ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第108回
炎上回避は難しい。
私も嘘と自作自演で
いつ燃えるかわからない。
だが、全く身につまされる部分がないわけではない。
炎上目録の中に「エッセイ漫画内の自作自演と嘘が発覚」というのがあった。
私もエッセイをやっている身である、いつ同じ理由で燃えるかわからない。
だがこれは「嘘を描かない」という一点突破で回避できる炎上なので、気をつけるもクソもない、と思うかもしれない。
しかし、エッセイは嘘を描いたつもりがなくても「嘘だ」と告発されることがあるのだ。
それはエッセイ内に作者以外の目線が存在する場合である。
例えばエッセイに「散歩中に犬と出会った」と描いたとして、もしそこに同行者がおり、それを犬ではなく「四つん這いで歩く全裸のおっさん」と認識していたら「あいつは犬に会ったと嘘をついた」と暴露される可能性があるのだ。
そして当然、四つん這いで歩く全裸のおっさんサイドからも「俺は犬ではなく、事実と異なる、そもそも勝手に描くな」と訴えられるかもしれない。
ラブラブ夫婦エッセイを描いていた作家が後に離婚してしまうこともあるが「ラブラブだと嘘をついていた」とは限らないのだ。
作者的には本当にラブラブだと思っていたが、相手は「こいつよりボノボと結婚した方がマシだった。あいつら頭いいし」と思っていた、というのはよくある話である。
所詮エッセイは作者の主観なので、そこに他者目線があると「それは違う」という話になりがちなのだ。
このリスクを避けようと思ったら、作者が己の脳内で起こったことを虚空に向かって延々と語るリアルゆめにっきエッセイか、登場人物は全員作者の幻覚にするしかない。
また始めた当初は事実だったが、時間経過と共に事実と異なってしまう場合もある。
「ほのぼの子育てエッセイ」で始めたものが40年後も同じタイトルで連載されていたらさすがに「看板に偽りあり」と言われても仕方ない。
確かに日本では四十路を迎えた子どもが小学生時代と全く変わらない状態で親元にいる現象が稀に良く起こる、しかしそうなると今度は「ほのぼの」部分が怪しくなってくるだろう。