【映画化】西加奈子『漁港の肉子ちゃん』原作小説の魅力
西加奈子の代表作である長編小説『漁港の肉子ちゃん』が、明石家さんまの企画・プロデュースにより劇場アニメ化されることが話題となっています。東北の漁港を舞台にした、ハートウォーミングな原作小説の魅力と読みどころをご紹介します。
2021年6月11日から全国公開されるアニメ映画、『漁港の肉子ちゃん』。企画・プロデュースを明石家さんまが務めるほか、大竹しのぶ、Cocomi、『鬼滅の刃』などで知られる花江夏樹など豪華声優陣が出演することからも話題を集めています。
『漁港の肉子ちゃん』の原作は、人気小説家・西加奈子が2011年に発表した同名の長編小説です。日本海に面する架空の漁港で暮らす親子を主人公にした本作は、累計発行部数35万部を突破するなど、西加奈子の新たな代表作ともなりつつある作品です。今回は、そんな原作小説の魅力と読みどころをご紹介します。
【『漁港の肉子ちゃん』の魅力その1】「正反対だけれど仲良し」な母娘のキャラクター
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4344020499/
『漁港の肉子ちゃん』の主人公は、38歳の
キクりんは容姿端麗で、ハーフの男の子に間違えられることもあるような、スラッと手足の長い少女です。彼女は内気な気遣い屋で、小学生にしてサリンジャーの『フラニーとズーイ』やアゴタ・クリストフの『悪童日記』を読むような大人びた一面も持っています。
一方の肉子ちゃんは、もともとふくよかな体型がどんどん大柄になっていくことも気にしない、自由奔放でおしゃべり好きな女性。キクりんがサリンジャーを読んでいるのを見て、
サリンジャーっ! なんとか戦隊の名前みたいやなっ!
と口にするような、大雑把な性格です。関西の下町出身の肉子ちゃんには、ひどい男に何度も騙され、その行方を追ってきた末に辿り着いたいまの街に住んでいるという過去があります。そんな肉子ちゃんの人の良さにキクりんは内心呆れつつも、同時に、人を決して疑わず、常に自分の思うままに生きている肉子ちゃんに憧れ、娘を女手ひとつで育ててくれたことに感謝してもいるのです。本作の第一の魅力は、そんな肉子ちゃんとキクりんという、似ても似つかないけれど、お互いを尊重し愛し合っている母娘のキャラクターです。
【『漁港の肉子ちゃん』の魅力その2】宮城県をモデルにした、美しい“港町”の描き方
『漁港の肉子ちゃん』の舞台は、日本海側に位置する架空の港町、とされています。しかし著者の西加奈子自身が文庫版の「あとがき」のなかで、本作のストーリーが宮城県出身の担当編集者と東北を旅する過程で生まれ、肉子ちゃんたちが暮らす街は石巻市をモデルにしているということ、さらに肉子ちゃんが勤める焼肉屋「うをがし」は、女川市に実在する店を下敷きにしていることを明かしています。
女川の漁港に立ち寄ったとき、小さな焼肉屋を発見しました。(中略)帰り道、その焼肉屋が頭から離れず、あの店で、すごく太っていて、とても明るい女の人が働いていたら楽しいな、なんて、ずっと想像していました。
そんな西の想像から生まれた『肉子ちゃん』でしたが、本作を雑誌『papyrus』に連載していた2011年3月に東日本大震災が起こります。
小説は、例えばひとつのおにぎりに、何を尽力したってかなわないのだということは、地震が起こる前から分かっていました。いいえ、分かっていた「つもり」でした。ですがやはり、あの地震は、わずかでも残っていただろう、自分の作家としての何らかの嫌らしい自負を、打ち砕くものでした。
西は連載を中断すべきか大いに迷いながらも、編集者の助言もあり、“自分の書いた物語を自分以外の誰かが読む”という、一見当たり前にも思える奇跡のような営みが持っている力を信じたくて、連載を続ける決意をしたと語っています。
私たちは、いつか無くなります。この世界から、消えてゆきます。でも、私たちの思いや、私たちが確かに「ここにいた」瞬間を残すことはきっとできるのではないか。私の中でキラキラした女川町が消えないように、「肉子ちゃん」がいたあの瞬間は絶対に消えません。「その瞬間」を積み重ね、残すことが、小説を書くことなのではないだろうか、私はそう思います。
そんな言葉どおり、本作の中でこの港町は、震災以前の“キラキラした”街として描かれています。しかし同時に、高齢化による街全体の活気のなさや、肉子ちゃんの焼肉店の寂れた雰囲気、登場人物たちが漠然と東京に憧れていることなどは嘘偽りなく描写されます。西が東北の旅を通じて実際に感じた女川町や石巻市の土地と人の空気を、率直かつ瑞々しく描いている点も、本作の大きな魅力です。
【『漁港の肉子ちゃん』の魅力その3】“生きづらさ”と向き合い、成長していくキクりんの物語
本作は漁港に暮らす母娘と周囲の人々との心の触れ合いを描いていますが、同時に、引っ込み思案で人を気遣いすぎてしまうが故に生きづらさを抱えているキクりんが、少しずつその辛さを手放していくことで成長していく物語でもあります。
キクりんは、その容姿と大人びた性格で小学校でも人気者です。周囲から浮かないこと、大人を困らせないことを信条にしているため、生まれ育った関西の方言は封印し、いま暮らしている街の人々が使う東北弁を自分でも使おうとしています。そんな彼女にとっては、関西弁を隠そうともしないのに街の人々にすんなりと溶け込んでしまう肉子ちゃんのことが羨ましくもあり、疎ましくもあるのです。キクりんは、母親と一緒にいるところをできるだけ同級生に見られないようにし、クラスの女子のグループの対立に巻き込まれないよう苦心します。
自分が楽になる方ばかりを選んだ。攻撃するより、攻撃されることを選んだ。でも、それを叶えるために、自分から先に攻撃することは、決してなかった。先回りして、予防線を張って、何も起こらないように、逃げた。
自分の意思というものがわからず、常に“人を傷つけないよう”に立ち回るキクりん。そんな彼女を見守る街の人々のひとりであるサッサンは、「大人だけでなく子どもにまで遠慮している」と短所を指摘し、キクりんをこう諭します。
生きてる限り、恥かくんら、怖がっちゃなんねえ。子供らしくせぇ、とは言わね。子供らしさなんて、大人がこしらえた幻想らすけな。みんな、それぞれでいればいいんらて。ただな、それと同じように、ちゃんとした大人なんてものも、いねんら。
生きている限り、他人に迷惑をかけることや恥をかくことからは逃れられない。“ちゃんとした大人”などというものはいない。だからこそ、子どもでいるうちにたくさん人に迷惑をかけ、助けてもらう練習を重ねるべきだとサッサンは言うのです。
本作は、いつも自分で自分を縛ってしまうキクりんがその枷から少しずつ解放されていくさまを、常に自分の欲望の赴くままに生きている肉子ちゃんの姿との対比で活き活きと描きます。キクりんが“大人らしさ”を手放していくことでようやく大人に近づけるという成長物語が、リアルでありながらも爽やかな読後感を生み出しています。
おわりに
本作は、底抜けに明るく常に人を信じている肉子ちゃんの生きざまを描いた物語としても、自分自身をなかなか肯定することのできないキクりんの物語としても味わうことのできる作品です。読者がどの登場人物に心情を重ね、共感しながら読むかによって、楽しみ方もまったく変わってきそうです。
西加奈子の綴る生命力あふれるストーリーが好きだという方にはもちろん、東北を舞台にした小説が読みたい方、一筋縄ではいかない母娘の物語が読みたい方にもイチオシの作品です。6月公開の映画と合わせて、魅力あふれる原作小説も楽しんでみてください。
初出:P+D MAGAZINE(2021/05/21)