垣谷美雨著『懲役病棟』重版記念! 巻末解説全文を無料公開!

『懲役病棟』解説全文掲載

 6月6日に発売した垣谷美雨さんの文庫オリジナル作品『懲役病棟』の重版が早くも決まりました!
 同シリーズ第一弾『後悔病棟』、第二弾『希望病棟』もそれぞれ重版し、累計24万部突破。これを記念し、村木厚子さんによる『懲役病棟』の解説文をまるごと公開します。元厚生労働事務次官にして、大のミステリファンである村木さんならではの解説文、まだの方はきっと同作を読みたくなるはず……。


 解説 物語に息づく三つのリアル

村木厚子(元厚生労働事務次官)

 読み始めてしばらくは、リアルさにとにかく圧倒されました。ここに書かれていることは本当のことばかりと思いながらページをどんどんめくっていったんですが、途中から「こんなにリアルだったら、どうやって話をまとめるんだろう?」と勝手にハラハラし始めたんです。そうしたら……エンターテインメントとしても見事な仕上がりになっていた。読み終えた今、垣谷美雨さんの『懲役病棟』を心からお勧めしたいと思っています。
 私は厚生労働省時代の二〇〇九年に、郵便不正事件で、身に覚えのない罪で逮捕・起訴され(※のちに無罪確定)、大阪拘置所に一六四日間勾留された経験があります。拘置所と『懲役病棟』の舞台である女子刑務所はまったく同じではないですけれども、登場人物たちが体験したものと近い現実を、私自身も体験しています。その後、法務省の「再犯防止推進計画等検討会」の構成員となり、国内外の刑務所を見学したり、関係者の方々に話を伺うなどしてきました。
 そんな自分の目から見て、『懲役病棟』には三つのリアルが記されているように思いました。「罪を犯す人のリアル」、「刑務所の中の暮らしのリアル」、「世間のリアル」です。
 一つ目の「罪を犯す人のリアル」は、小説の舞台となる女子刑務所に収監されている人々の人生にまつわるものです。
 多くの読者さんは罪を犯した人のことを、怖い人や悪い人、自分とは別世界の人だと思っているのではないでしょうか。そうではないんですよね。私自身何人もお会いしたことがあるんですが、普通の人なんですよ。どこかで「ちょっと待って」と言ってくれる人がいたら、刑務所まで来ていなかったはずだと感じる方々ばかりでした。でも、実際には罪を犯してしまった。
「第一章 万引き犯」の谷山清子さんは、貧困や家族との別離など複数の困難が襲ってきて、万引きを繰り返し、刑務所に入ることになってしまう。累犯になると、わずかな罪でも実刑になってしまうんです。四百三十円のお惣菜を盗んだことで刑務所に行く、しかも二年もの懲役を課せられることは、ほとんど知られていないと思います。
「第二章 殺人犯」の児玉美帆さんは、もともとは夫から執拗なDVを受ける被害者でした。しかし、耐えきれずに夫殺しの罪を犯してしまい、加害者となった。「第三章 覚醒剤事犯」の山田ルルちゃんは、悪い男にそそのかされてクスリに手を出してしまい、クスリを買うために風俗で働いていました。
 窃盗やクスリは女性に多い犯罪です。とくに前者は高齢の女性に、後者は若い女性の犯行が目立ちます。刑務所にいる女性たちの典型例を、一人一人の登場人物の物語に変換することで、罪を犯してしまう人々にはどんな背景があり、どんな状況に陥っていたのかが、ものすごくリアルなものとして胸に飛び込んでくるんです。
 二つ目の「刑務所の中の暮らしのリアル」は、刑務所の仕組みや受刑者が毎日どんなことをしているのかといったタイムスケジュール、そこで暮らす心情にまつわるものです。
 例えば、一番最初に私が「そうそう!」となったのは、刑務所や拘置所では、名前ではなく番号で自分が呼ばれることです。受刑者の女性たちが、外から手紙が届くのを待ちわびる気持ちや、食事と一緒に甘いものが出た時の嬉しさも、すごくよくわかる。私が入っていた拘置所は相部屋ではなかったので、イジメがあるかどうかだけはわからなかったんですが、刑務所の中の暮らしにまつわる「あるある」がいっぱい詰まっていました。
 刑務官の仕事ぶりが丁寧に描かれている点も大変興味深く読みました。今はずいぶんましになったんですが、女子刑務所の数が少ないゆえの過剰収容は一時期問題になっていました。高齢の受刑者の介護を刑務官が担わなければいけない。24時間の交代勤務であまりにも仕事がきつすぎてすぐ辞めてしまう人が多いというのは、小説に描かれている通りです。その一方で、そういった心情とはまた違う、刑務官の方々が胸に抱えたリアルも書かれている。
 刑務官は、刑務所の治安を維持し管理しなければいけません。武道の訓練を受けている方も多いですし、受刑者と私語を交わしてはいけないというルールも影響して、非常に厳しい人に見える。でも、もしかしたら意外に思われるかもしれませんが、みなさん受刑者の人たちを細やかに観察して、心配をしたり、優しい視線を向けたりしているんですよね。第一章は受刑者に対する刑務官のセリフで終わっていますが、実はこういう視線を刑務官の方々は持っていらっしゃるんです。
 なぜそう言えるかというと、私は大阪拘置所に入っていた時、女性刑務官の方々に本当にお世話になったんです。「本当にありがたかったんです」と周囲に話していたら、大阪で女性刑務官の研修が開かれた際、講師として私を呼んでいただいたことがありました。再会した方々や、初めてお会いする刑務官のみなさんにこの仕事の何が一番つらいですかと伺ったら、「刑務所から送り出した人が、また帰ってきた時です」と。刑務官個人の優しさと、そして仕事に伴う精神的なしんどさを教えられた出来事でした。この小説は、そこの部分にも想像をめぐらせている。
 そして三つ目のリアルが、「世間のリアル」です。
 全ての章にまたがって活躍する主人公は、舞台となる女子刑務所へ半年間限定でイヤイヤながらやって来たお医者さん、香織先生です。お嬢様育ちの香織先生は最初、罪を犯すような女たちを思いっきり見下しているんですよね。例えば、「刑務所に入っている時点でロクでもない女に決まっている」「努力すればいくらでも人生は好転する。(中略)だから同情の余地なんかない。それどころか税金を使って無料で三度のメシを食えるんだから、ずいぶんといいご身分じゃないの」と。世の中の多くの人が持っているような、罪を犯した人に対するイメージが、若い頃は暴走族に入っていたという過去を持つ香織先生らしい言葉で率直に記されています。
 きれいごとを言ったって始まらないと思うんです。香織先生が序盤からバンバンと世間の見方を口に出してくれることで、女子刑務所という特殊な舞台の物語を読み進めていくうえでのいい入口になっていますし、「実際に受刑者と接してみたら、イメージとは違っていた」というメッセージが強くなっている気がするんです。
 何より素晴らしいのは、今お話ししてきた三つのリアルが、小説というフィクションの中に綺麗に溶け込んでいる点です。ほとんどの読者さんはこの物語を、香織先生の側、罰する側や非難する側に自分を置いて読み始めると思います。ところが、読み進めるうちに「同じような状況になったら、もしかしたら自分も罪を犯してしまったかもしれないな」とか、「早く身元引受人が現れないかな」と、いつしか受刑者の女性たちの気持ちになりながら読んでいる。ノンフィクションのようにリアルな現状を情報として知るだけでなく、「この人は、自分だったかもしれない」という想像力を働かせてくれるのは、紛れもなく小説の力だと思います。
 小説の力という面で、これはとてもいいアイデアだなと思ったのは、胸に当てると患者の本音が聞こえる魔法の聴診器の存在です。現実からは浮遊した道具ですよね。しかも香織先生が使った後、看護師のマリ江さんも聴診器を使うじゃないですか。最初は「えっ。二人で使うの?」と驚いたんですよ。「誰でも使えちゃって大丈夫? 魔法のコンパクトはアッコちゃんしか使えないのに」と、要らぬ心配をしてしまいました。ところが、同じ相手に聴診器を当てていても、香織先生が見聞きするものと、マリ江さんが見聞きするものは、まったく同じではない。二人の経験や性格によって、かなり違ってくるんです。
 こういった物語の場合、自分の見ているものこそがたった一つの真実だと思った主人公が、それを振りかざして誰かを断罪してしまうことがありそうな気がします。でも、二人が聴診器を使ったことで、真実が相対化された。なおかつ二人がお互いの真実を突き合わせることで、より深い真実へとたどり着いていくという展開はとても説得力がありました。
 冒頭で、私は法務省の「再犯防止推進計画等検討会」の構成員を務めているという話をしましたが、その検討会で話し合ってきたことの一つが刑務所の中と外との繋がりです。今までは受刑者が刑務所を出る時は、刑務官から「もう二度と来るんじゃないよ」と言われてお別れをして、後ろで扉がガシャンと閉まり、そこから一人で生きていくというイメージでしたよね。でも、現実は、出た後こそが大変なんです。中にいる時は外で生活していく時の準備としてこういうことをやり、実際に外へ出た後も地域の中で暮らしていくためにこういう支援をして、というふうに刑務所の中と外を繋げ、息長く支援しようというような発想にようやく変わってきたんですよね。それは、刑務官の人たちが「また帰ってきたか」と悲しまないで済む方法を模索することでもあります。
 また、刑法の改定で今後、これまであった「懲役刑」「禁錮刑」が廃止されて、「拘禁刑」が創設されます。刑務所は受刑者を「懲らしめ」のために労働させる場所ではなく、その人が更生する、やり直すために働いたり教育を受けたりする場所になる。明治四〇年に刑法が制定されてから初の、百数十年ぶりとなる刑罰そのものの在り方の改正により、刑務所の位置付けが大きく変わろうとしているんです。
 こうしたタイミングで『懲役病棟』が出版されることには、運命的なものを感じます。私自身、この小説を読みながら、どうしたら人は罪を犯さずに済むのか、どうすれば罪を犯した人が立ち直れるのかについてまだ考え尽くせていないことがある、まだまだこれからできることはあると思いを新たにしました。本作が広く読まれることで、罪を犯してしまった人々や、彼らと関わる人々について知ってほしい、想像してほしいと心から願っています。 

(インタビュー構成・吉田大助)

  

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垣谷美雨

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「推してけ! 推してけ!」第38回 ◆『前の家族』(青山七恵・著)