ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第73回
漫画もデジタルで描く時代。
「くしゃみと思ったらゲロでした」
の恐怖はなくなったが、欠点もある。
話はそれたが、程なくしてメンテは終わっていたのだが、そのメンテが行われた理由が、クラウドを利用することによりPC内のデータが消えるという不具合があったからだそうだ。
つまり、PC 内だけの保存だと危険だからクラウドも使っていたのに、そのクラウドに PC 内データを消されるということだ。
やはり、この世にガンダーラなどなかったのだ。どこへ行っても地獄、全員敵だ。
その後、どのような対応がされたかは知らないが、もしかしたら、完成データが全部消えたという人もいたのではないか。
昔「メンテに失敗したからサービス終了」というソシャゲがあったらしいが「データが消えたので連載終了」が出来ないのが漫画の辛いところだ。
データが消えたのが自分のせいではなくても、連載を続けるつもりなら「もう一度同じものを描かなければいけない」のだけは確定なのである。
基本的に漫画を描くのは苦行だが「全く同じ漫画をもう1回描く」というのは、ジョジョ5部のボスが陥った「やり方を変えて何回も死ぬループ」と大差ない。
それで前より良くなっていればよいが、時間もヤル気もなくなっているため、大体前よりクオリティが下がるのである。
漫画がパソコンで描けるようになって、便利になった部分も多いが、その分一瞬で無になるというリスクを抱えることとなった。
しかし、私が漫画家になれたのも続けられているのも全て、原稿がデータなおかげである。
デジタル原稿とアナログ原稿の最大の違いは、原稿が物理的に存在するか否かである。つまりデジタル原稿は「素手で触れない」のだ。
世の中には、触った物を全て壊す「破壊神」や、触れたものを全て腐らせる「腐り手」の持ち主がいる。
そして私は、右が破壊神、左が腐り手である。
そんな私がアナログで原稿を扱ったら、完成する頃には12ページの原稿が36枚の腐った紙片になっているに決まっている。
データというのは意外と儚く消える時は一瞬、そして二度と戻らないことも多い。
しかし文字通り「魔の手」から逃れられる存在という意味でやはりデータは世紀の大発明と言える。
だが、まだ魔の手の及ぶ範囲は広い。
未だに私の作る弁当はよく腐っているので、次は「データで渡せる弁当」の開発が急がれる。
(つづく)