週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.33 丸善お茶の水店 沢田史郎さん
『オオルリ流星群』
伊与原 新
KADOKAWA
例えば、「星六花」(『月まで三キロ』所収)の主人公は、恋愛にも結婚にも消極的なまま40歳になろうとしている自分を顧みて、悄然と肩を落とす。《こんなはずじゃなかったのに――と今になってため息ばかりついている。「どうせ」と「だって」と「でも」を堂々巡りのように繰り返しながら》。「海へ還る日」(『八月の銀の雪』所収)では、幼い娘を一人で育てている女性が、暮らしに追われるだけの毎日を自嘲する。
《何の取り柄もない、天涯孤独なシングルマザーが、幸せそうに映るはずがない。娘を保育園に預け、給食センターと介護の仕事を掛け持ちする毎日が、輝いて見えるはずがない》。
そして、最新作の『オオルリ流星群』では。
家業の経営が傾いて気持ちを腐らせている人物が登場する。何か手を打たなければと頭では分かっていても、追い立てられるような暮らしに気持ちがついていかない。
《果たして自分は、そんなことがしたいのだろうか。そんなことに残りの人生を費やして、本当にいいのだろうか》。
或いは、かつての情熱は冷め、惰性のように仕事を続ける自分にうんざりしている中学校の教師がいる。
《教師として鬱屈したものを抱えていながら、現状を変える一歩を踏み出そうともせず、ただ漫然と日々をやり過ごしている。大人の知恵を使ってしていることといえば、できない理由、動けない事情を挙げていくことだけ》。
といった具合に、〝人生がちょっと上手く回っていない人〟を描かせたら、伊与原新ほどの巧者はなかなかいない。だからこそ、彼らが些細なきっかけをテコにして不運のぬかるみから抜け出す姿に、僕らは胸を温められるのだ。
「星六花」の主人公が、《わたしは今、素直に笑えている》と実感した時、「海へ還る日」の母親が、娘の人生にいつか実る何かを想って顔を上げた時、一人一人の読者の頬にも、きっと柔らかい微笑が浮かんでいた筈だ。
その筆遣いは『オオルリ流星群』で更に深みを増している。
高校の頃、心を一つにして巨大な空き缶タペストリーを制作した5人。その中の1人、ずば抜けた秀才だった慧子。卒業後は大学で博士号まで取って国立天文台の研究員を務めていた彼女が、契約の延長が成らずに帰郷する。そして、どうしても研究を続けたいから自分で作る、と言い出した。えっ? 天文台を!?
《お金もモノもないのなら、ないなりの闘い方がある》と淡々と宣言する慧子を見て、仲間たちも胸を張る。
《一緒にやるなら、俺たちしかいないだろ》
こうして始まったのは、28年ぶりに集った5人が45歳で迎える再びの夏。
以降、天文台のDIYと並行して描かれるのは、28年間言えなかった本音、未だに塞がらない傷口、そして、理想とは程遠い現在……。
それでも――。天文台作りに打ち込む過程で、焦りも嫉妬も後悔も、彼らは改めて分かち合う。無かったことには出来なくても、皆でもう一度背負い直す。すると、かつて思い描いていたのとは別の形の幸せが、朧げに輪郭を結び始める。
《青い鳥は幸せなんて運んでこないよ。でもさ、それさえわかっていれば、青い鳥をさがすこと自体に幸せを感じられるかもしれないでしょ》。
願った通りの人生など歩めはしない。努力が必ずしも報われるとも限らない。それでも、少しでも明日をよく生きたい。ならば、まずは今日を変えること。だって、明日は、今日の延長線上にしか無いんだから。
なんて御託を、登場人物の誰一人として声高に語っている訳ではない。けれども、行間からそんな声援が聞こえる筈だ。伊与原新が5人に託した、温かい声援が。
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(2022年3月11日)