「推してけ! 推してけ!」第38回 ◆『前の家族』(青山七恵・著)
評者=瀧井朝世
(ライター)
奇妙で怖いマイホーム購入譚
ここ最近の青山七恵の長篇は、予想外の展開で読者を唖然とさせていた。『みがわり』は死んだ姉の伝記を執筆されるよう依頼された売れない作家が、故人について調べるうちに奇妙な状況に巻き込まれていく。『はぐれんぼう』ではクリーニング店で働く女性が、預けた服を引き取りにこない持ち主たちを訪ねるうちに旅に出て、そこから管理社会モノ風なSF展開が広がっていく。
では新作の『前の家族』はどうか。これがもう、怖かった──!
主人公の猪瀬藍は三十七歳の小説家で、大学の創作講座でも教えている。数年前に自分の家を持とうと思い立ち、マンション探しを続けていたところ、ようやく近所に築十二年の理想的な物件を見つける。売主の小林家はまだ居住中で、藍は内見の際に彼らと対面する。夫婦と、小学生と就学前の娘二人の四人家族の小林家は、すぐ近くに一軒家を購入したのだという。
その後、無事購入手続きやリフォームを終えて転居した藍だったが、ほどなく小林家の娘二人が部屋にやってくるようになる。藍は、ある時迎えに来た母親の杏奈に新居に招かれ、そこから奇妙な交流が始まっていく。並行して、藍は新居で夜中の物音や玄関前にばらまかれた生ゴミに悩まされるようになり、杏奈に泣きついた彼女はしばらく小林家に滞在することに……。
通常、引っ越し先を選ぶ際、ある程度条件を確認するだろう。金額、間取り、日当たり、周辺環境、交通の便……。用心深い人なら隣人の様子や騒音の有無、管理人の人柄なども丁寧にチェックするだろう。それでも〝前の家族〟なんていう落とし穴があると予想できる人なんて、いるだろうか。
新居を購入して居場所を得た気持ちでいた藍が、前の家族の登場に戸惑い、物音などで心身を疲弊させていく。その過程も妙に怖いが、小林家に居候するうちに安寧に包まれる彼女の様子が、やたらと不安をかき立てる。小林家の夫婦や娘たちの言動が、どこか違和感を抱かせるからかもしれない。
生活を共にするうちに関係性が変化するミステリ的作品といえばジョン・ラッツの『同居人求む』やハリー・クレッシングの『料理人』が思い浮かぶが、青山作品は国内小説ということもあってか、生々しさがある。読者も、こんなふうに〝前の家族〟が生活に侵入してくる経験がなくとも、彼女の〝自分の居場所〟をめぐる数々の心の揺れのどこかに、きっと思い当たるところがあるのではないか。
印象的なくだりがある。小説家としての藍は現在スランプ中だが、それはフランスで出会った女性を小説に書こうと思うのに、彼女の部屋のようすをうまく思い描けないから。そんな彼女が途中でハタと気づくのだ。
〈異国で一瞬触れ合った他人の生をその部屋から描くというアイディアに、無理があったのかもしれない。書くべきことを他人に仮託しすぎているから、自分の骨肉から栄養を与えるのを拒んでいるから、言葉が痩せ細って生き延びられないのだ。わたしは誰かの部屋ではなく、おそらくは自分の部屋こそを描くべきなのだろう。〉
これはそっくり、自分の居場所づくりを小林家に任せきっている状況にも言えるのではあるまいか──いや、今は家族のありようも多様だから、藍がこのまま小林家の一員になるのもアリなのか──などと読み手の心も千々に乱れるが、それはある意味、空回りであった。「え、そっちかい!」という展開が待っている。
自分の居場所は、他人に仮託せずに獲得したい。そうしみじみと思わせる、マイホーム購入譚だ。
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『前の家族』
著/青山七恵
瀧井朝世(たきい・あさよ)
多くの雑誌、ウェブ媒体などで作家インタビュー、書評、対談企画などを担当。著書に、『偏愛読書トライアングル』『あの人とあの本の話』『ほんのよもやま話 作家対談集』などがある。
〈「STORY BOX」2023年8月号掲載〉