採れたて本!【歴史・時代小説#09】

採れたて本!【歴史・時代小説】

 皆川博子の新作は、後にハンザ同盟として発展するバルト海周辺を舞台にしている。古代ギリシアから続くヨーロッパの文化的伝統を意識してか、随所に詩歌や戯曲が挟み込まれており、九〇歳を超えても新たな形式にチャレンジする著者の創造力には頭が下がる思いがする。

 一一六〇年。バルト海交易の要衝ゴットランド島で一五歳の少女ヘルガとエギルの結婚式が行われた日、遭難した貿易船が漂着した。唯一生き残ったリューベックの商人ヨハンは、島民が略奪した積荷の返還を求め争いになり、決闘裁判で解決することになった。ヘルガは、怪我をしているヨハンの代わりに戦うと宣言する。夫も義父もヘルガが決闘裁判に出ることに反対するなか、エギルの妹アグネだけはヘルガを応援してくれた。

 ヨハンと出会い商売に興味を持ったヘルガは、商人になりたいと思う。ヘルガを慕うアグネも、いずれはヘルガがノヴゴロドを拠点に、アグネがリューベックを拠点に、故郷のゴットランド島を中継地にする商人になりたいと考え始める。

 ゴットランド島はカトリックの教会はあるが、自分の意志を貫くヘルガが北欧神話の怪物フェンリルだとの噂を流されるなど、まだ土着の伝承も色濃く残っている。中世のヨーロッパ社会が、丹念な時代考証で活写されているのも興味深い。カトリックは離婚できないが、ヘルガとエギルは肉体関係がなかったため別居が認められ、ヘルガは島を出て行く。

 著者は、女性のヘルガ、アグネ、ノヴゴロドの若き商人ユーリイと一緒に育った完全奴隷のマトヴェイなど、能力があっても社会的にも、宗教的にも発言権がなかった弱者の声をすくい上げながら物語を進めていく。それだけに、飢饉が起こっている地域に穀物を運べば高く売れるなど資本主義には搾取の側面があることや、商売を有利にするためノヴゴロドの富商が都市を治める貴族を誰にするかで抗争を繰り広げる中盤が政商の暗躍を思わせるなど、いまだに解決されていない社会問題の原点も見えてくるのだ。

 タイトルの「風配図」は、ある地点の風向や風速を表した図で、その場所の風の特徴を知ることができる。女性の社会進出が許されなかった時代に、語学などのスキルを身に付け、協力してくれる人に助けられながら国際貿易の最前線に立ったヘルガとアグネの姿は、当時と変わらない男性社会で働く現代の女性に勇気と希望を与えてくれる。そして、ヘルガたちが自立する女性の「風配図」になったように、現代社会の不備を補おうと動けば、小さな個人でも後世にメッセージを残せると気付かせてくれるのである。

風配図

『風配図』
皆川博子
河出書房新社

〈「STORY BOX」2023年7月号掲載〉

◎編集者コラム◎ 『道をたずねる』平岡陽明
青山七恵『前の家族』