週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.40 三省堂書店成城店 大塚真祐子さん
『橙が実るまで』
田尻久子/文 川内倫子/写真
スイッチパブリッシング
自分はどのような死に方をするのだろう、とときおり考える。「わたしもいつか死ぬ」と気づいたときのことを覚えている。小学2年の夏、TVドラマで子どもの闘病シーンを観たとき、「あの子は自分かもしれない」ととつぜん思った。あれからずっと「死ぬ」ということがわかるようで、わからない。
熊本で「橙書店」と併設の喫茶店「オレンジ」を営む著者の4冊目の本は、著者の友人でもある写真家、川内倫子との共著となる写文集だった。そこに綴られた著者の家族の姿と、家族にまつわる記憶のすべてに、薄紙のように死がひっそりと張りついていた。育ての親ともいえる祖父母、離れて暮らしていた父、一人だった叔母。この世に存在することをやめた彼らと著者のまなざしが、紙の上で静かに向かいあうとき、長い三つ編みがほどかれるように数々の記憶が放たれ、広がる。そのさまを見つめながら、不思議と自分の記憶もゆっくりほころんでゆく。
看取りを頼まれていた叔母の葬儀で、副葬品としてケンタッキーフライドチキンと、まぐろの刺身が用意されたという「別れ」の章では、本屋を営んでいた祖母の柩に、どぎつい表紙の『週刊女性セブン』が添えられていて、思わず噴き出したことを思い出した。幼少の頃に隣人からもらった賞味期限切れの最中を、母親に取り上げられた「お隣さん」の章では、クラスメイトの男の子から、算数のノートを何枚もつないで描いた巨大迷路をもらい、母に自慢げに見せたところ、「学習用具を粗末にするのはよくない」と咎められ、無性に傷ついたことがふとよみがえった。
〈記憶というのは不思議で、他人の記憶でも懐かしさを感じることができる〉とあとがきで著者が語るとおり、書きつけられた言葉をとおして、気づけば自分も記憶を生きていた。各章の終わりにあらわれる見開きの写真は、言葉とはまた別の緊張に満ちて、どの景色も二度とたどりつけない、最果てのように見えた。〈私たちの記憶が、誰かの記憶とつながり、連鎖していきますように〉という著者の祈りの言葉が、残響のようにいつまでもとどまる。思えば私たちはつねに無数の、だれかの死後を生きていて、だれかの死の数だけ生まれた記憶は、いまもおそらくどこかでひそやかに打ち寄せている。無数の記憶に名前をつけるために言葉があるのだとしたら、この本はその果実のようなものだと思う。
あわせて読みたい本
『みぎわに立って』
田尻久子
里山社
「橙書店」の日常を記した2冊目の随筆集でも、誠実なまなざしは変わらない。〈私が死んだら、そのときはじめて、死者もともに死ぬのだろう。もしくは、私とともに誰かの中に生かしてもらえるのかもしれない〉という一文は新作に連なる。
おすすめの小学館文庫
『モーツァルトを聴く人』
谷川俊太郎/詩 堀内誠一/絵
小学館文庫
『橙が実るまで』に帯文を寄せている詩人・谷川俊太郎による、モーツァルトや音楽についての作品を集めた詩集。詩と旋律、詩と音との関係に思いをはせる。現在静岡にて展覧会開催中の絵本作家・堀内誠一との未刊絵本も同時収録され、充実の一冊。
(2022年4月29日)