週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.28 成田本店みなと高台店 櫻井美怜さん


 スーパーのビニール袋が開けられない。正式名称はわからないが、サッカー台に鎮座している、ぐるぐる巻きにされた「あの透明なビニール袋」がとにかくまあ開けられないのだ。皆悩みは同じようで、以前は水で濡らしたタオルが置いてあったのだが、コロナをきっかけに不特定多数の人が触るものは不衛生と判断されたのか、撤去されてしまった。水分が失われているのはなにも指先だけではない。化粧水も数年に一度はひとつ上のラインへの変更を余儀なくされている。年を取ったことを一番感じるのは白髪でも腰痛でもなく体の水分量である。

 人は老いるものだ。権力者が金にものをいわせて不老不死の薬を探す話が世界中にあるように、誰一人として例外はない。私も。そしてこれを読んでいるあなたにも、老いは遠からずやってくる。

『ミシンと金魚』
永井みみ
集英社

 カケイさんは認知症を患っている。担当してくれるヘルパーさんたちは何人もいるのだが、カケイさんにとっては全員「みっちゃん」だ。「デイサービスあすなろ」のみっちゃんはサーモンピンクのかぶりもん、「ほほえみのみっちゃん」はグリーンの襟付き、といった具合に、たくさんの「みっちゃん」たちに介護されながら生活している。

 老いるとは今まで当たり前にできていたことができなくなることだ。わかってはいたつもりだが、カケイさんが毎朝目を覚まし、ベッドから起き上がってトイレへ行くまでの、その道のりのはてしなさに、慄いた。生きるのは忙しい。だから次の朝、目が覚めないことを願って眠るだなんて、そんな悲しい夜の迎え方があるだろうか。お布団の国は万人を優しく迎えてくれる夢の国だと思っていたのに。

 物語はカケイさんの一人語りで進む。これが立て板に水といった調子で、読んでいるこちらに息継ぎを許してくれないほど、のべつ幕無しに畳みかけてくるのだが、それがなんとも心地いい。カケイさんの語りによる、圧倒的な物語の牽引力が、最初の一行から最後まで全く緩まないのだ。この強力な引力こそがこの作品の大きな魅力である。

 物語の中で、ささくれ程度にひっかかっていた疑問が、タイトルの意味が明かされ、カケイさんの人生がひもとかれるにつれて、するすると回収されてゆくのもこれまた素晴らしい。

「ミシン」と「金魚」は、後悔や幸福の記憶と複雑に絡まりながら、カケイさんの人生の中にそびえたっている。

 人生が終わろうと思い返した時に、何が私の人生の栞になるのだろうか。

 それが本ならばいいと思った。

  

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『家族じまい』
桜木紫乃
集英社

 親はいつまでも元気でいてくれるような気がするが、親だって自分と同じように年を重ねている。いつか直面する親の介護。家族を捨てるわけでもやめるわけでもなく「仕舞う」。逃げてしまいがちな大切なことを考えさせられる。

  

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(2022年2月4日)

著者の窓 第13回 ◈ 望月衣塑子『報道現場』
◎編集者コラム◎ 『希望という名のアナログ日記』角田光代