ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第119回

「ハクマン」第119回
すぐに理解できない
ところが多い作品は
むしろ良作である

世の中には、作中ではっきりとは描かれていないが、ちりばめられた伏線から裏に隠されたストーリーや登場人物の真意を自分なりに読み解く「考察」をする派としない派がいる。

私はどちらかというと「人の気持ちがわからないバカ派」なので、脳と口、ついでに肛門が一直線上にあるキャラしか出てこない作品でない限り、本質はもちろん大筋すら理解できていないことが多いのだが、ネット上にはそんなマヌケのために、解説や考察をまとめてくれている者が多数いるのだ。

そもそも字を読むのが好きなので、難解で謎が多いほどあとで考察を読む楽しみが増すし、考察を見たあとで本編を見返して「そう言われればこの二人はつきあっているような気がする」という、初見では気づかなかった真実、もしくは幻覚が見えるようになるなど、何度もコンテンツを楽しめるのだ。

よって私は作品を見るとき、自分で読み解いてやろうという気がなく、ずっと口を開けて見ているだけなのだが、私のように考察ができないことを悩んでいる人もいるようだ。

確かに制作者は見る側に、気づいてほしい、深読んでほしいという気持ちで伏線をはったり全てを描かずに意味深な表現にとどめていたりするはずである。

それに対し「わかんないけど何かスゲー」という感想しかなく、さらに自分で考えずに人様の思考結果を拝借して「全然気づかなかったホゲー」と白目をむくだけの姿勢はいかがなものか、ということだ。

しかし、基本的に人は何かを作ったらそれを人に見てもらいたいし、できれば褒められたいのだ、だから人は描いた絵や漫画をXや pixiv に投稿するのである。

それを見て「すごく面白かったです笑いました」と褒めてくれた読者に対し「表面上の笑いに隠された社会批判に気づけないなら読まないでほしかった」などとは思わないし、まして「人様が描いたモノを消費するだけではなく少しは自分で描けよ」などとは言わないのだ。

同じように、考察を披露している人だって、自分の考察を見て欲しくて公開しているのだし、できれば自分の考察に賛同や感嘆してほしいと思っているはずだ。

全員が物語を完全に理解し、深い考察をするようになったら解説や考察自体の需要もなくなってしまうだろう。
むしろ口からアナルが一筆書きになっているタイプは考察者にとって良い顧客ですらあるのではないか。

私はこれからも考察サイトの太客として、顔中の穴を大開放してコンテンツを楽しんでいきたいと思う。

ハクマン第119回

(つづく)
次回更新予定日 2023-11-25

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

◎編集者コラム◎ 『アルテミスの涙』下村敦史
週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.120 八重洲ブックセンター京急百貨店上大岡店 平井真実さん