週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.46 うなぎBOOKS 本間 悠さん

週末は書店へ行こう!

生皮 あるセクシャルハラスメントの光景

『生皮 あるセクシャルハラスメントの光景
井上荒野
朝日新聞出版

 以前、とある営業をしていた。まだ若く、私は溌溂として、そういうところが「明るい」「感じが良い」とされ、取引先との関係も良好だった(と信じたい)。

 

「今度プライベートで飲みに行こう」と腰に手を回されれば、「何言ってるんですかー!」と声を張り上げて、笑顔を返した。明るく、感じが良く、取引先との関係も良好な私は、こんな風に振る舞えば角が立たないのだと知っている。

 

 私の溌溂さは、私なりに作り上げたいびつな防具の形だった。

 

 かつて名編集者として謳われた月島光一による小説講座は、芥川賞作家を輩出したこともある大人気講座で、毎年キャンセル待ちが発生するほどの盛況ぶりだ。カリスマ講師である月島は受講生たちへの指導も熱心である。才能のある受講生には特に熱心に指導を行い、講座終了後の飲み会でも隣に座らせ、苗字ではなく下の名前を呼び捨てにし、講座のない日にも小説の話がしたいと電話で呼び出し、ベッドに誘うことも厭わない。それが自然な流れだから。

 

〝いい小説を書いてほしいという欲が僕の中にはあって、まあ相手が女性の場合は、ここに性欲も加わる〟

 

 とんだ詭弁だと思う。月島は、そのようにして7年前に関係を持ったかつての受講生・咲歩に告発される。今ならば「告発されて当然」と思うが、果たして7年前はどうだっただろう。2019年の伊藤詩織さんの事件がたった3年前。アメリカで、#me too運動が起こったのが2017年である。2015年、もし即座に訴えを起こしたとしても、正しく〝問題〟として取り上げられることすらなかったのではないか。

 

『生皮』には、咲歩以前に月島と関係を持った小説家や、咲歩の夫、そして月島の妻や娘、咲歩と同期の受講生だった者たち、SNSでたまたまその告発を目にした男子大学生など、様々な視点からこの「告発」が描かれる。

 

 逆恨みじゃないかと、女性が言う。

 なぜ7年も経って訴えたのかと、男性が言う。

 もっと上手くかわせば良かったのにと、かつての私が、きっと言うだろう。

 決して一枚板になれない世論が、生皮をはがされた女たちに突き刺さる。

 

 いつか見た世論に、いつか繰り返されたやり取り。フィクションと現実の境目を限りなく薄くする物語は、「さぁこれを知って、あなたはどうするの?」と、まっすぐに問うてくる。

 

 月島の認知の歪みに、自身が作り上げた防具のいびつさが重なる。あの時私は笑わなくて良かった。笑ってはいけなかったのだ。

 

 先日、山内マリコさんと柚木麻子さんが、映画業界における性暴力・性加害撲滅を訴えるステートメントを発表した。

 

 賛同者として16名の作家さんが名を連ね、その中には井上荒野さんの名前ももちろんある。出版界も同様だと声をあげて下さった深沢潮さん、許されることではないと追随して下さった作家の皆さんに、一読者として、そして一書店員として心からの感謝とエールを送りたい。

 

 誰かの尊厳を踏みつけにして作られた作品は、読みたくないし、売りたくもない。笑って、なかったことにしなくていい。

『生皮』を、一人でも多くの読者に届けたい。

 

 

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