◎編集者コラム◎ 『絞め殺しの樹』河﨑秋子
◎編集者コラム◎
『絞め殺しの樹』河﨑秋子
河﨑秋子さんは2024年2月に『ともぐい』で直木賞を受賞された。『絞め殺しの樹』はそれに先立ち、2022年7月に第167回直木賞候補作となった作品である。第一部では北海道・根室で多難の道を歩き続けた助産婦・橋宮ミサエの生涯が描かれ、第二部ではその息子・雄介が母の人生を辿りながら成長してゆく姿が描かれていく。
ここでは、その第一部と第二部の概要を紹介したい。
●第一部
北海道根室で生まれ、新潟で育ったミサエは、両親の顔を知らない。母はミサエを産んで三日後に死んだ。父親について、生前の母は誰にも教えないままだったという。根室港近くで雑貨店を営みながらミサエを育ててくれた祖母は、四歳の時に乳が腫れ上がって死んだ。祖母の死後、ミサエは遠縁にあたる新潟・新発田の橋宮家に引き取られた。昭和十年、屯田兵として入植したことを誇りとする吉岡家に引き取られる形で根室に舞い戻った十歳のミサエは、農作業、畜舎の手伝い、家事全般を背負わされ、ボロ雑巾のようにこき使われていた。当初は学校にも通えなかったミサエだが、吉岡家に出入りする薬売り・小山田武臣に見込まれて、十五歳で札幌の薬問屋「仙雲堂」で奉公することになる。よく働くミサエを気に入った「仙雲堂」の主は、ミサエを北海道帝国大学医学部附属医院看護講習科に通わせる。戦後、保健婦となったミサエは、世話になった小山田の懇願もあり、医療従事者不足に悩む根室に戻り、暮らすようになる。吉岡家の紹介で見合いをした銀行員の木田浩司と結婚。娘の道子が生まれるが、木田は登山ばかりしていて家庭を顧みない。小学四年生になった道子は、小山田の息子・俊之を中心とした数人にいじめを受け、森の中で首を吊り自殺してしまう。道子の死を悼もうともしない木田と、ミサエは離婚を決意する。しかし、お腹の中には新しい命が宿っていた。男の子を産んだミサエは、生まれたばかりのその子を吉岡家の養子に出す。一人になったミサエは保健婦の仕事を続けていたが、重い病に冒されてしまう。
●第二部
吉岡家の養子となったミサエの息子・雄介は、苛烈な生活を送っていた。豪放と粗野を勘違いし、身内の行動はすべて自分の支配下にないと我慢がならない父親の一郎。そして、事あるごとに「お前は養われ子なんだから、養われた後はうちを継いでみんなに楽をさせるんだ」と呪文のように言い続けた祖母のタカ乃。気の強い祖母に負けつつも、頑固を形にしたような祖父の光太郎。母のハナは気が弱く、雄介が父や祖父母から理不尽なもの言いをされても、庇ってくれることはまれだ。姉の敏子は、高校卒業後、東京に就職し、実家には戻ってこない。雄介は高校生になったころから、実母と親交のあった叔母のユリから、その人となりを聞かされていた。険しい道を、静かに歩み続けた人だったと。成績優秀な雄介は、北大に進み、札幌で人並みの大学生活を送っていた。そこに現れたのが、実の姉を死に追いやった小山田俊之だった。北大の先輩でもある俊之は、雄介に「君の母親と姉が死んだのは、人間として弱かったからだ」と言い放つ。雄介は、根室で近代的な農場経営をしながら、政治家を目指す俊之との対決を決意する。大学四年生となった雄介は、祖母タカ乃の葬儀に参列するため、根室に数年ぶりに帰郷した。祖父は数年前に亡くなり、祖母も死んだ。雄介は葬儀のあと、母のハナに一つの決断を促す。そして大学卒業後、この地へ舞い戻り、静かで、温かで、光差す場所を作ることを決意する。
最後に、作中でハナが晩年のミサエに投げかけた言葉を紹介したい。
「あなたは、哀れでも可哀相でもないんですよ」
明るい物語ではないかもしれない。しかし、河﨑さんの文章には、人の心を修復する力がある。これからずっと読み継がれていくに違いない、新・直木賞作家入魂の一冊です。
──『絞め殺しの樹』担当者より