ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第31回
漫画が絶滅するということはなさそうだ。
だが、自分が作家として終わることは十分にある。
被害を受けないはずの業種で、わざわざ受けに行くという攻めたスタイルだ。
久々に外に出たら、トレーラーに轢かれた、みたいな話である。
一応イベントは延期でもやる予定だが、少なくとも単行本が出てから数か月経っており、販促イベントとしては遅きに失しすぎている。
すでに打ち切りが決まっていてもおかしくないレベルだ。死んだ奴の誕生を祝う会になってしまう。
むしろこっちが助けてほしいぐらいだが、それでも私が受けた被害など微々たるものである。
すでに好評絶版中の漫画でも良いなら、喜んで無料公開したいところだが、無料公開というのは作家の一存で出来るわけではなく、もちろん出版社との同意と連携のもと行わなければいけない。
連携と言っても、漫画家がやるのは、無料公開の許可を出すのと「皆さまの慰めになればと作品を無料公開します」と、気持ち良いツイートをするぐらいである。
公開作業は版元などが行うはずだ。
また、無料公開自体、版元にとっては基本不利益なことではある。
よって私が「拙者もみんなのために無料公開したいでござる」と打診しても「俺たちは高橋留美子作品を無料公開するのに忙しいんだ」と「断られる」可能性がある。
そもそも、無料公開自体、作家が言い出したことなのか不明だ。
出版社の方が「これは弊社イメージアップのチャンス」と、無料公開を作家に打診しているケースの方が多いのではないか。
だったら、呼んでない作家に「拙者も」と言い出されても面倒なだけだろう。
ちなみに、善意ではなく、宣伝やイメージアップのための無料公開は全く悪いことだとは思わない。
読者は無料で読めて、出す方にも利益があるならウインウインだろう。
むしろ「家もありませんが、断腸の思いで無料公開します」と言われるより遠慮なく読める。
今回の件でわかったのは、仕事や生活というのは、いつ脅かされるかわからない、ということである。
風が吹けば桶屋の嫁がヒアルロン酸を打つ、とよく言うが、逆に言えば風が止まれば桶屋が潰れて嫁は毎週金曜日来ていた男と暮らし始める、ということだ。