ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第115回

「ハクマン」第115回
年を取ると
「許容できるフィクション」
の幅が狭まる。

最近急に漫画が読めるようになってきた。

漫画家になって以来他人の漫画、特に売れている漫画は面白いとか面白くないの問題ではなく、一片の曇りもない妬み嫉みで読めない、とプライドがあるなら声に出さないことを長年言い続けて来た。

ならば、読者は俺と作者の両親のみ、さらに父ちゃんが3話で脱落するような無名の作品を読んでいるのか、というと普通にアニメ化しているような人気作品を読んでいる。

むしろ無名と侮っていた作品が急にバズる瞬間に立ち会うリスクを考えたら、最初から売れている作品を読んだ方が気が楽である。

なぜ読めるようになったのかは定かではないが、人気作への嫉妬を超越したわけではないのは確かだ。
今でも側溝から現れた女神に「お前の著書を1万部増刷するか、他人の部数を1万部減らして100万部突破を阻むか」と聞かれたら7回ぐらい「両方は?」と聞いた末に後者を選ぶような気がする。

ただ、売れている作品には「面白い」という欠点がありがちだ。
よって、何かのきっかけで1話でも読んでしまうと、止まらなくなってしまいがちなのである。
つまり売れている漫画は覚せい剤と同成分なので、法で規制した方が良い。
特に最近頻繁に催される「あの人気作が〇巻まで無料!」みたいなキャンペーンは完全に友達の友達のお世話になっている人から渡される「お友達特典初回無料の痩せる薬」と同じ手口なので、早急に青少年を売れている漫画から守るべきだ。

私も最近その手口に立て続けに引っかかり、人気作品を何本か一気読みし、気づいたら2、3日経っているという被害にあったので、皆様も重々気を付けてほしい。

しかし、漫画が読めるようになった、と言っても全ての漫画を読めるようになったわけではない。

妬み嫉みとは関係なく、加齢によって「許容できるフィクション」の幅がすでにかなり狭いのだ。

この話をすると、多くの老が「わかる」と波しぶきをバックに腕を組みだし、若は「またその話だ逃げろ!」とサーフボードを抱えて波に消えていくのだが、それでいい。
若は元気なうちにできることをやるべきであり「心を抉るフィクションを楽しむ」のもその一つだ。

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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