【作家、脚本家、エッセイスト】生誕90周年・向田邦子を知るための作品4選
倉本聰・山田太一と並んで「シナリオライター御三家」と呼ばれた向田邦子。2019年は向田邦子の生誕90周年に当たります。いまから向田作品を読みたいという方に向けて、向田邦子を知ることができるおすすめの書籍を4冊紹介します。
2019年11月28日に生誕90周年を迎える向田邦子。脚本家・エッセイスト・小説家として活躍した彼女は、1970年代には倉本聰・山田太一と並んで「シナリオライター御三家」とも呼ばれました。
向田邦子は昭和という時代とそこに生きる人間を見事に描き、没後40年近く経ついまもなお根強いファンの多い作家です。今回は、そんな向田邦子作品をまだ手に取ったことがないという方のために、向田邦子を知るための4冊の書籍をご紹介します。
『父の詫び状』(エッセイ集)
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4167277212/
『父の詫び状』は、向田邦子による初めてのエッセイ集です。本書に収録されたエッセイは、現在も続いている銀座をテーマにした都市情報誌「銀座百点」に2年間に渡って連載されたもので、読者からの反響を受けて連載終了後の1978年に書籍化されました。
本書に収録された24篇のエッセイはどれも、タイトルの通り向田邦子自身の父親や彼女の家族について綴られています。エッセイの中で描かれる向田邦子の父親は“昭和の頑固親父”そのもので、夜中に仕事仲間を大勢家に連れて帰ってきて宴会を開かせたり、酔って粗相をした同僚の吐瀉物を平気で向田邦子に片づけさせたり……、と、いま読むとなんて身勝手だと怒りを覚えるような振る舞いも見られます。
しかし、そんな父親の思い出を語る向田邦子の筆致は一貫して優しいのです。たとえば、祖母の葬式のことを綴った『お辞儀』というエッセイの中では、突如弔問に訪れた会社の社長に対して必死で頭を下げる父親の姿を、こんな風に描写しています。
私は父の暴君振りを嫌だなと思っていた。この姿を見て異例の出世をした理由を見たように思った。肝心の葬式の悲しみはどこかにけし飛んで父のお辞儀の姿だけが目に残った。私達に見せないところで、父はこの姿で戦ってきたのだ。私は今でもこの夜の父の姿を思うと、胸の中でうずくものがある。
向田邦子の人間に対する洞察力を堪能できるのはもちろん、昭和初期の日本の家族像を知るひとつの手がかりとしても楽しむことができる本書。向田作品を知るならまず最初に手に取りたい、不朽の名作エッセイです。
『思い出トランプ』(短編小説集)
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/410129402X/
『思い出トランプ』は、向田邦子が1980年に発表した13篇の物語から成る短編小説集です。向田邦子は本書に収録されている『花の名前』、『犬小屋』、『かわうそ』という3篇で第83回直木賞を受賞しています。
本書の登場人物は、心の底では家族を蔑んでいる元エリートサラリーマン、事故で子どもの指を切ってしまったことを悔やみ続けている母親、夫の浮気に勘づきながらも見て見ぬ振りをしようとする妻──など、皆それぞれに弱さや後ろめたさを抱えています。
中でもその人物描写の技が光るのが、愛らしさとずる賢さをあわせ持つ妻の姿を夫の視点で描いた『かわうそ』。夫・宅次に“かわうそに似ている”と評される妻・厚子は、一見、愛嬌とユーモアのあるよい妻です。しつこいセールスが家に来ると気の利いた嘘をついてそれを撃退してしまう厚子のことを、宅次は“自分には過ぎた女房”とさえ思っていました。
しかし、宅次は脳卒中で倒れてしまったことをきっかけに、自分の病気や近所の火事といった不幸をまるでイベントのように楽しんでいる厚子の残忍さに気づくようになります。
宅次の父の葬式のときもそうだった。
厚子は新調の喪服を着て、涙をこぼすというかたちではしゃいでいた。ほうっておくと、泣きながら、笑い出しそうな気がして、宅次は、
「おだつな」
とたしなめるところだった。
おだつ、というのは、宅次の田舎の仙台あたりで使うことばで、調子づく、といった意味である。
物語の最後、宅次が厚子へ抱いていたある最大の疑念が現実味を持って彼を襲うこととなります。背筋がヒヤッとするような読後感が心地いい、人間のずるさや脆さを余すところなく描いた秀逸な短編です。
『阿修羅のごとく』(ドラマ脚本の小説版)
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4167277174/
『阿修羅のごとく』は、向田邦子が1979年に脚本を手がけたテレビドラマです。主人公の4姉妹を加藤治子、八千草薫、いしだあゆみ、風吹ジュンという豪華な顔ぶれが演じたこともあり、ドラマは当時大ヒットを記録しました。ドラマ用の戯曲を小説化したものが本書です。
『阿修羅のごとく』はそのタイトル通り、一見ふつうの家庭で暮らす人間たちが時折見せる“阿修羅”のような顔に焦点を当てた作品です。夫に先立たれ生け花の師匠をしている長女・綱子、夫とふたりの子どもと暮らす専業主婦の次女・巻子、男っ気がなく真面目な三女・滝子、滝子とは正反対で奔放な性格の四女・咲子──という性格も生活環境もばらばらな4姉妹は、ある日、父親に愛人と子どもがいるという話を聞きつけて集まります。
事態をどう対処するかについて話し合ううちに、4人それぞれにも人に言えない秘密があるということに気づき始める彼女たち。不倫をしている者や隠れて同棲をしている者がいると分かるや否や、4姉妹の話し合いは泥沼の喧嘩に発展していきます。
最初から最後までハラハラするような展開の続く作品ですが、つかみ合いのような喧嘩の直後に折れた歯を見て思わず姉妹が笑ってしまうシーンなどは実にリアル。人間のしたたかさや意地汚さを抜群のユーモアで描ききった本作を、脚本家の三谷幸喜は朝日新聞紙上の連載コラム「三谷幸喜のありふれた生活」の中で“神様が書いた脚本”と評しています。
『向田邦子の青春』(向田和子によるエッセイ集)
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4167156067/
本書は、向田邦子の妹である向田和子が姉について綴った文章・写真をまとめたエッセイ集です。愛猫家であったことや遅筆・乱筆で有名だったこと、実は大の飛行機嫌いであったこと──などがよく語られる向田邦子ですが、本書を読むと、幼少期から晩年の50代に至るまで一貫して、明るくはつらつとした多くの人に愛される人物であったことがよく分かります。
最初に収録されているエッセイ『ものまね』では、向田邦子が実はものまねの名手であったというエピソードが明かされています。
本人は面白いことを言っているというつもりではなかったのかもしれないが、とりわけ人まねが実にうまかった。人の特徴をとらえるのがうまいのである。声のたちだとかしゃべるクセだとかをとらえて、見事にやってみせるのだ。その上、あだ名を付けるのもうまかった。
「あの人さあ、こういうところがあるの」と、私の前でまねをやってみせる。だから、私が会ったことがない人でも、姉から聞いて知ったつもりになっている人は多かった。しばらくしてその当人に会うようなことになると、大変だった。(中略)
別れた後で、「お姉ちゃん、本当に似ていたね」と私が感心して言うと、「うまいでしょ」と得意気になる。そういう時は、九歳の年齢差がぐっと縮まってしまう。
妹の視点で語られる向田邦子は、常におしゃれで家族思いな優しいお姉さん。向田邦子の作品群をほとんど知らなくとも彼女のファンになってしまうのではないかと思うほど、本書には向田邦子の魅力がたっぷりと詰まっています。生前の彼女の素顔を知りたい方には、特におすすめの1冊です。
おわりに
脚本家の三谷幸喜や映画監督の是枝裕和など、現在も第一線で活躍している作家・クリエイターの中には、向田邦子に惹かれてやまないと語る人が多くいます。
没後40年近く経ってもなお、さまざまな人々に天才と称賛されながら、同時に魅力的な人物としても慕われ続けている向田邦子。まだ向田作品に触れたことがないという方は、ぜひこの機会に彼女の多種多様な作品を手に取り、その鮮やかな世界を味わってみてください。
初出:P+D MAGAZINE(2019/09/28)