ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第60回

ハクマン第60回連載の打ち切りが決まった。
何回されても痛さは
変わらないが、回復は早くなる。

しかし、はじまってはないが、終わりと言われた後も漫画の仕事は続けているので、終わってはいない。
つまり、死んではないが生きてもいないという、傍から見れば「…シテ…コロシテ…」状態なのかもしれないが、自分では死ねないというのがウォーキングデッドの辛いところなので、頭を吹き飛ばしてくれる逸材の来訪を待つしかない。

バイオハザードの最新作のタイトルが「ヴィレッジ」と聞いていたので、うちの村ワンチャン、と思ったが、どうやら違うヴィレッジに行ってしまったようだ。
陰惨さではうちのヴィレッジも負けていないと思うのでぜひ次回作では候補に入れてもらいたい。

つまり、1人の編集者に「お前はもう終わりだ」と言われても、別に終わりはしないということである。
向こうも仕事なので、先がないと見た作家の面倒をいつまでも見ているわけにはいかない、だったらこっちもいつまでも1人の編集者にしがみつかずに、別のもっと見る目がない編集を探した方が早い。
編集者にだって、あえて他の編集が相手にしない作家を使って、変わり者ぶりをアピールしたいサブカルクソ野郎の1人や2人はいるのだ。
逆に言えば、連載が終了する時、編集者は「ぜひ先生には次も弊誌で描いて欲しいと思ってますので」などと耳ざわりの良い事を言うと思うが、その裏では「あいつはもう終わりだ」と言っているので油断してはならない。

ちなみに、その時メールを誤爆してきた担当とは今でも普通に仕事をしている。

このように平素から担当を殺す殺す言っている作家ほど実は寛大なのだ。
それよりも「うちの新しい担当さん天然ドジでマジかわいい」と言って、わざわざツイッターにオモシロ担当漫画を描いている作家の方が後に派手な空中分解を起こす気がする。
担当が天然ドジで良いことなどあるはずがないのだ。

ちなみに、私のように10年以上年一で何かが連載終了している作家になると、打ち切りに慣れてくるか、というとそんなことはない。
確かに、何回も打ち切りになると「前兆」というものを感じ取れるようになるので寝耳に魔貫光殺法みたいな打ち切りは少なくなってくる。

しかし、いきなり斬首されるより、介錯つきの切腹の方が覚悟が決まってるから痛くないというわけではないだろう。
残念ながら斬首された方たちは全員亡くなっているので断言はできないが 、 多分普通に痛かったと思う。もしご存命の斬首経験がある方がいたらご意見いただきたい。

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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