◇自著を語る◇ 鈴木るりか『太陽はひとりぼっち』

◇自著を語る◇  鈴木るりか『太陽はひとりぼっち』
日は昇り、日は沈み、人生は続く

 映画でも小説でも、エンドロールが流れたあと、本を閉じたあとに、その中に出てきた人たちの人生がその後も続いているように感じられる作品に惹かれる。

 デビュー作『さよなら、田中さん』をお読みいただいた方から「この続きが読みたい」「このあと、どうなったか気になります」「また花ちゃん母娘に、三上くんに会いたい」といった手紙を多くいただき、今回続編となる『太陽はひとりぼっち』を刊行できたことは、書き手として幸せだと思う。

 私の小説に出てくるのは、いわゆる普通の人だ。でも「普通」は「何もない」ということではない。何もない人などいない。その「何か」を小説で描きたいと思っている。

 表題作『太陽はひとりぼっち』では、前作で自分の生い立ちについて、ほとんど自ら語らなかった花ちゃんのお母さんの過去が明かされる。親子が住むアパートの大家の息子、賢人がひきこもりニートになったいきさつも。今作から中学生になった主人公の花ちゃんには、佐知子という友達もできるが、佐知子もまた人知れぬ孤独を抱えていた。

『神様ヘルプ』では、中学受験に失敗し、母親にほぼ強制的に遠く離れた全寮制の学校に入れられてしまった三上くんのその後、『オーマイブラザー』は、私自身も意外だったが、前作で思いのほか読者からの人気が高かった木戸先生の過去と現在を描いている。

 三つの小説に共通しているテーマは家族と居場所である。立派な家もあり家族もいるのに、自分の居場所がない人もいれば、家族から離れ、自分の居場所を見つけた人もいる。また「居場所なんか最初からなかった。この世のどこにも。生まれた時から」と言う人も。そんな人たちが、どのようにしてこれまでを生きてきたのか、今を生きているのかは、本書を読んでいただけたら、と思う。

 作者自身、書いている最中は気がつかなかったが、書き終えたあと、見えてくるものもある。今回、それは「人が人を思うこと」だった。考えてみれば、一日、自分以外の誰かのことを全く思わずに過ごすことなどないと言っていい。顔見知りでなくても、たとえばニュースを見ながら、事件事故の被害者に心を痛め、政治家の不適切発言に腹を立て、災害に遭われた方の苦しみを思う。これも自分ではない他の誰かを思うことなのだ。人間関係の煩わしさを嫌い、人との関わりをほとんど断って暮らしている人でも、丸一日、誰かのことを全く思わずに生きていくのは難しい。既に亡くなった人でも、昔子供の頃遊んだ友達のようなもう二度と会うことのない人でも、ふとした瞬間に思い浮かぶことがあるだろう。作中でも、誰かが誰かのことを思っている。親、兄弟、友達、好きな人、恩師、教え子。良い感情ばかりではない。憎しみの中でしか思えない人もいる。けれど人を思うことに変わりはない。この小説を読んでくださった方が、登場人物の誰かに思いを馳せてくれたら、それもまた人を思うことなのだ。

 さて、毎回題名には一苦労する私だが、今作は珍しくすんなりと決まった。小さい頃から耳にしていた、母の口癖から取ったのだ。私が「ひとりで行くの嫌だなあ」とか「もし私ひとりだったらどうしよう」などと言うと、お決まりのように母から返ってくる言葉が「太陽は、いつもひとりぼっちだ」だった。だから長いことこれは母のオリジナルの言葉だと思っていたら、古い映画のタイトルからの引用であった。それを知ったのは、この小説を書き終えたあとだった。同名の映画を観た方も観ていない方も、鈴木るりか版の『太陽はひとりぼっち』も楽しんでいただけたら、と思う。

鈴木るりか(すずき・るりか)

2003年東京都生まれ。小学四年、五年、六年時に3年連続で小学館主催の「12歳の文学賞」を受賞。2017年のデビュー作『さよなら、田中さん』は10万部を超えるベストセラーに。2018年に連作短編集『14歳、明日の時間割』を刊行。現在、都内私立女子高校一年生在学中。

書影
『太陽はひとりぼっち』
〈「本の窓」2020年1月号掲載〉
本の妖精 夫久山徳三郎 Book.66
物語のつくりかた 第18回 君塚良一さん(脚本家)