採れたて本!【エンタメ#10】

採れたて本!【エンタメ】

 舞台は日中戦争が起きた時代の、廈門。中国南東部の、台湾と海を隔てた位置にある港湾都市・廈門は、当時日本に占領されていたのだ。そこにカフェの女給として暮らしていたリリーは、実は、裏でスパイとして活動していた。リリーはある女性を紹介される。その名はヤンファ。背が高く蛇の刺青を持つヤンファは、ある暗殺の実行者としてリリーの前に現れる。もしヤンファが暗殺を失敗したら、リリーはヤンファを殺さなくてはいけない。しかしリリーとヤンファは肌を重ねるようになり、近しい関係になってゆく。こうして舞台は、大阪や台湾、そして上海に移り変わる。ある日本人諜報員の暗殺事件、そしてリリーとヤンファの恋物語。その二軸を中心に、本書は日本占領期という時代を描き切った。

 昨今、占領期の満州を描いた『地図と拳』(小川哲)や、戦前〜戦後の朝鮮半島を描いた『李の花は散っても』(深沢潮)など、第二次世界大戦中の日本の占領下を舞台にした小説が立て続けに刊行されている。本書もまた、第二次世界大戦を経た中国・台湾視点で見た日本の姿が描かれているため、占領期文学という観点からも、充分に面白く読めるだろう。リリーは大阪にあった松島遊廓から逃げてきた少女なので、日本から中国に移動した女性がどのように日本を見るか、仔細に綴られるのだ。

 だがそれ以上に、リリーとヤンファの恋物語が、時代の波と呼応して濃厚に描かれているところが本書の特徴だ。台湾にやってきた日本人の男性は「これからの時代、女性ももっと自立したほうがいい」「内地の学校はまだまだ古い思想にとらわれていて女性を閉じ込めるから、わたしはわざわざナツカのために台湾の学校を選んだんだ」と言ったという。なんという身勝手な発言だろうか。その発言を聞いた少女は、「植民地にそんな自由があるなら、こんなに苦しいわたしたちはどこに行けばいいの」と反発する。このような場面を挙げればきりがないほど、大人たちが使う本音と建前の使い分けに、少女たちは翻弄される。そして芽生えた小さな恋すら、手放すことになる。どうしてこんなに女や子どもという立場は弱いのだろうと胸が痛くなる場面もある。が、物語の救いなのは、リリーとヤンファが自分の意志をもって自らの恋を掴みにゆくからだ。

 たとえ時代に切り裂かれても、それでも自分たちの恋を手放さない。──たったそれだけのことが難しかったその時代の切なさを、私たちは小説を通して知る。それは小説だからこそ味わうことのできる、大胆に時代と街を超えた、ひとつの恋の物語なのだった。

楊花の歌

楊花の歌
青波 杏
集英社

〈「STORY BOX」2023年6月号掲載〉

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