ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第113回

「ハクマン」第113回
ザファを観に行ってきた。
原作を読んでいたころの
私の話をしたいと思う。

しかし提案される作品を私がことごとく読んでいない上、今から読もうとするとえずくため、毎回完全なる無言タイムが異常に多く、テーマを決めるだけで数時間かかり、そこから権利者に許可を取るためスケジュールが押しに押してしまい「誰も急病ではないが休載」という期間が発生したほどだ。

だが、何故私はこんなに漫画を読んでいないのか。誰もが知っているような有名漫画ですらミリシラなことが多いため、高校以降、独房か隔離施設に入っていた説が濃厚になってしまったが、この「高校以降」というのがポイントである。

当時私は意外にも娑婆にいたのだが、独房か隔離施設にいたかの如く友人がいなかったのである。

当時小中高生はよほど金持ちで小遣いが潤沢でない限り、自力でたくさん漫画を読むのは不可能だったと思う。
例外として親が漫画好きであれば読めたかもしれないが、それだと小学生で寄生獣に触れる飛び級を果たしてしまうこともあるし、逆につげ義春など同級生が誰もしらない漫画に傾倒してしまうこともある。
また、親の漫画を愛する気持ちが発酵しすぎていて、自分の知っている漫画より薄い本、または知っている漫画なんだけど知らない作者が複数人で書いている厚い本との衝突事故を起こすこともあった。
今はそんなに珍しくないのだろうが「親が小中学生にうま味のある漫画好き」というのは当時だとまだレアだったような気がする。

そうなると重要になると「友人間での回し読み」である。
スラダンも19巻を自分で買って、その表紙を運動会の時に使う「旗」に模写するという、学年に3人はいる凡庸なオタクムーブをしたことは覚えている。
ちなみにその旗は手旗ではなく「万国旗の代わり」に空高く掲げられたため、大体の旗は何を描いているのかさえ分からず「日の丸」を描いたやる気のない奴だけが一人勝ちしていたのも記憶している。

だが持っていたのはその19巻だけであり、当時私は周囲と比べても小遣いが少ない子供だったので全巻揃えるなどとてもできず、スラダンは揃えていた友人に読ませてもらった。
小中学生時代までは「家が近い」「親同士の交流がある」などの「地元ボーナス」が適用され、私にも友人と呼べる人間がいたため、そこそこ漫画を読ませてもらっていた。
しかし、今思えば、友人からテイクするばかりで自分がギブした記憶がなく、ここから友人が一切いなくなる片鱗を地元時代から見せつけていたのだが、その才能は高校で見事に開花する。
金もない上に友人もいないとなれば、もはや漫画を読む術などほとんどないのである。
私は ONEPIECEすらほとんど読んだことがないのだが、今調べたところワンピが連載を始めたのはちょうど私が高校生になったころである、解けなくて良い謎が全て解けてしまった。

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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