宇佐美まこと『ボニン浄土』
「ボニン」の島 小笠原
ずっとずっと小笠原諸島のことが気になっていた。小笠原諸島が世界遺産に登録される前から、さらに言うと小説家になるもっと前から、私は行ったこともない島のことを考えていた。東京から千キロ、船で二十四時間もかかる島。かつて一度も大陸とつながったことのない海洋島。そのせいで、固有種の宝庫。加えてまれにみる特殊な歴史を経てきた島でもある。
江戸時代後期、幕府が辰巳無人島(たつみむにんしま)と名付けたまま、捨て置かれた島に最初に住みついたのは、欧米系の人々とハワイアンたちだった。海を渡ってきた彼らは、この島でたくましく、したたかに生き抜いた。農業や漁業を営み、家畜を飼った。そして寄港する捕鯨船と交易を始めた。太平洋の中にぽつんと浮かぶ島は、補給基地として航海者の間に知れ渡り、当時の西洋の地図には、日本語の「むにん」がなまった「ボニン」が採用されて、「ボニン・アイランド」と記されている。
鎖国中の日本人のあずかり知らぬところで、無人(ボニン)島は輝きを増していった。「ボニン」という不思議な響きも、私を惹きつけてやまない。長い間、人が住まない島だったということを、人の心に刻みつけるような名前ではないか。
大海原を渡ってきた最初の移住者たちはどんな暮らしをしていたのだろう。二度と故郷に戻ることなく、見知らぬ土地で根を張ることは、どんな意味があったのか。時には、漂流の末に日本人がたどり着くこともあった。島民は彼らに救いの手を差し延べ、故国に戻る手助けをしたと資料にはあった。何という寛容さ。懐の深さ。それは島そのもののあり様にも通じている。人が住もうが住ままいが、悠久の時をひとり海に浮かんでいた島。繰り返す潮騒を聞く者もなく、咲く花を愛でる者もなく、それでもただそこにあり続けた孤高の島。
私の中で物語の種が生まれていた。長年、想像という肥料を与え続けたせいで、種は芽を出して大きく成長していった。こうなったらもう書くしかない。この島に初めてやって来た人々の思いを現代にまで引き継ぐ物語を。「ボニン浄土」はそんなふうにして生まれた。これはその後、「書く」という術を身につけた私が、真に書きたかった物語である。