ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第16回

ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第16回

横山光輝の漫画「三国志」の原画を見て
何を最初に思ったかというと
「これ、手で描いてんの?」だ。

よって、昔の漫画も画力自体は今と変わらず高い。
現に「これ手で描いてんの?」の次は「絵が、上手い」と思った。

さらにそれを、なんの文明の力も使わず、枠線から全て手描きだ、と言われたら「本当に?」と思わざるを得ない。

同時に「よく描く気になったな」とも思った。

三国志はシンプルな線に見えて、よく見たら鎧の模様など、凄まじい描き込みが手描きでされているのだ。私だったら「こいつが登場するたびにこれ描くの? じゃあ出さない方向で」となってしまう。

このように漫画というのは、高層ビル街とか押し寄せる暴走機関車の群れとかを描いている途中で大体の人が「他の仕事をした方が楽で効率が良い」と気づくものなのである。
完全手描きの時代なら尚更だ。

それに「気づかない」色んな意味での天才、もしくは薄々勘づいていたけど最後までやり通してくれた誠意ある人のおかげで、日本で漫画という文化がここまで発展したと言えよう。

ちなみに三国志展には、漫画ではないが、1800年ぐらい前の「作家」が作ったであろう立体作品も多く展示されている。
それに対しても「これ、手で作ったの?」という同じ感想が出た。
漫画なら、辛うじてペンとインクで描いたであろう、というところまではわかるが、こちらは1800年前に何をどう使えば、こんな細かい細工ができるのかなど、皆目見当もつかない。
おそらく、2世紀に3Dプリンターはなかったであろうから、電気も使わず、この変態的に細かい細工を手で作った、ということだろう。

もしかしたらこれも、周囲から「よく作る気になったな」と思われていたかもしれない。
技術や文化というのは「よくやるな」ということを「何故かやる人」の存在がなければ発展しない、ということである。

ちなみに、横山光輝氏は、〆切りに対してはかなり真面目な人で、当日になると玄関に封筒に入れた原稿が用意されていたという。

あんなクオリティの原稿を手で描けと言われたら、普通は玄関に原稿ではなく、庭にド―ベルマンのはずだ。

やはり私にはいろいろ足りてない。
改めて気づかせてくれた「三国志展」だった。

ハクマン

(つづく)
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カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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