ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第66回
「ネームは無料」という文化は
変わっていない
先日「ネームに対して1円も作家に支払われないというのは、いくらなんでも出版社の方が有利すぎるシステムじゃないか」というつぶやきがツイッターでちょっと話題になったらしい。
ちなみにつぶやいたのは作家本人ではなく「漫画家志望の友人が長期間、大量にタダネームを書かされているのに疑問を感じた人」だったらしい。
当事者でもないのに、自分に無関係な火事と喧嘩を安全地帯から眺めたり、匿名で風を送るのが大好きという、粘着質な江戸っ子しかいないツイッターに、こんないい塩梅の火が着きそうなつぶやきをしてしまう漢気がすごい。
まずネーム料云々以前に、こんなアツい友人がいながら漫画家なんか目指してしまったことに過失がある。
だが、作家に払われる原稿料は基本的に誌面に載る「完成原稿」に対するものだけであり、ネーム含む、準備期間や作業には一切料金が発生しない件については以前から度々議論されてきた。
しかし、何故何度も議論されるのかというと、毎回議論されはするが特に何も変わることなく「ではまたツイッターに良い塩梅の火種が投下された時にまた会いましょう」という感じで解散になってしまうからだ。
よっておそらく「漫画」という業界が生まれて以来「ネームは無料」という文化は変わっていないと思われる。
よって、一見対等に新連載の打ち合わせをしているように見える作家と編集でも、編集がその時間分の給料が発生しているのに対し、作家は無賃労働なのである。
もうこの時点で作家は編集を殴っても無罪、最悪でも執行猶予がつくし、ワンチャン「正当防衛」まである。
つまり、作家はネームという漫画の設計図的なものを何十枚も作成し、それにOKをもらって連載が決まり、完成原稿を渡してやっと料金が発生するのである。
もちろんOKが出るとは限らず全ボツになることもあるしOKが出ても編成上いつ連載がはじまるかわからない時もある。