ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第108回

ハクマン第108回
炎上回避は難しい。
私も嘘と自作自演で
いつ燃えるかわからない。

もちろん、連載開始時ラブラブだったものが時間経過でカスカスになることもある。
ここで肝が据わった作家ならすぐにラブラブ夫婦エッセイからバリバリ離婚調停列伝に舵を切りなおすだろうが、最初上手くいっていたものを現在は崩壊しています、と告白するのはなかなか勇気がいる。

そこでつい漫画内では現在も上手くいっているかのように描いてしまい、そこから壮大な嘘が始まってしまうこともあるだろう。

私もたまに夫のことをエッセイに描くが、今後離婚した場合どのツラを下げてその件を報告したらよいか、わからないので離婚後もあたかも夫がいるかのようにふるまい、それがバレたら「夫の幻覚が俺には見えていた」と言い張りそうな気がする。

普通、自分の家庭事情など他人にイチイチ説明する義務もないのだが、エッセイというのは自ら自分の人生や家庭の出来事を公開し、それに関心を持ってくれた人のおかげで食っている仕事なので、応援してくれた人に対し、それなりにご報告の義務はあったりするし、少なくとも嘘は裏切りになってしまう。

そして単純に「描くことがなくなる」という場合もある。

「夫に愛人が4人いて隠し子が12人いた件について」などの大事件系エッセイとて、いつかは状況が落ち着く。
しかしテーマが刺激的であるほど読者は刺激的な展開を求め「祝!親権で揉め続けて15周年。子供は成人、私たちも銀婚式を迎えました!」のようなヌルい展開になるとすぐ読者が離れてしまう。
だが、そう都合よく「やっと愛人四天王を倒したと思いきや、4体が合体してラスト愛人が出現、今家庭の存亡をかけた最終決戦がはじまる」など、読者の関心を引けるような出来事は起こらないのである。
よってつい大げさに描いたり、読者が食いつきそうな「創作」に手を出してしまったりするのだ。

基本的に何を描いてもOKなフィクションと違い「実話」という縛りがあり、さらに自分自身がキャラクターとして矢面に立たなければいけないという特性から「エッセイ作家は闇落ちしやすい」と分析する人もいる。

確かに自分のプライベートを売り物にするのはストレスなので精神を病むこともあるだろう。

しかし、フィクション作家が病まないかというと、普通に病んでいる。

だからと言って「漫画家は闇落ちしやすい」というつもりはない。何故なら他の職業の人もすべからく病んでいるからだ。

エッセイや漫画ではなく、人を病ませるのは単純に「労働」である、これ以上健康保険料が上がらないように、即刻労働を法律で禁じた方がいい。

「ハクマン」第108回

(つづく)
次回更新予定日 2023
-06-10

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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