ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第157回

「ハクマン」第157回
創作業というのは、
時間とコストをかければ
良いものができるわけでもない。

しかし、漫画家がインタビューに対し「よく覚えていない」「そういえば自分が描いたような気がする」など、中途半端に黙秘を貫く容疑者みたいな供述をするのはよくあることだと思う。

そもそも他の仕事であっても「3年前このサンドイッチにどんな気持ちでピクルスを挟んだのか」と聞かれても、よほどそのピクルスの断面がエロい形をしていない限り覚えてはいないだろう。

漫画家も長くやれば、ただの作業になってくるため、昔のことを覚えていないのは普通である。

また「何を考えていたか忘れた」ではなく「マジで何も考えてなかった」場合もある。

何せ漫画家には〆切というものがあり、どうやって考えたか以前に、考える時間がなかった場合も多いのだ。

つまり漫画家に「この話はどうやって考えたんですか?」と聞くのは、金を与えずちいかわパークに3時間放置した奴に「何買ったの?」と聞くに等しい場合がある。

特に私は仕事をかけもちしていることが多く、一つ一つの作品にかけられる時間が少ないため回答が「何も考えてなかった」になってしまう率が異常に高いのだ。

そして今になって「一つの作品に時間をかけられない」という状況がいかがなものかと思いはじめてきた。

連載一つでは心もとないので、複数連載を持つというのはリスクヘッジとしていいとは思うのだが、来月バ先が潰れるけど、バイト5個かけもちしているから大丈夫、と言っている40代がいたら「正社1本にすることはできないか」と言いたくなるだろう。

若いころはそれでも良かったが、さすがに体力的にキツくなってきたし、体調が悪い時に出ていた目汁も最近ではオートスキルとして常時流れるようになってきた。

それに一つ一つに力を入れられないから短期間でクビになっているという可能性もある。

実際連載1本でやっている作家だっているのだから、そろそろ薄利多売はやめて、もっと考える期間を設けて仕事をする時期に来ているような気がする。

しかし創作業というのは、時間とコストをかければ良いものができるわけでもなかったりする。

短期間低予算でヒットする映画もあれば、構想10年、公開期間1週間というセミみたいな一生を送る作品もある。

むしろ構想期間が長くなれば長くなるほど、その間に「時代が変わってしまう」という恐れがある。

例え私が10年かけて少年たちが鬼を倒したり呪術で戦う作品を完成させたとしても、それはすでにあるし、なんだったらもう完結してしまっている。

それを考えれば、最近起こったことをすぐネタにしたり、今流行っているものを即パクれるという意味で、時間がないというのは悪いことではない気がしてきた。

なによりダメだった時「10年もかけたのに」と思うのと「4秒しかなかったんだから仕方がない」と思うのでは食らうダメージが違う。

漫画家から「もっと時間さえあれば」という言い訳を奪うべきではない。そのためにも〆切というタイムリミットが必要なのだ。

「ハクマン」第157回

(つづく)
次回更新予定日 2025-10-8

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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