凪良ゆう『流浪の月』が受賞! 2020年本屋大賞受賞作発表!

2020年の本屋大賞受賞作が発表され、凪良ゆう『流浪の月』の受賞に決定! 編集部では、事前に全ノミネート作品のあらすじ付きレビューと受賞予想を実施しました。記事を振り返ってみましょう!

4月7日(火)にいよいよ発表される、2020年本屋大賞。2018年12月1日から2019年11月30日までの間に刊行された日本の小説を対象に、全国の書店員が「面白かった」、「ぜひ薦めたい」と感じた本の上位10作品の中から投票がおこなわれ、大賞が選ばれます。

P+D MAGAZINEでは今回も、2020年本屋大賞の全ノミネート作のあらすじ付きレビュー&受賞予想をお届けします!

1. 砥上裕將とがみひろまさ『線は、僕を描く』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4065137594/

『線は、僕を描く』は、新進気鋭の水墨画家、砥上裕將による小説です。砥上裕將は本作で第59回メフィスト賞を受賞しデビューしました。

『線は、僕を描く』の主人公は、大学生の青山霜介。霜介は高校生のときに交通事故で両親を失い、深い喪失感とともに人生を送っていました。しかしあるとき、親友に半ば押しつけられる形で受けた展覧会の設営のアルバイトで、水墨画の巨匠・篠田湖山に出会います。水墨画を初めて鑑賞する霜介の様子を見た湖山は、なんと“プロの水墨画家顔負けの凄い目を持っている”と霜介の鑑賞眼を称賛します。

僕がとくに目を惹かれたのは、花や草木の絵だった。
真っ白い画面の中に封じ込められた花や草木は、ほかには何もないからこそ花のみずみずしさや、草木の生命感を表しているように思えた。
シンプルなものにどうしてこんなにも目が留まるのだろう、と自分でも不思議なほど余白の多い簡単そうな絵に惹かれた。

……そんな、素直でありながらも曇りのない霜介の感想を耳にした湖山は、突如、“この若者を弟子にしようと思う”と言い出します。その言葉に猛反発したのが、展覧会に絵を出展していた湖山の孫・千瑛でした。霜介をライバル視した千瑛は、優れた水墨画に贈られる翌年の「湖山賞」をかけて、霜介と勝負すると宣言するのです。

霜介は、生まれて初めて触れる水墨画の技術を戸惑いながらも会得していくなかで、なにも描かれていない白い紙のように“真っ白”になってしまった自らの心をすこしずつ癒やしていきます。

湖山先生は言葉を繰り返した。
「いいかい。水墨を描くということは、独りであるということとは無縁の場所にいるということなんだ。水墨を描くということは、自然との繋がりを見つめ、学び、その中に分かちがたく結びついている自分を感じていくことだ。その繋がりが与えてくれるものを感じることだ。その繋がりといっしょになって絵を描くことだ」

そんな湖山の言葉を胸に刻み、千瑛を始めとする同世代の仲間たちと切磋琢磨しながら水墨画に魅せられてゆく霜介。本作は、水墨画の魅力の一端を知ることができるのはもちろん、ひとりの若者の成長譚としても感動的な物語です。「週刊少年マガジン」で漫画化もされ、早くも注目を集めている1作です。

2.早見和真『店長がバカすぎて』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4758413398/

『店長がバカすぎて』は、映画化・漫画化された『ひゃくはち』、ドラマ化された『小説王』など、数々のヒット作品を生み出してきた早見和真による小説です。

本作の舞台は、東京・吉祥寺にある中規模書店、「武蔵野書店」。主人公の書店員・谷原京子は、とにかく本が好きな28歳の契約社員です。京子は、“バカすぎる”と密かに感じている、非・敏腕店長、山本猛のもとで働いていることにいつも苛立ちを感じています。

店長はしたり顔を浮かべ、うしろに組んでいた右手を挙げた。
「ええ、私は今朝出社してこの本を購入しました。まだパラパラとしか読んでいませんが、とても興味深く、タメになることが書いてありそうです。良かったらみなさんも読んでください。興味があるようでしたらお貸しいたしますので」
書店の店長という立場でありながら、平気で「本を貸す」などと口にしてしまう精神性に腹が立つ。著者に還元するという意識が決定的に足りていない。
もっと頭に来ることがある。私が何よりも許せないのは、それこそ書店の店長という立場であるくせに、この人がたいして本を読んでいないことだ。

どこかズレた店長を始めとする武蔵野書店の関係者たちの行動・言動は、マイペースすぎたりパワハラじみていたりと、「こんな職場で働きたくない!」と思うようなものばかり。面倒な取引先とのコミュニケーション、難しい後輩の指導など、京子が振り回される職場でのできごとは、書店員ではなくとも会社に所属した経験があれば「あるある」と共感してしまうこと間違いなしです。

「店長がバカすぎて」、「小説家がバカすぎて」、「弊社の社長がバカすぎて」……と名づけられた章ごとに展開していく本作の最終章は、「結局、私がバカすぎて」。そのタイトル通り、物語の最後には、京子がとある衝撃的な事実に気づくというオチが待っています。コミカルでありながらラストにはどんでん返しも楽しめる、一気読み必至の1冊です。

3. 青柳碧人あおやぎあいと『むかしむかしあるところに、死体がありました。』


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『むかしむかしあるところに、死体がありました。』は、青柳碧人による短編集です。本書はそのユニークなタイトル通り、“日本昔ばなし”と“本格ミステリ”をかけ合わせた斬新な1冊です。

1話目の収録作である『一寸法師の不在証明』では、鬼に襲われそうになった春姫を助けた堀川少将こと「一寸法師」に、村の外れで冬吉という男を殺した容疑がかけられます。春姫の家来のひとりである主人公・江口は、一寸法師を疑う黒三日月という正体不明の男の証言を手がかりに、事件の真相を解き明かすべく、調査に乗り出します。

ある日、どこからともなく現れては「小さくて可愛い」と春姫に気に入られ、姫を助けたことで一躍ヒーローとなった一寸法師。そのあまりの手際のよさが怪しい、と黒三日月は江口に語ります。黒三日月の話によると、殺された冬吉は以前、一寸法師を家に泊めたことがあったというのです。しかも冬吉が死んだ際、彼の家の戸には内側からつっかえ棒がしてあり、戸には一寸ほどの隙間だけが空いていた──と黒三日月は言います。

ところが、その話を聞いた江口は、一寸法師は犯人であるはずがないとすぐに反論します。なぜなら、冬吉が死んだというまさにその時間、一寸法師は江口や春姫たちの目の前で鬼と闘っていたからです。

果たして、本当に一寸法師が冬吉を殺したのか? そうだとすれば動機は一体何なのか? ……江口は村の住人たちの証言を集めつつ、一寸法師の鉄壁のアリバイを崩すために健闘します。

本書には他にも、殺されてしまった花咲かじいさんの伝言をめぐる『花咲か死者伝言』、竜宮城で殺された伊勢海老の事件の真相に迫る『密室竜宮城』など、ユニークかつ本格的なミステリが4篇収録されています。誰もがよく知る日本昔ばなしが途中であっと驚くようなストーリーに変化する醍醐味を楽しむことができる1冊です。

4.凪良ゆう『流浪の月』


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『流浪の月』は、もともとはボーイズラブ小説の書き手であり、近年はその繊細な筆致で幅広い読者を獲得しつつある凪良ゆうによる長編小説です。

本作の主人公は、自由な生活を謳歌する両親に育てられた小学生の少女・更紗。更紗は、昼間からお酒を飲むなど「我慢をしない」ことがモットーの母親と、そんな母親を心から愛している父親のことが大好きでしたが、近所の人たちや親戚からは密かに浮世離れした家庭だと陰口を叩かれていました。

満ち足りていた更紗の生活は、父親が病気で他界し、その直後に母親が更紗を捨てて失踪してしまったことで一変します。更紗は叔母の家に引き取られますが、厳格な叔母・叔父のしつけと、従兄の孝弘が更紗に夜な夜なしてくる性的ないたずらが原因で、いつしか「死んでしまいたい」と思うようになっていました。

そんな更紗を救ったのは、同級生の少女たちから“ロリコン”と噂されている大学生の男子・。毎日公園にやってきては、遊ぶ少女たちの姿をぼんやりと見ている文に、更紗はある日の夕方、話しかけられます。

「帰らないの?」
甘くてひんやりしている。半透明の氷砂糖みたいな声だった。
濡れた髪をぺったりおでこに貼りつかせているわたしとちがって、男の人は全体的にさらさらしていた。それに近くで見てわかった。この人、すごく綺麗な顔をしている。奥二重の切れ長の目で唇が薄い。(中略)
──そうか。この人、お父さんにちょっと似てるんだ。
ぽかんと見上げていると、『この子、馬鹿なのかな?』という顔をされた。
「帰りたくないの」
わたしは慌てて言った。お父さんに似た人に馬鹿と思われたくない。
男の人はビニール傘をわたしの頭の上に移動させた。
「うちにくる?」

その言葉に頷き、文の家についていった更紗は、真面目で世俗に疎い文の言動に驚きつつも、伸び伸びとした生活を送ります。しかし、世間では更紗は文に“誘拐された”と思われており、実際に2ヶ月後、文は更紗の目の前で誘拐犯として逮捕されてしまうのです。

本作の最大の読みどころは、そんな更紗と文が大人になって再会を果たし、再び関係を築いてゆくまでの過程です。ふたりの間には世間が邪推するような恋愛感情はなく、ただ、それ以上に大きな信頼関係があります。文を心から信頼し、恋愛や性的な欲求はなくともただ一緒にいたいと願う更紗の一途な思いには、強く胸を打たれる方も多いはず。恋や愛だけではない気高い関係のあり方を真正面から描いた、優しくも挑戦的な小説です。

5.知念実希人『ムゲンのi』


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『ムゲンのi』は、知念実希人によるミステリ小説です。知念実希人は『崩れる脳を抱きしめて』、『ひとつむぎの手』に続き、3度目の本屋大賞ノミネートとなります。

本作の主人公は、医師・識名愛衣。愛衣の勤める病院には、昏睡状態に陥ったまま二度と目を覚まさない、“イレス”という原因不明の病に罹っている患者が4名入院しています。主治医として、“イレス”の治療法がわからず途方に暮れている愛衣にヒントを与えたのは、“ユタ”と呼ばれる不思議な力を持つ愛衣の祖母でした。

祖母は、患者たちがイレスに罹った原因を、“マブイ”と呼ばれる魂がなんらかの理由で吸い取られてしまったからだと説明します。患者たちの魂を取り戻し昏睡状態から目覚めさせるためには、“ユタ”の力を使って患者たちの夢の世界に入る必要があり、孫である愛衣にも“ユタ”の力が宿っている──と言うのです。

半信半疑で祖母に聞いた呪文を唱えた愛衣は、いつの間にかイレスの患者たちが見ている夢の世界に入り込んでいました。その世界には“ククル”という猫のような動物がおり、愛衣はククルとともに、患者たちの夢を辿ってそれぞれの記憶に隠された謎を解くことになります。

夢の世界を可愛らしい動物とともに旅する、という前半の展開はとてもファンタジックですが、ストーリーが進み、患者たちの記憶にある“共通点”が見えてくると、徐々にミステリ要素が強まっていきます。

本作は現実と夢の世界を行き来しながら進みますが、愛衣がイレスの患者たちの夢の世界で奮闘しているころ、現実世界では少年Xという連続殺人犯が世間を賑わせていました。患者たちの記憶にこの連続殺人犯が関わっていることがわかったことで、物語は一気に急展開を見せていきます。

ミステリとしての完成度はもちろん、“記憶”や“死”をめぐる濃密で感動的なストーリーも読みどころ。上下巻の大ボリュームでありながら、息つく暇を一切与えないような1冊です。

6.横山秀夫『ノースライト』


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『ノースライト』は、『動機』や『半落ち』、『クライマーズ・ハイ』などの話題作を続々と発表してきた横山秀夫が、作家生活21年目にして書き上げた長編ミステリ小説です。

主人公の青瀬稔は、45歳の一級建築士。離婚した妻・ゆかりとの子どもである日向子が中学生になり、月に一度の父娘面会の時間を迎えるたびに、成長して大人になっていく娘とどう対峙するべきかに悩んでいます。

そんな青瀬の建築士としての代表作は、信濃追分に数ヶ月前に建てたばかりの「Y邸」でした。この「Y邸」は、施主である40代の吉野夫妻に“あなた自身が住みたい家を建てて下さい”と言われたことをきっかけに生まれた家です。

「北向きの家」を建てる。その発想がぽかりと脳に浮かんだ時、青瀬はゆっくりと両拳を握った。見つけた。そう確信したのだ。信濃追分の土地は、浅間山に向かって坂を登り詰めた先の、四方が開けた、この上なく住環境に恵まれた場所だった。ここでなら都会では禁じ手の北側の窓を好きなだけ開ける。ノースライトを最高の主役に抜擢し、他の光は補助光に回す。

青瀬は、建築では一般的に禁じ手とされる“北向きの家”を建て、土地の個性を存分に生かした北側の窓からの光──すなわち“ノースライト”をふんだんに取り込むという発想に心を躍らせ、「Y邸」の設計にのめり込みました。完成した「Y邸」は、吉野夫妻はもちろん、建築業界や他の施主たちからも大いに評価される家となりました。しかし、家の受け渡しをした11月から4ヶ月近くが経ってもなお、「Y邸」に人が住んでいる気配がしない、という奇妙な情報が入ってきたのです。

建築士としてのキャリアや意識を変えてくれた「Y邸」に並々ならぬ思いを持っていた青瀬は、所属する設計事務所の所長である岡嶋とともに、信濃追分の「Y邸」を訪れます。何者かに荒らされた痕のある玄関ドアを開けて中に入ってみると、その家は一脚の“椅子”だけを除いてもぬけの殻なのでした。

果たして吉野夫妻はどこに行ってしまったのか? 「Y邸」に残されていた椅子は一体何なのか? ふたつの謎を解き明かしていくうちに、青瀬は自分自身のルーツにも関わるある“真相”に辿り着きます。失踪した夫妻をめぐる魅力的な謎はもちろん、人にとって“家”とはどのような存在かを考えさせられる、骨太な人間ドラマの詰まった作品です。

7.小川糸『ライオンのおやつ』


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『ライオンのおやつ』は、『食堂かたつむり』や『ツバキ文具店』などの代表作を持つ小川糸による長編小説です。

主人公の海野雫は闘病生活の末、若くして余命を告げられ、瀬戸内の島にある1軒のホスピス、「ライオンの家」を自分の終の住処とすることを決めます。そのホスピスでは毎週日曜日に、入居者が自由にリクエストをすることができる「おやつの時間」がありました。

「毎週、日曜日の午後三時から、ここでお茶会が開かれます。前回は、みんなで芋羊羹をいただきました。ゲストのみなさんは、もう一度食べたい思い出のおやつをリクエストすることができます。毎回、おひとりのご希望に応える形でその方の思い出のおやつを忠実に再現しますので、できれば具体的に、どんな味だったか、どんな形だったか、どんな場面で食べたのか、思い出をありのままに書いていただければと思います。中には、イラストを描いてくださる方もおります」

入居者のリクエストの中から、毎週抽選でひとつだけ選ばれるというその“おやつ”。たとえば、ある日のリクエストは台湾のお菓子、「豆花」でした。

シマさんと舞さんが、粛々とみんなの前に豆花を運ぶ。
どうぞ、お召し上がりください、の声に続き、それぞれが豆花を食べ始めた。ほんのり温かくてほんのり甘いゆるゆるの固まりが、ふわりと喉の奥へ流れ込む。
雪みたい、と私は思った。
雪の結晶も、手のひらにのせた瞬間、姿を消す。豆花も同じだった。舌にのせた瞬間、ふわーっとどこかに消えてしまう。

雫は毎回、ホスピスの入居者たちと温かいおやつの時間を過ごしながら、自分や周囲の人々に迫りくる“死”に向き合い、自分が人生で本当にしたかったことは何か──を考えます。自分自身がリクエストしたいおやつをなかなか決めることのできない雫は、過去の記憶を掘り起こしながら、すこしずつ死を身近に感じることができるようになっていきます。

死を迎える人たちが穏やかに残りの時間を過ごせるよう、温かい空間を作り続けている「ライオンの家」のホストの「マドンナ」を始め、物語に登場するのは優しい人たちばかり。瀬戸内の島を舞台に穏やかに流れる時間の中で、“死”というものについて考えることがすこしだけ怖くなくなるような小説です。

8. 相沢沙呼さこ『medium 霊媒探偵城塚翡翠じょうづかひすい


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『medium 霊媒探偵城塚翡翠』は、推理作家・ライトノベル作家の相沢沙呼による長編小説です。「このミステリーがすごい!」2020年国内編、「本格ミステリ・ベスト10」2020年国内ランキングでともに1位を獲得し、ミステリファンの間でも大きな話題となっています。

本作の主人公は、推理作家としてさまざまな難事件を解決してきた過去を持つ香月史郎。香月はある事件をきっかけに、死者の言葉を伝えることができる霊媒の少女・城塚翡翠と出会います。翡翠は、亡くなった事件の被害者の言葉を生者に直に伝えることができる特異な存在ですが、そこに証拠能力はなく、犯人がわかっていても証拠が挙げられないという歯痒い思いもしてきました。

始めは、翡翠に特殊な能力があるということに半信半疑だった香月。しかし、香月自身の仕事をいとも簡単に“霊視”の力で当ててしまった翡翠の様子を見て、その認識が変わります。

今の翡翠が纏うのは、恐ろしく無機的な雰囲気だった。
まるで、人形に死んだ人間の魂が乗り移っているような……。
そんな錯覚を抱くほどの静寂の中で、翠の双眸が炎の光を反射する。
「あなたは、倉持さんとは対照的に、内向的なお仕事をされていますね」
「ええ……。そうですね、どちらかといえば……」
「特殊なお仕事です。なにか内側に溜め込んだものを、外へ放出させるときの匂いを感じる」
匂い?
だが、わかるはずがない。
それでも、次に告げられた言葉を耳にして、香月は戦慄に近いものを感じていた。
「芸術方面ですね。絵を描いたり、作曲をされたり……。いえ、漫画家か……、ああ……、作家先生……、小説家ではないですか」

香月はそんな翡翠の力を信じ、彼女と組むことで、霊視の力と自らが持つ論理の力を組み合わせて事件に立ち向かうようになっていきます。物語の終盤、世間を賑わす連続殺人鬼の標的となってしまうのは、他でもない翡翠。ふたりが事件を追った先に待っていたのは、信じられないような真相でした。最終章を読み終えたあと、必ずすべての事件を最初から確認し推理し直したくなるような、どんでん返しの結末に驚かされる1冊です。

9.川越宗一『熱源』


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『熱源』は、第25回松本清張賞を受賞してデビューした川越宗一による2作目の長編小説。第162回直木賞も受賞した本作は、アイヌ民族のふたりを主人公に、人間が生きるための“熱源”のありかを探る物語です。

主人公のひとりは、樺太で生まれたアイヌ民族の少年・ヤヨマネクフ。北海道開拓使に故郷の樺太を追われ、北海道に移住したヤヨマネクフは、日本人に差別されながらも10代を過ごし、成長します。疫病で妻を失い樺太に戻ったヤヨマネクフが出会ったのは、祖国のポーランドを解放するための皇帝暗殺計画に加わったとして流刑となったもうひとりの主人公、ブロニスワフ・ピウスツキでした。

日本政府にアイヌの文化を否定され、「日本人になれ」と言い聞かされて育ってきたヤヨマネクフと、ロシアの同化政策でポーランド語の使用を禁じられ、言葉を奪われたピウスツキには、故郷は違えど通じるものがありました。
ロシア語の識字学校を開きたいが十分なお金がない、と嘆くピウスツキは、ヤヨマネクフに“劣っている人、劣っている民族などいない”と熱弁します。

「私が生まれ育った国はロシア帝国に呑み込まれ、ロシア語以外は禁じられています。国の盛衰はともかく言葉を奪われた私たちはいつか、自分が誰であったかということすら忘れてしまうかもしれません。そうなってからでは、遅いのです」
堅苦しい話だが、なぜかヤヨマネクフの心は惹かれた。(中略)
文明に潰されて滅びる、あるいは呑まれて忘れる。どちらかの時の訪れを待つしか、自分たちにはできないのか。別の道は残されていないのか。想像した将来に、凍えるような感覚を抱いた。
その時、熱が生じた。それはすぐに言葉になった。
「──違う」
道は自分で見つけるものだ。自分で選び取るものだ。自分たちを追い詰める幻想に克ち、妻を救えたかもしれなかった叡智を手にする。文明なる力を得る。
学校は、その始まりに思えた。

ふたりは時代に翻弄され、逆境と闘いながらも、自らのアイデンティティを模索してゆきます。人が自分のルーツに誇りを持つ意味や異なる文化を見下すことの愚かさを考えさせてくれる、“熱”の籠もった1冊です。

10.川上未映子『夏物語』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4163910549/

『夏物語』は、『乳と卵』で第138回芥川賞を受賞した川上未映子による長編小説です。本書は二部構成となっており、第一部は2008年の物語として『乳と卵』を再構築したストーリーが、第二部ではそれから8年後の新たな物語が描かれます。

主人公は、セックスに対し嫌悪感を抱いている30代の女性・夏子。歳を重ねるにつれ、自分の子どもに会ってみたいという気持ちが芽生え始めますが、セックスができないため、匿名の相手に精子バンクから精子を提供してもらうAID(非配偶者間人工授精)という方法で子どもを授かることを検討するようになります。

AIDは夏子の望みを叶えてくれる選択肢ではありますが、父親の存在を知ることなく、一方的に子どもを産むことはエゴではないのか──という葛藤が夏子を苦しめます。夏子の姉・巻子はAIDについて説明する夏子を、“神の領域”を侵していると非難します。

わたしは苛々しながらAIDのシステムについてかいつまんで説明した。すると話し終えるが早いか、巻子はわたしの声を遮るように大きな声をかぶせてきた。
「あかんわあ、それはあかんわ、ぜったいにあかんがな。それは神の領域やがな」
「何が神の領域よこんなときだけ、ふだん何も信じてへんくせに。できることはできることやろ。みんなやってる普通のことや」
「もうええって夏子、ほんであんたいま、ちょっと酔ってるんちゃう」
「酔ってない」
「とにかくそんなあほみたいなこと言うてんと帰って仕事したらは。いま外おるんやろ」
「何があほなことよ」わたしはかっとなって声を荒げた。

巻子のほかにも、夏子の周りの女性たちのAIDへの考え方はさまざまです。AIDに倫理的な問題を感じ、問題提起をする団体に所属している百合子や、夏子を応援する作家の遊佐リカなどの言葉を通し、生殖の新たな選択肢に向き合う女性たちの生き様が生き生きと描かれています。

子どもを生むこと、生まないことで悩んだことのある女性には特に読んでいただきたい、人が生を受けることの意味について改めて考えるきっかけとなるような物語です。

ずばり、大賞はどの作品に? 勝手に受賞予想

前回は瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』が受賞した本屋大賞。近年では、映像が鮮明に浮かぶような壮大な作品かつ、純文学作品よりもエンタメ小説が票を集める傾向があるようです。また、今回は『熱源』などの超話題作もノミネートされていますが、直木賞とのダブル受賞という例は2017年の『蜜蜂と遠雷』(恩田陸)のみなので、大賞受賞の可能性はやや低いかもしれません。

それらも踏まえ、2020年の本屋大賞を掴むのは、“死”を温かい視点で描ききった小川糸『ライオンのおやつ』だと予想します。次点は、水墨画というマニアックな芸術に焦点を当てた砥上裕將『線は、僕を描く』でしょうか。

はたして、大賞を掴むのはどの本なのか──? いまから、4月7日の発表が待ちきれません。

初出:P+D MAGAZINE(2020/04/02)

篠原昌人『非凡なる凡人将軍下村定 最後の陸軍大臣の葛藤』/敗戦後に就任した陸軍大臣の伝記
今月のイチオシ本【ノンフィクション】