【2021年本屋大賞】小説家・町田そのこのおすすめ作品

虐待やネグレクトをテーマにした長編小説『52ヘルツのクジラたち』で2021年本屋大賞を受賞し、いまもっとも注目されている作家のひとりである町田そのこ。今回は、そんな町田そのこのおすすめの長編小説・短編小説を3作品ご紹介します。

共に虐待を受けて育ってきた女性と少年の交流を描いた『52ヘルツのクジラたち』で2021年本屋大賞を受賞した小説家・町田そのこ。2016年のデビュー以来、精力的に執筆を続けてきた町田は、孤独な人々や社会的弱者の声なき声をすくい上げるような、やさしくも逞しい作品を数多く発表しています。

今回は、本屋大賞受賞作品である『52ヘルツのクジラたち』のほか、注目作家・町田そのこのおすすめ作品のあらすじと読みどころをご紹介します。

本屋大賞を受賞した、著者初の長編小説『52ヘルツのクジラたち』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4120052982/

『52ヘルツのクジラたち』は、町田そのこが2020年に発表した作品です。著者にとって初の長編小説となった本作は、2021年の本屋大賞を見事受賞し話題を呼びました。

本作の主人公は、大分の寂れた海辺の街に東京からひとりで引っ越してきたばかりの女性・貴瑚。彼女の移住には、幼少時に母親からネグレクトを受けて育ち、“搾取”され続ける人生に疲れ果ててしまった──という背景がありました。噂がすぐに街中に広がってしまう田舎の空気に最初は辟易した貴瑚でしたが、貴瑚を唯一尊重し、自立への手を差し伸べてくれた“アンさん”の存在を心の支えにしながら、徐々に新しい暮らしに慣れていきます。

そんなある日、貴瑚はボロボロの衣服を身にまとい、言葉を発することができなくなったひとりの少年に出会います。彼は母親の琴美に「ムシ」と呼ばれ、虐待を受けていました。その少年の姿がかつての自分に重なった貴瑚は、琴美に抗議し、少年を自分が引き取ることを宣言します。

唇を歪めて、琴美が笑う。
ちっとも役に立たない、足手まといになるばかりの子どもなんて、いらない。あんな虫けらみたいなもの産むんじゃなかったって毎日思ってる。てか、虫けらだったらパンって潰してそれで終わりにできるのにね。だから虫けらより性質が悪い。
耳を塞ぎたくなるような琴美の言葉に、泣き出しそうになる。あの子はこんな呪詛みたいなものをずっと聞かされていたのだろうか。(中略)
「あの子はわたしが面倒を見ることにします。でも、本当にあなたはそれでいいんですね?」

貴瑚と少年はそれから少しずつ絆を深めていき、少年は貴瑚に「いとし」という本名で呼ばれるようになります。貴瑚は愛にたびたび、“52ヘルツ”のクジラの話をしてやるのでした。ふつうのクジラが10~40ヘルツ程度の周波数で鳴くことで仲間とコミュニケーションを取り合っているのに対し、世界で1頭だけ、52ヘルツという高音域で歌うクジラがいるのです。貴瑚は自分たちの境遇をその孤独なクジラに例え、

「わたしも、昔52ヘルツの声をあげてた。(中略)わたしは、あんたの誰にも届かない52ヘルツの声を聴くよ」

と愛に語りかけるのでした。

作中で貴瑚や愛たちを取り囲む問題は、虐待やネグレクト、DVやパワハラなど、現実世界にリンクした切実なものばかりです。著者の町田は、本作のアイデアは数年前からあったものの、社会問題をファンタジーとして消費してはいけないという思いから、構成を練り続け、初めての長編小説のテーマとして選んだのだと複数のインタビューで語っています。本作は、弱い立場に押し込められている人々の“声なき声”に焦点を当て、彼らが抱えている問題に真摯に向き合った、誠実かつ感動的な一作です。

鮮烈なデビュー作を含む連作短編集、『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』


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『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』は、町田そのこのデビュー作、『カメルーンの青い魚』などを含む連作短編集です。『カメルーンの青い魚』は2016年に、第15回女による女のためのR-18文学賞の大賞を受賞しています。5作の収録作はどれも、まるで狭い水槽の中を泳ぐ魚のように、閉塞感のある田舎町でどうにか生きていこうとする5名の人々の姿をミステリ仕立てに描いています。

『カメルーンの青い魚』は、

大きなみたらし団子にかぶりついたら、差し歯がとれた。しかも、二本。私の前歯は、保険適用外のセラミック差し歯なのだ。

という印象的な文章から始まる物語です。主人公は、サキコという女性。彼女がかつて歯を失ったのは、高校生のときに思いを寄せていた幼馴染・りゅうちゃんの喧嘩を止めようと間に割って入ったことが原因でした。りゅうちゃんはそれ以来サキコを遠ざけるようになり、やがて、サキコを置いてひとり遠い街に旅立ってしまいます。サキコは現在、啓太という男と暮らしていますが、いまでも密かにりゅうちゃんのことを思っているのでした。

しかしそんなサキコは、差し歯を入れ直してもらうため近所の歯医者に向かっていた道すがらで、12年ぶりにりゅうちゃんに再会します。サキコは驚きながらも、地元の人気のない商店街をりゅうちゃんと歩き、途中で見つけた1軒のペットショップに入ります。

この店は、爬虫類とか魚がメインみたいだ。(中略)水槽の中には二匹の魚が泳いでいた。青く見える瞳の綺麗な、とても小さな魚だった。私はそれを見ながらりゅうちゃんに言う。この魚、カメルーンが故郷なんだって。カメルーンってすごく遠いんでしょう。なのに、こんな小さな街の小さな水槽にいて、可哀相だね。
そんなことねえよ、とりゅうちゃんは言った。どんな生き物だって、その場所に適応して生きていけるもんさ。現にこいつらは仲よく泳いでるじゃねえか。だけど私はそうだねとは言えなくて、じっと水槽を見つめた。

本作では、住む場所を軽やかに変えながらも生きていけるりゅうちゃんとは対照的に、生まれ育った街や過去の思い出に縛られつづけているサキコの苦悩が綴られます。『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』の収録作はどれも、主人公たちが“ここではないどこか”に憧れながらも自分の人生に折り合いをつけ、前を向けるようになるまでの物語を描いています。

サキコと啓太の意外な関係性が明らかになる結末には、思わずあっと驚かされるはず。情感あふれる文章はもちろん、鮮やかな構成も楽しむことのできる短編集です。

“死者が遺した思い”をテーマにした、妖しくも切ない短編集『ぎょらん』


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『ぎょらん』は、町田が2018年に発表した連作短編集です。タイトルにもなっている“ぎょらん”とは、人が死ぬ瞬間に生み出すという珠。それを噛み潰すと死者の最期の願いが見える、とまことしやかに囁かれています。

表題作でもある『ぎょらん』の主人公は、朱鷺と華子という兄妹。朱鷺は大学を中退して以来、働かず、30歳になった現在も実家で引きこもりをつづけています。漫画オタクの朱鷺は華子や母親から疎まれ、見下される日々を送っていました。

そんなある日、華子が密かに4年間交際をつづけていた会社の上司・美袋みなぎが交通事故で命を落とし、華子は悲しみに暮れます。美袋は妻帯者であったため、不倫相手である華子はその悲しみを押し殺すことしかできず、葬儀から帰ってきた夜、自宅の風呂場でひとり涙を零していました。

バスタブに頭まで浸かり、ゆっくりと目を開ける。髪がわかめのようにゆらゆら揺らいでいるのが見えた。温かくて柔らかな蓋をした耳の向こうで、美袋さんの声がする。(中略)
彼が死んだなんて、信じたくない。もう一度会いたい。あの腕の中でもう一度、愛してるって囁いて欲しい。名前を呼んで、可愛いって言って欲しい。私を愛してたって、信じさせて欲しい。
浴槽の縁に縋りつくようにして、泣いた。
「……部屋が片づいたぞ」
溢れる感情に身を任せていると急に低い声がして、悲鳴を上げた。

その言葉の主は、脱衣所から心配して声をかけてきた朱鷺でした。朱鷺は悲しみに暮れる華子の事情を聞き、突如「ぎょらんを探しにいくぞ」と言い出します。朱鷺は“死者の最期の願いが見える”というぎょらんにまつわる話をかつて漫画を通じて知り、しかも、実際に自分で口にしたことがある──というのです。

この“ぎょらん”の正体は、6作の収録作を通して徐々に明かされていきます。収録作に共通しているのは、人が大切な人の死をいかにして受け止め乗り越えるのか、そして、生と死とのあいだにある断絶を人は超えられるのかという普遍的なテーマです。亡くした人の心をすこしでも知りたいと奮闘する登場人物たちの切実さに胸を打たれるのはもちろん、“ぎょらん”を巡り、巧妙に張り巡らされた伏線が回収されていく面白さも堪能することができる一冊です。

おわりに

常に弱者の立場に立ち、その声に耳を澄まそうとするようなきめの細かい筆致と、ミステリの風味を感じさせるようなひと癖あるストーリー構成が、町田そのこ作品の大きな魅力です。

『52ヘルツのクジラたち』の本屋大賞受賞をきっかけに、今後ますます注目されていくであろう町田そのこ。長編小説はまだほとんど発表されていないだけに、彼女が今後執筆していく作品からも目が離せません。

初出:P+D MAGAZINE(2021/05/25)

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