◎編集者コラム◎ 『WIN』ハーラン・コーベン 訳/田口俊樹

◎編集者コラム◎

『WIN』ハーラン・コーベン 訳/田口俊樹


「WIN」編集者コラム

偽りの銃弾』『ランナウェイ』『森から来た少年』と、近年の3作品を小学館文庫からご紹介してきたハーラン・コーベン。過去33作がNYタイムズのベストセラーリストの1位になり、世界中で45言語・7500万部以上が刊行され、近年は Netflix とのコラボレーションで自身の過去作品群の映像化制作も手がけている、アメリカきっての超売れっ子作家です。そんなコーベンさんの原点であり、彼の名を一躍有名にしたのが、90年代からはじまった「マイロン・ボライター」シリーズ。スポーツエージェントのマイロンが、相棒ウィンの協力を得て事件を解決していくシリーズは、日本でもハヤカワ・ミステリ文庫から7作が紹介され、その面白さは今もファンの間で語りぐさに。

 そんな〝伝説〟のシリーズがいよいよ日本で復活!マイロンの相棒ウィンを主人公にしたスピンオフが、最終巻からなんと20年の時を経て帰ってきました。記念すべき本作『WIN』の解説を書いてくださったのは、ウェブサイト「翻訳ミステリー大賞シンジケート」の原書レビュー「え、こんな作品が未訳なの!?」でたびたびコーベン作品を取り上げている「マイロン・ボライター・シリーズ・サポーター」こと翻訳家の三角和代さん。「マイロンとウィンならウィン一択」と断言する三角さんの、推しへの思いとシリーズへの愛、そしてなんと言っても本作の圧倒的な面白さを感じて頂きたく、解説全文を掲載致します。ぜひ、本作と共にお楽しみ下さい!

 
 解説 帰ってきた推し

三角和代


 九〇年代、翻訳の勉強をしていた頃に出会ったマイロン・ボライター・シリーズは、すぐに大のお気に入りとなった。陽気で愛と正義を信じるマイロンと、冷静で現実を直視するウィンという正反対のようだが仲のいいふたりのかけあいに、同じ時代のグルーヴを強く感じたからだ。そしてこのシリーズを読んでいる人に出会うと、すかさず訊ねた。「マイロンとウィン、どっち派?」
 ウィンやろ? ウィン一択やん。
 シリーズを連続して七冊発表したところで、著者ハーラン・コーベンは毎年、単発作品を書くようになった。数冊は日本でも刊行されたが、全作品を日本語で読むことはできなかった。しばらくしてアメリカ本国ではシリーズが復活し、数年おきにぽつりぽつりと発表されたのだが、そちらは翻訳されなかった。単発作品の日本での紹介もとまってしまった。
 三角は悲しかった。でも、みんな、推しを応援しつづけていれば、こういう日が訪れることもある。
 単発紹介が再開したことに続いて、シリーズのスピンオフ、それも我らが冷血王子を主役とした『WIN』が日本語で読めるとは!


 ウィンの本名はウィンザー・ホーン・ロックウッド三世。ミッドタウンの一等地に家業の証券会社が入った超高層ビルを持つ資産家で、ウォール街伝説の財務コンサルタントである。ニューヨークでは名だたる高級アパートメントのダコタで暮らし、フィラデルフィアには父の住む広大な屋敷がある大富豪だ。お金はあるし、仕事はできるし、顔もよしという、傍から見ればなんとも恵まれた人。趣味は暴力とセックス(このふたつを同時にではない)。ただし、他人が暴力をふるうのは断じて許さない。ある夜、地方で〝成敗〟をおこなった後、華麗にプライヴェート・ジェットでニューヨークにもどると出社、かつてマイロンのスポーツエージェント会社を間借りさせていたフロアで昔を懐かしんでいた。会社は売却されマイロンはフロリダに引っ越したのだが、ウィンは親友がもどると信じて長いこと空室にしていた。いまではハラスメントや暴力の被害にあった女性のための法律事務所が入居中だ。代表のセイディはマイロンと同じく、暴走するウィンをひきとめる役割を担っている。
 そこにFBI捜査官たちがやってきてウィンは同行を求められた。やっば。昨夜なにかミスったか? しかし、連れていかれたのはFBI支局ではなくウィンの住まいに匹敵するアパートメント、ベレスフォードの最上階。殺人事件が起きたのだ。建物は超高級だが、その部屋は散らかり放題、ものを貯め放題。外出が少なく、ドアマンたちから世捨て人と呼ばれ、ウィンが〝貯蔵家〟と名付けた被害者の身元は不明だ。なぜ自分が呼ばれたのかふしぎでならない。しかし、寝室の壁にかけられた一枚の絵画を見た瞬間、理由がわかった。フェルメールの『ピアノを弾く少女』。ウィンの一族の所有物だ。
 この絵画は曾祖父が購入したもので、二十数年前、ギャラリーにピカソの『本を読む人』ともども貸しだしたのだが、盗難にあっていた。その絵がどういった経緯でここに? ピカソもここにあるのか? こちらは盗難の被害にあった側だというのに、FBI捜査官たちがウィンに疑いの目を向けていることはあきらかだった。寝室にはさらに意外な品が置かれていたのだ。ロックウッド一族の紋章が入った革のスーツケース、しかも〝WHL3〟のイニシャルつき。ウィンはルームメイトだったマイロンともども大学卒業直後にFBIで働いた経験があり、捜査官たちをのらりくらりとはぐらかすのもお手の物で、すぐにいとこのパトリシアに連絡を取る。ウィンとパトリシア、ふたりが殺人の容疑者となる可能性が高いからだ。
 マイロンなどごく一部を除けば人間にはたいして深い感情を持つことのないウィンだが、八歳の時から口をきかず終わった母親を除けば、身内とはそれなりに誠意ある関係を保っているし、気骨あるサバイバーのパトリシアのことは尊敬している。問題のスーツケースはウィンがパトリシアに譲ったものだ。現在ウィンと同じ四十代の彼女は十八歳のとき、目の前で二人組に父親を殺害され、誘拐され、五カ月間、森の小屋に閉じこめられ、命からがら逃げだした。この事件はほかにも殺害にまでいたった少女たちが何人もいたことが判明し、大事件に発展していた。助からなかった少女たちの無念を晴らすかのように、彼女はDVなどトラブルに巻きこまれた若い女性を保護するシェルターを運営して積極的に活動している。ただし、あの五カ月間についてパトリシアはこれまで語ってこなかった。聞けば、スーツケースは誘拐されたときに犯人たちの指示で持ちだしたのだという。犯人たちは常に顔を隠すか、パトリシアに目隠しをするかしていたこともあり、なんの手がかりもなかった──これまでは。
 パトリシアと自分のために多くを語りたくないウィンだが、FBI時代に世話になったPTから連絡が入り、事情を話すしかなくなる。そして殺人事件の被害者〝貯蔵家〟の意外な身元が判明し、事件はさらに複雑に。法にのっとった手続きしかできないFBIの外で動ける人間がほしいとPTから非公式な調査を頼まれたウィン。聞き込みすべき人数を考えただけでも大仕事になるが、いままでのようにマイロンに協力を求めることはできない。両親の近くで、愛妻と穏やかに暮らす彼の邪魔はできないから。


 推しが主役でしかもオモロいって、こんな贅沢なことあっていいの?
 視点がガラリと変わる仕掛けは、『偽りの銃弾』しかり、『ランナウェイ』しかり、『森から来た少年』しかり、コーベンが一貫して磨きをかけてきたもので、その結晶のような作品だ。真実は目の前にあるというのに、人は自分が見たいものだけを見て都合よく解釈してしまうというのを突きつけられる。浮かびあがるのは、判断の基準はグレーで、はっきり善と悪を区別することはいかにむずかしいか、というテーマ。武術の達人で銃の扱いにも長け、倫理観が世間と大きくずれている狂犬ウィンは、更生の見込みのない者に対しては正義の執行などあてにせず、力でとめるべき、という考えの持ち主。かつてこの点でマイロンとさんざん議論になったように、本書でも法の裁きが大切だと主張するセイディと対立する場面も。ウィンの考えかたは危険だが、考えさせられる。人がみなウィンと同じことをしないのは手段がないだけでは、と、ぞくっとする。また、こうした設定の主人公だけにきらびやかな世界が中心の本書だが、普通の人々の生活感のある描写も見逃せない。『イノセント』で顕著だったが、特に〝加害者〟側とその家族も〝犯罪〟にかかわるまでは、あなたやわたしと変わらない人生を送ってきた感情を持つ人間であることが鮮やかに描かれ、その痛切さに胸を打たれる。ここについてほかの人はどこまでを罪ありと判断するんだろう? と、読み手もグレーゾーンで悩ませ、読了仲間と話しあってみたくなる本なのだ。
 コーベンがえらいのは、けっして軽くはない主題をあくまでも読みやすく書いているところだ。会話文はウィットに富み、切れ味がよくてユーモアをはさむお洒落な地の文は読んでいるだけで楽しいし、そこにちょいちょい人の心の真実が投げこまれるのがアクセント。華がある。複数の事件がからみあった複雑な話であるのにテンポがいいのは、スタイリッシュな文章のおかげなので、見事なミステリ要素、普遍的なテーマだけでなく、そこも注目だ。
 そして脇役にいたるまでひねりのあるキャラクター造形が得意なコーベンだから、なんと言っても主人公の魅力が本書の特徴である。いかにも優男で、ギリシャ彫刻みたいなイケメン、歩くエリート階級の外見とは裏腹に、ギャングもびっくりの戦闘能力で悪をバッサバサと斬っていくなんて、このギャップはずるいよ。ねじまがったように見えるウィンだが、人に愛着を持たないのは弱みを作らず自分を守るため。割り切っていて情に流されない。たとえば、マイロンは保守的な価値観を持って安定しているように見えるもののじつは逆で、感情によって判断基準が揺れ動く幅が大きかった。それが普通のことで、人間くさくもある魅力なのだけど。一方、そんなマイロンからはなにも迷うことがない人間だと見えていたウィンだが、実際は彼なりにグレーゾーンはあって、それでも自分と一握りの大切な人間の利益のために動く基本はブレない。大切な存在には見返りさえも求めない潔さは好ましく、そのスタンスがうらやましくもあるから彼のことが推しなのかもしれん。そして〝恵まれた人〟に見えるがめっちゃ努力家のところも加点。冷血王子ウィンだが、なんとあらたに大切な存在ができて、だいぶ穏やかになった。グレーだらけの世の中だが、彼から見える風景には希望というやつがある。


 本書だけでウィンやシリーズのこれまでについて必要なことは自然と伝わる内容になっているので心配はいらないが、シリーズをあらためて少しだけおさらいしよう。マイロン・ボライターはプロになりたての開幕戦で負傷してバスケ選手を引退し、スポーツエージェント会社を設立した。シリーズはアメフト、テニス、バスケ等、毎回異なるジャンルの顧客が事件に巻きこまれ、エージェント業と素人ながらFBIで働いた経験を持ち、弁護士資格もあるマイロンが、顧客の財務面のアドバイスを一手に引き受けているウィンの強力な助けを得て事件を解決していくスタイル。TVドラマや音楽のトリヴィアをふんだんに取り入れた軽妙な作風で、シビアな現実を描く。会社にはもうひとり、アシスタントから後に共同経営者となるエスペランサという元女子プロレスラー美女が三人目の親友として存在し、ノリで脱線しがちな男ふたりをビシビシ指導していた。もしも『WIN』のスピンオフの続きがあるのなら、彼女の活躍も読んでみたいところだ。姐御肌で、現役時代にタッグを組んでいたビッグ・シンディの世話を焼いて会社で働くよう紹介したり、マイロンがどん底に落ちこんだときに有無を言わさず慰める戦法をとったり、これがいいキャラなんで(ウィンについては世話を焼く必要がない。王子、さすがです)。


■著作リスト(邦訳があるものについてはその刊行年)


〈マイロン・ボライター・シリーズ〉
Deal Breaker 『沈黙のメッセージ』(中津悠訳/早川書房〈※印以下同〉/一九九七)*エドガー賞ペイパーバック(以下PB)賞候補、アンソニー賞PB賞受賞
Drop Shot 『偽りの目撃者』(※一九九八)
Fade Away 『カムバック・ヒーロー』(※一九九八)*エドガー賞PB賞受賞、シェイマス賞PB賞受賞、バリー賞PB賞候補
Back Spin 『ロンリー・ファイター』(※一九九九)*シェイマス賞PB賞候補、バリー賞PB賞受賞
One False Move 『スーパー・エージェント』(※二〇〇〇)
The Final Detail 『パーフェクト・ゲーム』(※二〇〇一)
Darkest Fear 『ウイニング・ラン』(※二〇〇二)
Promise Me(二〇〇六)
Long Lost(二〇〇九)
Live Wire(二〇一一)
Home(二〇一六)


〈マイロン・ボライター・シリーズのスピンオフ:ミッキー・ボライター〉
Shelter(二〇一一)*エドガー賞ヤングアダルト賞候補
Seconds Away(二〇一二)
Found(二〇一四)


〈マイロン・ボライター・シリーズのスピンオフ:ウィンザー・ホーン・ロックウッド三世〉
Win 『WIN』本書


〈ワイルド・シリーズ〉
The Boy from the Woods 『森から来た少年』(田口俊樹訳/小学館/二〇二二)
The Match(二〇二二)


〈単発作品〉
Play Dead(一九九〇)
Miracle Cure(一九九一)
Tell No One 『唇を閉ざせ』(佐藤耕士訳/講談社/二〇〇二)*エドガー賞長編賞候補、バリー賞長編賞候補、マカヴィティ賞長編賞候補、アンソニー賞長編賞候補
Gone for Good(二〇〇二)
No Second Chance 『ノー・セカンドチャンス』(山本やよい訳/ランダムハウス講談社/二〇〇五)
Just One Look(二〇〇四)
The Innocent 『イノセント』(山本やよい訳/ランダムハウス講談社/二〇〇六)
The Woods(二〇〇七)
Hold Tight(二〇〇八)
Caught(二〇一〇)*エドガー賞長編賞候補
Stay Close 『ステイ・クロース』(田口俊樹訳/ヴィレッジブックス/二〇一三)
Six Years(二〇一三)
Missing You(二〇一四)
The Stranger(二〇一五)
The Magical Fantastical Fridge(二〇一六)*リア・ティナリとの共作絵本
Fool Me Once 『偽りの銃弾』(田口俊樹+大谷瑠璃子訳/小学館/二〇一八)
Don’t Let Go(二〇一七)
Run Away 『ランナウェイ』(田口俊樹+大谷瑠璃子訳/小学館/二〇二〇)
I Will Find You(二〇二三刊行予定)  


 マイロンの甥ミッキーを主役としたスピンオフのシリーズが登場して世代交代の雰囲気が漂い、現時点でのメインシリーズ最新作となる Home はそれまでの物語の大団円を思わせる内容。インタビュー記事によるとコーベンは今後もマイロン・シリーズは書くつもりだが、それがいつになるかはわからないと語っていたものの、彼は現在では Netflix で自作品ドラマ化の制作にかかわる多忙な売れっ子。そんなとき、日本での最後のシリーズ作品刊行から二十年の時を経て登場したこの本当に嬉しいサプライズ。シリーズのファンには見覚えのある名前があったり、ノスタルジーを感じずにいられない描写があったり、これまでの長い歴史がさらりと詰めこまれた一冊が、あたらしいウィン推しをたくさん獲得することを心から願う。みんな、こっちにおいで。


マイロン・ボライター・シリーズ・サポーター 三角和代

(みすみ・かずよ/翻訳家)

 
──『WIN』担当者より

WIN

『WIN』
ハーラン・コーベン 訳/田口俊樹

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