青山七恵『前の家族』
残り滓の逆襲
2020年の初頭、横浜港に入港したダイヤモンド・プリンセス号に検疫官が乗り込み、世間に不穏な空気が漂いはじめたあのころ、私は中古マンションの一室を買うことにした。空きが出ていると知った2日後に内見に行って、ほぼ即決だった。
銀行と区役所と税務署を行ったり来たりし、いざ迎えた契約の日。予定の時間より早く駅に着いたので、ロータリーのベンチに腰掛けて時間がすぎるのを待った。そのときふと、不安の大波にのまれた。本当にこれでいいのか? あと数分後に不動産屋で出される紙にハンコを押したら、これから数十年のあいだ、働きつづけ金を返しつづける人生が確定する。自分が望んでいるのは本当にそういう人生なのか? 迫ってくるものの重さに意識が遠のきかけたとき、「おにぎり」突然その言葉は聞こえた。
おにぎり? それは、私のこころの声ではなかった。外だ。顔を上げると、ロータリーの広場で若いお兄さんがギターをかきならしている。「君のことを思って〜おにぎりを作ってみた〜」お兄さんが歌っているのは、そういう歌だった。不安の波が静かに引いていった。そういえば、私も誰かにおにぎりを作ってほしい。でもそれ以上に、このひとが誰かにおにぎりを作ってあげたいのとおんなじで、私は私に家を買ってあげたい。
マンションを買うにあたって、ちょくちょく直面したこういう戸惑いとかひらめきのひとときを、最初は日記とか、エッセイのかたちで書こうとしていた。でも書いてみると、なんとなくうそくさかった。パンデミックの時代に借金をして中古のマンションを買うなんていう体験は、私の人生としては、うそくさい。
では何が「本当」に感じられるのかというと、それは、現実というかたちを取らずに取り残された雑多なものたちだった。ローンの年数だの、壁紙の種類だの、ありとあらゆる選択を前にシミュレーションを重ね、重ねて、搾り出された現実の陰にはかならず、現実になり損ねた可能性の残り滓がある。私が小説家として心惹かれるのは、この残り滓だった。残り滓はいつでも豊満で、噛んでも噛んでも味が薄まらない。新居が気に入らなかったらどうしよう? 前の家に帰りたくなったらどうしよう? 売主の家族が家を取り戻しにきたらどうしよう? この小説は、そういうつきない不安や可能性の残り滓をひっかきまわし、練りこね、ふくらませてできた。現実になり損ねたものからできているのに、いま、新居でこころ安らかにこの文章を書いている現実よりも、私にはずっと現実らしく感じられる。ふくらみつづける残り滓――「前の家族」はいまも虎視眈々と、うそくさくてひよわな私の現実を狙っているのだ。
青山七恵(あおやま・ななえ)
1983年埼玉県生まれ。「窓の灯」で文藝賞、「ひとり日和」で芥川龍之介賞、「かけら」で川端康成文学賞受賞。著書に『ハッチとマーロウ』『私の家』『みがわり』『はぐれんぼう』などがある。
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『前の家族』
著/青山七恵