シャーロック・ホームズの宿敵、モリアーティを知るための3冊

シャーロック・ホームズシリーズの中で、ひときわ魅力的でありながら、その正体が謎のベールに包まれているキャラクター、モリアーティ教授。今回は、そんなモリアーティ教授について知ることができる3冊の書籍をご紹介します。

作品の完結から100年近い年月を経てもなお、世界中のミステリファンに愛され続けている『シャーロック・ホームズ』シリーズ。
ストーリーやトリックそのものの奇抜さ、面白さはもちろん、作者のアーサー・コナン・ドイルが生み出したクセのあるキャラクターの数々が、本シリーズの魅力をよりいっそう高めていることは疑いようもありません。

そんなシャーロック・ホームズシリーズの中で、ひときわ魅力的でありながら、その正体が謎のベールに包まれているキャラクターと言えば、ホームズの宿敵・モリアーティ教授でしょう。彼は近年、ゲーム『Fate/GrandOrder』や漫画『憂国のモリアーティ』にも作中の重要なキャラクターとして登場し、存在感を放つとともに絶大な人気を集めています。

今回は、ホームズシリーズが気になりだしたばかりの方や、ゲームや漫画作品をきっかけに興味を持たれた方に向けて、モリアーティ教授について詳しく知ることのできる本を、コナン・ドイルの原作シリーズを中心に3冊ご紹介します。

初登場にして、ホームズと世紀の対決に臨む『最後の事件』

シャーロック・ホームズの思い出
『最後の事件』収録/出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4102134034/

頭脳明晰な犯罪者の代名詞として、ホームズファンでなくとも一度はその名前を聞いたことがあるであろう、モリアーティ教授。しかし実は、彼が登場するコナン・ドイル作品は、わずか6作品のみなのです。

モリアーティが初めて登場するのは、1893年にドイルがイギリスの雑誌『ストランド・マガジン』に書き下ろした短編小説『最後の事件』。この作品の冒頭で名探偵シャーロック・ホームズは、相棒のワトソンに対し、唐突にこんなことを尋ねます。

「モリアーティ教授のことは聞いたことがないだろうね?」

ない、とワトソンが答えると、ホームズはモリアーティがいかに驚くべき人物であるかを、滔々と語り始めます。ロンドン中にモリアーティの息のかかっていない場所はひとつもないにもかかわらず、世間の人々の誰ひとりとしてその名前を聞いたことがない。だからこそ彼は犯罪者の頂点に立っているのだ、とホームズは言うのです。

モリアーティは、21歳という若さで二項定理に関する論文を書いたのがきっかけで大学の数学教授となり、のちに悪い噂で大学を追われたものの、ロンドンにやってきて再度教師の職に就いた──とホームズは説明します。そして、教師の仕事を隠れ蓑に、巨大な犯罪組織の黒幕として暗躍していることが調査により判明した、と言うのです。

ホームズは、モリアーティの容姿をこう描写します。

彼はすこぶる背が高く痩せていて、白くカーブを描く突き出た額を持ち、深く窪んだ眼をしている。ひげは綺麗に剃られ、青白く、苦行者のようであり、顔立ちにおよそ教授らしきものを漂わせている。彼の背は長年の研究から曲がり、顔は前へ突き出て、爬虫類のように奇妙に、いつでもゆらゆらと左右に動いている。

本作の最後でホームズは、モリアーティと一世一代の“対決”を果たし、スイスにあるライヘンバッハの滝でモリアーティとともに転落死した──とワトソンは述べています。
しかし前述したように、本作はモリアーティが登場した初めての作品。初登場を果たした重要な悪役を、ドイルはなぜすぐに(主人公の名探偵もろとも)殺してしまったのだろう? と疑問に思う読者の方もいるかもしれません。

実はドイルは当時、イギリス国内を中心にシャーロック・ホームズシリーズの人気があまりに高まりすぎたことを嫌がっており、『最後の事件』を最後にシリーズの執筆を辞めたがっていたのです。
ドイルは、歴史小説家として名を立てたいという思いがありながら、ストランド・マガジンからの「歴史小説ではなくホームズシリーズを」という要望に応え、1000ポンドという高額の原稿料と引き換えに渋々シャーロック・ホームズシリーズを書いていた──と家族宛ての手紙の中などで述べています(ダニエル・スタシャワー『コナン・ドイル書簡集』より)。

モリアーティ死後にして、なお存在感を放つ『空家の冒険』

生還
『空家の冒険』収録/出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4334761747/

『最後の事件』で黒幕・モリアーティを登場させることで、名探偵シャーロック・ホームズの物語にようやく終止符を打つことができたドイル。しかしながら、ホームズシリーズのファンからは批判が相次ぎ、ドイルは結局、『最後の事件』発表から8年後の1901年に、シャーロック・ホームズシリーズの連載を再開させたのでした。

連載再開後、第1作目の『バスカヴィル家の犬』は『最後の事件』の日以前に発生した事件を書いたという設定でしたが、1903年に発表した短編小説『空家の冒険』には、ホームズはライヘンバッハの滝で死んだと世間に思わせていたものの、実は「バリツ」という日本武術を使って生き延びていたというエピソードが登場します。つまり、この作品でホームズは正式に“生還”したのです。

そして、この『空家の冒険』にも、回想シーンでモリアーティが登場します。本作の中には、シリーズを通して唯一、ホームズがモリアーティを“ジェームズ・モリアーティ教授”とフルネームで呼ぶシーンがあるのです。

また、ホームズは本作の中で、ライヘンバッハの滝でのモリアーティの最期と自分だけが生き延びられたからくりについて、ワトソンにこう説明しています。

モリアーティはずっとすぐ後ろについていた。行き止まりまで来ると、僕は崖っぷちに立っていた。彼は武器を出さなかったが、僕に体当たりをして長い腕を巻きつけた。彼は自分が終わりだと知っていて、ただ僕に直接復讐することだけを望んでいた。我々は滝の崖っぷちでよろめいた。しかし僕にはバリツという日本の格闘技の心得があった。(中略)僕はしがみついていた彼の手をすり抜けた。すると彼は恐ろしい悲鳴を上げ、数秒間狂ったように地団太を踏みながら、両手で虚空を掻きむしった。しかしどれほど頑張ってもバランスを保てず、落ちて行った。僕は断崖を覗き込んで、彼が遥か下まで落ちて行くのを見た。その後彼は岩にぶつかり、跳ね返り、しぶきを上げて水の中に落ちた

モリアーティは最期、自らも滝に落ちてしまうことを悟りながら、武器を使わず彼自身の手でホームズを殺そうとしたのです。モリアーティにとってホームズは、そうまでしても自らの手で殺めたいと思うほどの因縁の相手かつ、彼の永遠のライバルでした。

コナン・ドイル財団公認の唯一のパスティーシュ、『モリアーティ』

モリアーテ
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4041024048/

最初に説明したように、コナン・ドイル作品の中でモリアーティが登場するのはわずか6作品のみ。それも、そのほとんどが直接的な登場ではなく、ホームズによるわずかな言及の形をとっています。しかし、登場回数の少なさにもかかわらず、彼がホームズシリーズの中で異例の存在感を放っているのは、やはり『最後の事件』での彼の描写のインパクトがあまりに強かったからでしょう。

コナン・ドイルは1927年に発表した短編『ショスコム荘』でホームズシリーズの執筆に幕を下ろしましたが、世紀の悪役・モリアーティは、その後さまざまな作家たちの手によってパスティーシュ(模倣作品)の中で描かれ続けてきました。

そんなパスティーシュの中で唯一コナン・ドイル財団が“公認”作品としているものが、『名探偵ポワロ』などのドラマシリーズの脚本家としても知られるアンソニー・ホロヴィッツによる小説『絹の家』と『モリアーティ』です。

特にパスティーシュの2作目である『モリアーティ』は、『最後の事件』のあと、いまは亡きモリアーティが指揮していた犯罪組織の残党を捕らえるため、探偵と警部のコンビが活躍する──というストーリー。本作の主人公のひとりである探偵、フレデリック・チェイスは、作品の冒頭で、「ホームズは『最後の事件』で無事にモリアーティをしとめたにもかかわらず、なぜ自分は生きているという事実を何年ものあいだ世間に隠し続けたのか」という疑問を読者に投げかけます。

モリアーティは死に、イギリスの警察は彼の手下を残らずつかまえたと言っているのに、なぜホームズはまだ危険を感じているのだ? これ以上なにを望むというのだろう? 私がホームズだったら、さっさと<イギリス旅館>に戻ってヌーシャテルで祝杯をあげ、うまい子牛肉のカツレツに舌鼓を打つが。

『最後の事件』におけるホームズの不可解な行動の謎を入り口に、探偵たちがモリアーティの犯罪組織の正体に迫ってゆく緊迫感が本作の魅力。本家コナン・ドイルの作品ではないものの、ホームズばりの推理を見せる探偵たちのキャラクターの魅力とともに、原作に登場するあまり目立たないキャラクターがストーリーに関わってくるなど、本家への強いリスペクトを感じさせるさまざまな“小ネタ”も楽しむことができる良作です。

おわりに

テレビドラマの『SHERLOCK』などをきっかけに始まった、空前の世界的なシャーロック・ホームズブームはまだまだ終わる兆しを見せません。日本でも、ドラマやゲーム、漫画などさまざまな作品を入り口に、ホームズシリーズのファンになる方は増え続けています。

コナン・ドイルの原作をモデルにしたゲームや漫画のキャラクターたちも魅力的ですが、本家ホームズシリーズのキャラクターももちろん、彼らに負けず劣らず曲者ぞろいで魅力的です。
いままで原作シリーズは読んだことがなかったという方は、ぜひこの機会に、世界中のファンが熱狂するコナン・ドイルの“正典”に手を伸ばしてみてください。

初出:P+D MAGAZINE(2019/04/17)

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