週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.143 梅田 蔦屋書店 河出真美さん

書店員コラム_河出さん

『最上階の殺人』書影

『最上階の殺人』
アントニイ・バークリー
訳/藤村裕美
創元推理文庫

 ミステリーをあまり読んだことがない人にミステリー小説をおすすめをするとしよう。まず頭に浮かぶのが謎解き物語の楽しさにあふれたシャーロック・ホームズだ。それからアガサ・クリスティーの名作群――「そして誰もいなくなった」「オリエント急行の殺人」「アクロイド殺し」はどこかでネタバレを見てしまう前に読んでほしい。それからエラリー・クイーンの国名シリーズと悲劇四部作。ディクスン・カーの「三つの棺」や「火刑法廷」。チェスタトンの「ブラウン神父シリーズ」もぜひ手に取ってほしいし、あとエドワード・D・ホックの「サム・ホーソーンシリーズ」なんてどうだろう。

 おすすめできる本はいくらでもある。けれどその中に、アントニイ・バークリーの本を入れることは、私にはできない。

 たとえば「毒入りチョコレート事件」。一つの事件に対して6人の探偵が6つの異なる推理を披露するという、多重解決ものの名作である。もうまちがいなく素晴らしい。バークリーの代表作の一つで、ミステリー史にその名を刻んだ一冊である。しかし、ミステリーを読み始めたばかりの読者にいきなりこれをすすめるのはどうだろうか。それはバタ足を始めたばかりの初心者に、いきなり50メートルプールの端から端まで足をつけずに泳いでみせろと言うようなものではないだろうか。そのチャレンジが有意義なものになるのは、ある程度泳ぎ慣れた人にとってではないか。コナン・ドイルが、クリスティが、クイーンが書いてきたものを読んで、読み続けて、驚かされてきた人にこそ、この本のすごさはわかるのだと思う。それゆえに、最初の一冊には、この本は向かない。

 本書「最上階の殺人」についても、同じことが言える。

 主人公ロジャー・シェリンガムが、殺人のあったフラットの住人たちを調べていき、個性的で頭のいい被害者の姪にふりまわされるロマコメ的展開も差し挟みつつ、最後にたどり着いた真相とは。

 私はこの結末を読んで、「そんなあ」と思ってしまった。「そんなことがあっていいのか?」と。ありか、なしか、で言えば、ありなのだ。確かに、そりゃあ、そういうことだってあるだろう。しかし、ありえるはずの「そういうこと」が、私にはまったく見えていなかった。「これはきっとAだ」と思っていたら、思わぬところから選択肢Bが生えてきた、というようなこのずらしかたがはまるのは、むしろミステリーをある程度読んできて、お決まりの展開に慣れている読者の方だろう。そういう人にこそ、バークリーのこのひねくれさ加減が刺さる。よくよく考えてみてわかる、ミステリーとしての新しさ、鋭さが刺さる。

 同時代の作家であるクリスティ、クイーンらが傑作の数々を書いてミステリーの歴史を築いていく傍らで、バークリーは既にミステリーの定石にひねりを加えた作品を生み出していた。期待にたがわずひねくれたこの一冊を、ミステリーの熱心な読者にこそ読んでほしい。

 

あわせて読みたい本

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『衣裳戸棚の女』
ピーター・アントニイ
訳/永井 淳
創元推理文庫

 密室殺人ものがお好きな方にすすめたい、マイ・ベスト・密室殺人がこちら。これまでに読んできた密室殺人ものとは一線を画す、シンプルかつ忘れがたいひねくれた密室殺人ものである。バークリー作品が好きなミステリーファンにはきっと刺さるはず。

 

おすすめの小学館文庫

1793

『1793』
ニクラス・ナット・オ・ダーグ
訳/ヘレンハルメ美穂
小学館文庫

 戦場帰りで腕っぷしの強い片腕の男カルデルと、労咳を患い余命いくばくもない法律家のヴィンゲ。正反対のふたりが、湖で発見されたむごたらしいありさまの男の遺体の謎を追う。時は1793年、舞台はフランス革命の余波に揺れるスウェーデン。人々の運命が絡み合い、織りなされる愛憎の物語に、時間を忘れて没頭してしまうことまちがいなし。

河出真美(かわで・まみ)
本が好き。文章も書く。勤め先では文学担当。なんでも読むが特に海外文学が好き。趣味は映画鑑賞。好きな作家はレイナルド・アレナス、ハン・ガンなど。最近ZINE制作と文フリの楽しさに目覚めました。


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