◎編集者コラム◎ 『扉のかたちをした闇』江國香織、森 雪之丞

◎編集者コラム◎

『扉のかたちをした闇』江國香織、森 雪之丞


 日本の短詩系文学には古来からの「歌仙」という形式があります。単独作家の俳句ではなく、数人の作者が次々にリレーして一巻三十六句を織り成す。現代では大岡信・岡野弘彦・丸谷才一が「歌仙」を巻いています。楽しい「座の文学」。

 では、詩というジャンルではどうでしょう。ここでも日本の詩歌の伝統による新しい形の「連詩」という形式が生まれました。大岡信・谷川俊太郎・茨木のり子などが実作を発表しています。発表された作品を見ると三人以上数人という例が多いようです。

 そして、本書は二人の作家による「連弾詩」という、全く新しい形式で生まれた詩集です。まず一人が一篇の詩を書き、その詩に触発されて次の一人がもう一篇の詩を綴る。
 まず、集中の恰好の見本をお目にかけましょう。
 

女たちは  江國香織

 
男のひとは

愛に疲れやすいので
愛に倦まない女たちは
自分ひとりで愛に溢れる

 
無いかもしれない窓をあけ

無いかもしれない風をうけとめ
無いかもしれないりんごをむいて
無いかもしれないゆりかごを揺らす

 
無いかもしれない床を掃き

無いかもしれないシーツを洗い
無いかもしれない日ざしのなかで
無いかもしれない幸福に目を眩ませる

 
無いかもしれない腕に抱かれて

無いかもしれない星を眺め
無いかもしれない思い出を抱き
無いかもしれない永遠を生きる

 
女たちは

愛に溢れる
どうしようもなく
愛に溢れる
朝も昼も夜も
男のひとが
愛に倦んでも
 

 

男たちは  森雪之丞

 
女のひとは

愛をむさぼり生きるので
愛を産めない男たちは
夢を耕して愛を補う

 
あるに違いない未来を語り

あるに違いない成功に酔い
あるに違いない幸福に目を細め
あるに違いない平凡を享受する

 
あるに違いないりんごを頬張り

あるに違いない哺乳ビンを冷まし
あるに違いない住宅ローンも厭わず
あるに違いない愚痴にも耳を傾ける

 
あるに違いない浮気を隠し

あるに違いない苦難を乗り越え
あるに違いない「やがて」に脅えながら
あるに違いない別れの朝まで

 
男たちは

夢を耕す
愛を補えると信じて
夢を食わせる
朝も昼も夜も
女のひとが
消化しきれず夢を吐いても
 

 

 これが「連弾詩」です。
 これを雪之丞さんは詩の中でこう書いています。
「二人はまるで/二人で一冊の本を綴る」
 個性も作風も違う二人の作品が、寄り添い、離れ、もつれ合い、愛と孤独を歌う。
 二人の言葉が、時を超えて自由に響き合い、音楽のように、そして、恋文のように私たちの胸を打つ――こんな斬新な詩集が生れました。
 詩を読むことがこんなに楽しいなんて! ご一読をお薦めします。

 ご紹介するのは親本の単行本発売を記念して、2017年1月23日(月)に開催された「朗読会」のパンフレットです。同じ日に夕方と夜の二公演だけ、会場は日本橋三井ホール(全席1000人)。出演者は、作者の二人に加えて神木龍之介さんと加藤貴子さん。会場は若い人を中心に満員。単行本の直売もあっという間に売り切れという盛況でした。
 単行本は、1760円(税込)、今回の文庫は726円(税込)ですから、実にお買い得。ぜひとも若い読者に届けたいと、担当編集者は願っております。

──『扉のかたちをした闇』担当者より

扉のかたちをした闇

『扉のかたちをした闇』
江國香織、森 雪之丞

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