ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第155回

「ハクマン」第155回
私の漫画原作ドラマが
ついに放送開始した。

おもしろいと評価されている原作をメディア化してつまらなくなったら、それはメディア制作側が悪く、我が子を改造され「…シテ…コロシテ」状態にされた原作者はかわいそうということになるし、実際にそうだ。

しかし、私の場合、そこまで評価されているわけではない原作が、すでに圧倒的に評価されている俳優や脚本によってメディア化されるという、イレギュラーなのだ。

実写化は、そこまで知名度がない作品でもされることもあるので、こういうことも珍しくないのかもしれないが、それにしても桁が違うような気がする。

原作がメディア化でムチャクチャにされることを、「原作不同意性交」と表することがあるが、今回に限っては失敗すると、原作が俳優を強制わいせつした結果と言われても仕方がない気がする。

そんなわけで、直接関係がない自分が無駄なプレッシャーを感じて健康を害していたのだが、冒頭の通り今のところ荒れることはなく、肯定的な意見の方が多いので安心している。

だが、そうなると、放送前に不安とゲロしか吐露しない私に、脳内の住人含む多数の人間から投げかけてくれた「ドラマがどうなろうと原作者の責任ではない」という慰めが逆に作用してくる。

失敗が原作のせいでないなら、例え成功しても原作の手柄ではないはずだ。

最近の私のXを見ればわかると思うが、明らかに投稿数が増えており、明らかにドラマが不評ではないことを受けて、気を良くし饒舌になっていることが丸わかりだ。

もしこれが不評だったら、生存確認が入るレベルで沈黙しているだろう。本当にドラマと原作が別物だと思っているのであれば、失敗だろうと成功だろうと、いつも通り猫のことしかつぶやかないぐらいの平常運転を見せるべきではないか。

しかし、そんなスカした態度が良いとも思えない。

ドラマは作ってもらったものだ。作ってもらった料理が美味ければ褒める、不味ければ余計なことを言わずに黙って飲み込むのが礼儀というものだろう。

美味いと思っているのに褒めや感謝の言葉が一言もない方が軋轢を生み、熟年離婚などを引き起こすのだ、むしろオーバーなほど褒めた方がよい。

ただ、ドラマの方に意識を取られすぎて、他の仕事が滞りまくっているという事実もある。

ドラマと原作は直接関係ない、ということはドラマ放送中も普通に仕事があり、普通に〆切があるのだが、そっちに意識を移せず、気がつけばドラマを再生したり感想を漁ったりしてしまっている。

ドラマをきっかけに原作者が仕事を休むのは、体調不良ではなく「原作者が誰よりもロスになっている」という可能性もある。

私は放送がはじまる前に体調を崩すし、今度は終わる前にロスを起こしているというとだ。 原作とメディアは完全別ものと割り切り、それが上手く行こうがコケようが淡々と自分の作品を描き続けられる作家はすごいのである。

「ハクマン」第155回

(つづく)
次回更新予定日 2025-8-13

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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