10年の時を経て文芸作品を発表。いしわたり淳治が言葉を紡ぐ理由。

音楽プロデューサーとして活躍する一方、さまざまなアーティストの歌詞を手がける作詞家、いしわたり淳治さん。およそ10年ぶりに発表された書籍『次の突き当たりをまっすぐ』に関するお話や、歌詞を創作される際の裏話をお聞きしました。

音楽プロデューサーとして活躍する一方、Superflyから少女時代、関ジャニ∞までジャンルを問わず数多くのアーティストの歌詞を手がけ、いま作詞家として最も注目されているいしわたり淳治さん。これまでに携わった楽曲は600曲以上にものぼるという、正真正銘の“言葉のプロ”です。

そんないしわたりさんは2007年、小説とエッセイを収録した書籍『うれしい悲鳴をあげてくれ』を刊行。2017年11月には、およそ10年ぶりとなる書籍『次の突き当たりをまっすぐ』を発表しました。今作にはウェブマガジンでの連載作品が多数収録され、収録作品はいずれも予想外の展開が繰り広げられる“超”短編小説です。

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出典:http://amzn.asia/drewZIO

今回は、多方面で活躍されているいしわたりさんに特別インタビューを実施。10年ぶりの発表となる書籍にまつわるお話から、歌詞を書かれる際の裏話までをお聞きしました。

 

登場人物の細かい描写をすると“嘘っぽく”なる

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−『次の突き当たりをまっすぐ』は、前作『うれしい悲鳴をあげてくれ』から10年ぶりの新作になりますが、今作を発表された経緯をお聞かせください。

いしわたり淳治氏(以下、いしわたり):前作は音楽雑誌での連載をまとめたものだったのですが、その連載に際してのオーダーが「100%リアルな話ではなく、3割くらいフィクションの要素が入った、主人公が自分であって自分ではないような話」という複雑なものだったんですね。連載途中から「それって小説と同じじゃないか?」と気づいて、完全フィクションの小説も時々書くようになり、それで結果的に前作は “小説”と“エッセイのようなもの”の集合体になりました。

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出典:http://amzn.asia/chdv9ii

それが2014年に筑摩書房さんから文庫化されたこともあって、筑摩書房のウェブマガジンでまた新たに連載がスタートして。その掲載作品を収録したのが今作の『次の突き当たりをまっすぐ』です。今回は“エッセイのようなもの”はなく、完全なフィクションのみですね。

−タイトルが非常に印象的ですが、これはどのように決められたんですか。

いしわたり:壁を乗り越えろ的な前向きなイメージと、文字通りの絶望感と、受け取り方次第で両極端な2つの意味にとれる言葉にしようと思いました。“角度を変えると物事の見え方が変わる”というのが僕の小説の基本テーマなので。

―たしかに、収録作品は意外なオチのお話ばかりですよね。どの作品も数ページの“超短編”でありながら、非常に鮮やかに起承転結が展開されるのが印象的でした。

いしわたり:状況説明を多く含んだ言葉やエピソードを早めに出して、文字数が無駄に増えないように、ということは意識していました。面接の話なら「これは面接のシーンなんだな」と、いかに早く分かってもらえるかが大事ですから。

他にも、なるべくイレギュラーなシチュエーションから始めること、登場人物の性格や暮らしのような細かい書き込みを避けることも意識しました。僕は20年間、音楽業界で仕事をしているので、一般的なサラリーマンの暮らしを書こうと思ってもあまりよく分かっていないんです。なので、細かい人物描写をするほど嘘っぽくなることがあるので、ぼんやりした人物像が、だらだら動き回らないように、ということは気をつけています。

−作品をつくる上での情報のインプットは、どのようにされているんですか?

いしわたり:テレビをよく見ますね。テレビばっかり見てると言ってもいいくらい(笑)、ニュースから深夜のバラエティまでずっと見ています。そこで印象に残ったニュースやエピソード、思いついたことを、日付のない日記をつけるみたいな感覚で適当にメモしたりもします。

もしかしたら、僕は青森出身なのが関係してるのかもしれません。青森にいた頃、情報の入り口ってテレビくらいしかなかったんですよ。自分があんな田舎にいても渋谷で使われている流行語を知っていたのは、テレビがあったからに他なりません。たとえどんな田舎にいようが、テレビは無料で視聴者に“いまがどういう時代か”を教えてくれる。テレビっていつの時代も世の中をチューニングする働きをしていると思うので、インプットの元としてはいいですよね。

−インプット源として、インターネットやSNSは使われないんですね。

いしわたり:そうですね。もちろんインターネットも見ますけど、インターネットをあんまり信じすぎると、木を見て森を見ずの状態になりますからね。

僕自身はSNSは一切していなくて。ポリシーというわけではないんですが、自分の携わった仕事に対する反応を、あとから読んだり探したりも一切しないことにしてるんです。受けとった人のひとつひとつの反応を見て一喜一憂するのではなく、一緒に作品を作った人にまた仕事がしたいと思ってもらえたり、「次はこういうのをやりたいんだよね」と言ってもらえるのがゴールだと思っています。

あと、SNSをしない理由として、自分のことを誰かに知ってもらいたいという欲がまったくないっていうのもありますね。だから基本的にエッセイは苦手です。エッセイを書いていると途中で「僕はこれを誰に向けて書いているんだろう?」と我に返ってしまう(笑)。そういう意味でも、今作はフィクションの小説だけなので気が楽でした。

 

歌詞は、「アーティストの自己表現の場」になってしまった

−テレビの話がいま出ましたが、近年は「関ジャム 完全燃SHOW」などでアーティストの歌詞を的確に分析されている姿も印象的です。これまで、アマチュアからプロまで数多くのアーティストの歌詞に触れられてきたと思うのですが、最近の歌詞に時代性のようなものを感じることはありますか?

いしわたり:アーティストが若ければ若いほど、「フィクションを書かない」傾向にあると感じています。それは、自分が思っていることをストレートに歌に乗せるのが一番、という信仰があるからかもしれません。

−では、最近の楽曲で印象に残っている歌詞はありますか?

いしわたり:吉澤嘉代子さん(シンガーソングライター)の『残ってる』とかいいですよね。朝帰りをする女性の心情を歌った楽曲なんですが、「帰りたくない」みたいなありがちな感情表現をしないで、素直に帰りながら「まだあなたが残ってる」と言うところが現代っぽくていいな、と思います。

最近は感情をポエティックに書きすぎる歌詞が多い一方で、この楽曲は自分の気持ちをオーバーランせずに「あなたが残ってる」という事実だけを淡々と述べている。それで、むしろ切なさが際立っている。彼女はフィクションを書くのがうまい人なんだろうなと思います。

−いしわたりさんのように作詞家としてアーティストに歌詞を提供されている方と、アーティストとして自分で作詞をされている方の歌詞に違いを感じることはありますか。

いしわたり:たとえば阿久悠さんや松本隆さんといった、専門的に作詞をされるいわゆる“職業作詞家”の方が流行歌の歌詞を書いていた時代は、プロが作曲しプロが作詞しプロがパフォーマンスをするという要素がトライアングルとして成り立っていた時代です。それから時を経て、いまはアーティストがその3つをひとりで行うことが多い時代。そのおかげで歌詞は、世の中で流れる歌を作るという意識ではなく、アーティスト個人の「自己表現の場」として完結している感じがします。一番の違いはそこにあるんじゃないでしょうか。

−たしかに、いまは「自分で作って自分で歌う」ことがスタンダードになっていますよね。

いしわたり:アーティストは歌詞を通じて自分と対峙している一方で、作詞家は歌詞を通じて世の中や時代と対峙しているように思います。

 

オーダーはあればあるほど嬉しい

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−いしわたりさんが歌詞を手がけられる楽曲にはドラマやCMのタイアップ曲も多いですが、タイアップ作品のイメージと、その曲を歌うアーティストのキャラクターやアーティスト性が完全には一致しないこともあるのではないかと思います。そういったバランスはどのようにとられていますか?

いしわたり:そのふたつが一致しないこともあったのかもしれませんが、僕はあまり気にしていません。もしギャップがあったとしても、そういった制限やオーダーはあればあるだけ嬉しいタイプなんです。むしろ、「オーダーは特にないので、自由にお願いします」と言われるほうが困るんです(笑)。「何を書いてもいいのにこれを書いていいのか?」と延々自問自答してしまうので。

だから、作詞の際は、アーティストのイメージやタイアップ作品における「ここは押さえてほしい」というポイントを線で繋いで、枠組みを作っていくようなイメージです。バランスをとるというよりも、いただいた要素で最初に枠組みを作って、その制限のなかで何をやったら面白いかを考えて歌詞を固めていくような感覚です。

−その“枠組み”は、具体的にはどのように作っていくんですか?

いしわたり:たとえばドラマのタイアップ作品の場合、打ち合わせの時点でどこはドラマに寄せて、どこは寄せないでほしいかというのを詳しくヒアリングします。そして、その場で「じゃあこんな筋立てで、サビ頭はこんな言葉はどうですか」と、どんどん具体的に案を出して皆さんを巻き込んでいく感じです。

作詞を依頼してくださる相手としても、ゴールが見えているほうが歌詞をイメージしやすいと思いますし、僕としても相手に“審査員”になってほしくはなくて。同じクリエイティブ側の“共犯者”になってもらったほうが嬉しいんですよね。なので、歌詞は打ち合わせの場で7割作るくらいの気持ちでいます。

−では、実際に机に向かって作詞する時間は短かったりするのでしょうか。

いしわたり:全体のイメージを練るのは時間をかけますが、実際にそれを歌詞に落とし込む作業は3時間くらいだと思います。イメージもないまま紙の上で1週間も1ヶ月も文字のパズルをしても、どんどん散らかっていくだけなので、イメージを文字にする作業時間は最小限でやるようにしています。

−かつてはご自身のバンド(SUPERCAR)でも歌詞を書かれていましたが、その際といまの作詞のスタイルには変化がありますか?

いしわたり:アーティストの頃といまの自分の立場は180度違うなとは思っています。アーティストは目の前に聴いてくれるファンの人たちがいますし、自分が書いた作品は自分に積もっていくようなイメージです。「昔はこんな作品を書いた自分が、次にこれを書く」ということにも意味がありますよね。でも、作詞家という立場になると、そんなことは本当に小さな問題です。大事なのは、依頼してくれた相手がいま時代のなかでどんな場所にいて、どんな曲を欲しがっているのかということです。その意味で、ベクトルが内側に向いているか、外側に向いているか、が大きく違うと思います。

 

思考回路が5分サイズになっている

−最後に、“小説”と“歌詞”をそれぞれ手がけられるなかで、そのふたつに感じる違いや共通点があれば教えてください。

いしわたり:ものすごく不思議なんですが、僕が作ると、小説も歌詞もだいたい5分サイズになるんですよ(笑)。

−小説の場合は、5分で読み終わる作品ということですか?

いしわたり:そうですね。小説を書こうとして、頭の中で「いや、これはさすがに5分ってことはないよな」と思っても、だいたい5分で終わる。職業病というか、たぶん歌詞をたくさん書いてきたせいで思考回路が自然と5分サイズになってるんだと思います(笑)。小説の場合、最初はもっと長いこともあるんですが、そういうときは無駄な要素で話が太っているだけなので、無駄をそぎ落としていくと結局5分になりますね(笑)。

―作品における“重要な要素”と“無駄な要素”は、どういった部分で判断されているのでしょうか。

いしわたり:僕はもともと理系ということもあって、凝った表現や文体よりも、テンポのよさや展開の意外性のほうに興味があるんですよね。文学性よりも、いかに設計図通りに作品を仕上げられるか、ということの方に重きを置いている気がします。「このオチにするなら1行目をこれで書き始めると、ちょうど5分かな」みたいな計算をしていて、それ通りに作品ができあがると楽しいんです(笑)。

<了>

初出:P+D MAGAZINE(2018/02/26)

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