【全員、悪人】小説のなかの“極悪人”セレクション
小説のなかには時折、平気な顔で人を裏切り、数々の悪行を成し遂げるような“極悪人”が登場します。彼らは非常に強烈でありながらも、ストーリーに欠かせない魅力的なキャラクターです。今回は、そんな小説のなかの“極悪人”たちを厳選して紹介します。
小説を読んでいて、思わず絶句してしまうほど残酷なやり方で人を殺めていく殺人鬼や、行動原理がまるで理解できないサイコパス的な人物に出会い、圧倒されてしまった経験はないでしょうか。小説のなかにはときどきそんな“極悪人”としか呼びようのない人物が登場し、信じがたいほどの悪事を働くことがあります。
今回は、ミステリや歴史小説、不条理小説など違ったジャンルの古今東西の作品から、一度読めば忘れられないような強烈な “極悪人”を紹介しつつ、そのキャラクターの見どころや魅力(?)を解説します。
【No.1】松永久秀(今村翔吾『じんかん』より)
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1人目の“極悪人”は、今村翔吾の歴史小説『じんかん』に登場する、戦国時代から安土桃山時代を生きた実在の武将・松永久秀。彼は“日本史上最悪の男”、“天下の悪人”などと呼ばれることもある人物です。松永は作中で、織田信長に仕えた小姓・狩野又九郎に、その悪事の数々をこのように紹介されています。
室町十三代将軍である足利義輝は、久秀の子に殺されている。これも久秀の指示を受けたものと考えられている。さらに三好家の重臣と争った折には、東大寺大仏殿に向けて火を放ち焼き払った。なにより、上様自身盟友である徳川家康に久秀を紹介する際、
──この男、人がなせぬ大悪を一生の内に三つもやってのけた。
そう説明している。
主家の乗っ取り、将軍の暗殺、東大寺の焼き討ち……と悪徳の限りを尽くした挙げ句、主君・信長に対しあろうことか2度の謀反を起こした松永。彼は又九郎に“畜生にも劣る輩”と強烈な呼び名で罵倒されますが、信長は意外にも、そんな又九郎を諌めます。
本書では信長が松永から直接聞いたという彼の半生を振り返る形で話が進みますが、その壮絶な生い立ちを知れば、松永に抱く印象がすこし変化するかもしれません。なかでも、松永が戦いや病で命を落とした者たちのことを指し、
それは神の罰か。皆様の大切な人は、それほどの悪事をなさったのか。
と問いかける場面には、自らの業の深さを自覚している者ならではの凄みがあります。『じんかん』は、裏切った家臣への容赦ない報復で知られる信長が、なぜ松永の謀反は例外的に赦し、彼に特別な思いを抱いていたのか──という日本史上の大きな謎への新解釈が垣間見られる一冊です。
【No.2】ムルソー(カミュ『異邦人』より)
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不条理を描いた小説の古典的傑作として知られるアルベール・カミュの『異邦人』。主人公のムルソーは、“太陽が眩しかったから”というインパクトのありすぎる理由で殺人を犯した人物としてあまりにも有名ですが、あらためてその不条理極まりない行動原理をおさらいしてみましょう。
まず、小説の冒頭でムルソーは、養老院で暮らす母(ママン)の死を電報によって知らされます。彼は養老院に駆けつけますが、母の死に対しては特になにも感じず、葬式の翌日には偶然出会った元同僚の女性と情事に耽り、映画を見て笑い転げるなど、いつもと変わらない生活を送ります。
日曜日もやれやれ終わった。ママンはもう埋められてしまった。また私は勤めにかえるだろう、結局、何も変わったことはなかったのだ、と私は考えた。
そんなムルソーはある日、成り行きで友人のトラブルに巻き込まれ、アラブ人の男を銃殺してしまいます。裁判にかけられたムルソーは、一連の冷酷な行動を検事に指摘されますが、自己弁護をしようとはしません。ムルソーは検事に
「私はこの男に対し死刑を要求します。そして死刑を要求してもさっぱりした気持です。思うに、在職もすでに長く、その間、幾たびか死刑を要求しましたが、今日ほど、この苦痛な義務が、一つの至上・神聖な戒律の意識と、非人間的なもの以外、何一つ読みとれない一人の男を前にして、私の感ずる恐怖とによって、償われ、釣り合いがとれ、光を受けるように感じたことは、かつてないことです」
とまで言われます。しかしもはやムルソーが望むのは、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて彼を迎えてくれることだけなのです。
私たちがムルソーを“極悪人”と一方的に糾弾してよいかは、大きく解釈の分かれるところでしょう。ムルソーにはたしかに一般的な人々が持つような一貫性や思いやりが欠けているものの、目の前にある具体的なものしか信じず、瞬間的な欲求に対して非常に忠実な彼のことを、むしろ人間的だと言うこともできるかもしれません。ムルソーが“冷酷な人間”と呼ばれるのは彼が人生の本質的な無意味さを理解しているからに他なりませんが、果たしてそれは、本当に悪いことなのでしょうか?
【No.3】連続殺人鬼 (高木彬光『呪縛の家』より)
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1950年代に人気を博した、高木彬光による名探偵・神津恭介シリーズ。『呪縛の家』はその長編2作目にあたる作品で、怪奇趣味に満ちた本格推理小説です。戦時中に興隆した新興宗教団体・紅霊教の教祖が住む片田舎の大邸宅を舞台に起こる凄惨な連続殺人の真相を、館に招かれた神津恭介が突き止めていきます。
作中で、教祖とその孫にあたる3姉妹は、この宗教団体の奥義である「風・水・火・地」の四元素をなぞるような形で次々と殺されていきます。現場には
舜斎は宙を泳ぎて殺さるべし
澄子は水に浮かびて殺さるべし
烈子は火に包まれて殺さるべし
土岐子は地に埋もれて殺さるべし
という悪趣味な殺人予告が残され、一家は恐怖におののきながらも、予告通り浴槽(水)のなかや火事になった祠(火)のなかといった密室で、ひとりずつ命を落としていくのです。未読の方のため、ここではその犯人の名前を明記しませんが、驚くほど残忍な方法で家族を殺していく殺人鬼はもちろん、それを黙認し自分の利益だけを最大化しようとするもうひとりの黒幕も、“極悪人”と呼ぶにふさわしい人物です。
作中の犯人については、作者の高木自らが“人間の心底にある極悪を反映させた人物を書きたかった”と記しています。その言葉通り、本作のなかで悪徳の限りを尽くす人物は、思わずゾッとしてしまうほど活き活きとしており、なおかつ反省の色を一切見せません。
【No.4】サド侯爵(三島由紀夫『サド侯爵夫人』より)
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三島由紀夫の傑作戯曲として名高い『サド侯爵夫人』。作中人物として直接的には登場しないものの、周囲の人々によってその性格や振る舞いが描写されるサド侯爵(アルフォンス)は、“悪徳”の刻印を押された人物です。
サド侯爵は、ルネという妻がありながら娼婦とたびたび関係を持ち、彼女たちを虐待した罪により、当局から追われる身です。サド侯爵の義母であるモントルイユ夫人は始め、彼の無罪を勝ち取るための裏工作をしようと画策しますが、あろうことかルネの妹であるアンヌまでもがサド侯爵と性的関係を持っていたことを知り、激怒します。
モントルイユ夫人はサド侯爵を糾弾し、このように評します。
アルフォンスはいかにも怪物ですよ。まともな人間には、とても理解することなどできやしない。強いて理解しようとすれば、こっちは火傷をするだけだ。
しかしルネは、のちに投獄されたサド侯爵の脱獄を助け、有罪判決を破棄させるために奔走します。なぜそうまでしてサド侯爵を愛し、かばうのかと聞かれたルネは、モントルイユ夫人がこだわる誠実さや貞淑などはかりそめに過ぎないと指摘し、こう言葉を返します。
あなた方は薔薇を見れば美しいと仰言り、蛇をみれば気味が悪いと仰言る。あなた方はご存知ないんです、薔薇と蛇が親しい友達で、夜になればお互いに姿を変え、蛇が頬を赤らめ、薔薇が鱗を光らす世界を。兎を見れば愛らしいと仰言り、獅子を見れば怖ろしいと仰言る。ご存知ないんです、嵐の夜には、かれらがどんなに血を流して愛し合うかを。神聖も汚辱もやすやすとお互いに姿を変えるそのような夜をご存知ないからには、あなた方は真鍮の脳髄で蔑んだ末に、そういう夜を根絶やしにしようとお計りになる。
作中では、サド侯爵の悪行の数々を引き金に、ルネのなかの貞淑と悪徳とがしだいに反転していくさまが描かれます。その価値観が、終幕が近づくにつれふたたびねじれていく奇妙さも含め、徹底的な悪というものが、周囲にどのように影響し人を変化させていくかが記された不朽の名作です。
おわりに
今回ご紹介した“極悪人”たちが起こす謀反や殺人、強姦……といった行動には、思わず眉をひそめてしまうようなものも多くあるはずです。しかし逆に言えば、現実世界では到底許されないような悪徳の数々や、その行為によって引き起こされるおぞましい感情を疑似体験できることは、フィクションを読む上での大きな醍醐味とも考えられるのではないでしょうか。
人を裏切ったり罪を犯したりすることは、当然ですが“悪いこと”です。しかし、その悪いことの背景にどのような感情があったのか(もしくは『異邦人』のムルソーのように、徹底的に無感情だったのか)を知り、考えることは、人間という生き物の愚かさや奥深さを知るひとつのきっかけになるはずです。
初出:P+D MAGAZINE(2021/05/31)