ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第1回
私は9年間そういう「本来ならその場にいるはずのない奴」という心霊現象のような存在として仕事を続けてきた。
このように、昔ほど儲からなくなっているのかもしれないが、雑誌の連載が終わったら即死だった時代より漫画家は「何となく生き延びられるようになった」ような気もする。
最近では、出版社などを通さず自分で制作から編集や販売までやってのける作家もいるので「編集者不要論」も度々論じられるようになった。
だが、それは上記のことが出来る社会性のある人たちだけであり、逆にそこまで出来る人が何故漫画家になってしまったかの方が不可解なのだが、漫画家というのは漫画に出会ってなかったら猟奇殺人鬼になっていた人ばかり(個人の感想です)なので、そういう人間の代わりに対外的なことをしたり、猟奇殺人を傷害の段階で止める編集者というのは不可欠なのである。
だが、そういう作家は出版社などから仕事がもらえなくなったら餓死なので、「どこも通さず自分だけで金を発生させる」ミドリムシみたいな能力が今後漫画家には必要となって来るだろう。
漫画家になる方法も昔に比べ多様化してきた。
私などは雑誌がやっている漫画賞に原稿を送るという縄文時代からある古典的な方法でデビューしたくちだが、今ではピクシブやSNSでバズった漫画に出版社などが声をかけ連載をさせたり書籍化したりする現象がよく見られるようになった。
そしてこの現象こそが私が漫画家として限界を感じまくっている原因である。
私の本業は無職なので、意識がある時はずっとツイッターをやっている、そうすると、件(くだん)の「SNSでバズっている漫画」が良く流れてくるのである。
ツイッター漫画というのは、そんなにたくさんのページは載せられないので、多くても4ページぐらいだ。
そのページ数でバズる漫画というのは、出オチと言って良いぐらい設定が斬新でインパクトがあり、それでいて4ページできっちり完結、ついでに絵が上手かったりもする。