼっちでいた。私たちが遠足へ持ってゆくお菓子や、三つ編みを結わえる色つきゴムについて悩んでいる間、Rちゃんだけは一人、他の誰も思い及ばないような事柄、例えばイグアナドンの親指の形について、あるいは空気圧縮機の構造について、考えているかのようだった。
思春期の女子にとって、友だちのグループに入ることは切実な問題です。しかし、Rちゃんはそうした同調圧力に屈しない、1人でいることに平気な、勇敢な少女です。
読書休憩室でRちゃんは、学校とは全く別人のようにお喋りで、お節介で、生き生きとしていた。そこにたどり着いて、ようやく自分が吸うべき空気をとらえ、思う存分呼吸しているかのように見えた。
学校に馴染めない代わりに、読書休憩室がRちゃんの心のオアシス、いわば本来の居場所の役目を担っていたのでしょう。子どものうちは、学校と家の往復だけが世界のすべてになりがちです。また、子どもは、それが世界のすべてだと信じて疑わないからこそ、そこに適応できないと、生きる希望を失ったり、不登校に陥ったりしてしまいます。けれど、学校は世界の一部にしか過ぎず、もっと他に広くて楽しい世界があることを知れば、気持ちは救われるはずです。Rちゃんはそのことを私たちに教えてくれています。
本の中でもRちゃんが最も愛したのは、百科事典だった。Rちゃんは第1巻[あいう]の最初のページからスタートし、第2巻[えおか]、第3巻[きくけ]と順番に読んでいった。気紛れを起こして、つまらないページを飛ばすような真似はしなかった。彼女に言わせれば、百科事典につまらないページなど一切存在しない、ということらしかった。
「早く、全部読み終わりたいなぁ」心の底から願うようにRちゃんは言った。
インターネットで何でも瞬時に検索できる今、百科事典は読書休憩室でも隅の方で、頁を切られることなくひっそり息を潜めているのが現状だと考えられます。それに、本来調べたい項目だけを引くために使う百科事典は、徹頭徹尾読み通すものではありません。Rちゃんのこだわりの強い行為は、一見常軌を逸しているようにも見えます。
けれど、Rちゃんのまわりにいる「私」やその父は、Rちゃんの行いを尊重し、理解しようとします。Rちゃんは百科事典のどんなにささいな項目も読み飛ばさず、すべてこの世界にある物事として平等に扱います。たとえそれが、他の人にとってはとるにたらないことでも、Rちゃんにとっては大切なものだからです。
また、自分の信じた道を貫くRちゃんに、「私」は憧れと尊敬の念を抱くようになります。学校でいつもベタベタくっついて行動するだけが友だちではないことを、彼女たちは証明していてくれるのです。
ここには、作者・小川洋子の、変わり者を変わり者として切り捨てない、マイノリティへの優しい眼差しを感じることができます。
Rちゃんにとって百科事典が何物にも代えがたい大切なものだったように、あなたにも、Rちゃんにとっての百科事典のようなものがあるはずです。たとえそれが人からは理解されにくいものでも、堂々と大切だと宣言したらよいと、作者は伝えてくれています。
おわりに~自分では主役になれると思っていない人物たちの魅力~
小川洋子の作品 に登場する魅力的なヒロインを紹介しました。
小川洋子は自身が小説を書く理由について、2016年12月3日に関西大学で開催されたオープン講座「人生に、文学を」で、このように語っています 。
「自分はここに居ると、声高に叫ぶ人のことは放っておいてもいい。けれど、小さい声しか出せない人、自分は決して物語の主人公になどなれないと思っている人物を掬い取るために小説はあるのではないか。」
小川ワールドの、決して声高に自分をアピールしないけれどささやかに一生懸命生きるヒロインたちに、本のページを開いて、あなたも会いに行ってみてはいかがでしょうか。
初出:P+D MAGAZINE(2019/03/22)