滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 第3話 マネー・ア・ラ・モード③
イレーネの弟たちにも
お金と家族の悩みがあることが判明して──。
1代で富を築き上げたお父さんは、子供たちにも何とか自立して自らの人生を切り開いていく力を身に付けてほしいと発破をかけたらしいが、それは子供たちの反感を買うだけだった。元々お金があるから、働けなんて言われても、だれも働く動機なんか持てやしなかったのだ。イレーネからは、若かったころ、お父さんが無理に自活させようとしたから、生活費を稼ぐのに忙しくて、書きたいものも書けずに終わってしまったという話を何度聞いたことか知れやしない。イレーネには言っていないのだけれど、でも、ほんとに書く気があったら、そして、ほんとに書くのが好きだったら、何があっても書いていたはずだから、それは口実に過ぎないと思う。なぜなら、子供たちもみな若いといえない年になって、今ではもうお父さんも折れ、イレーネたちにスネかじりさせているのだけれど、イレーネは、だから書いているかというと、そうでもなさそうだから。お父さんに「住んでもいないし、住む予定もないアパートは引き払いなさい」と言われても、アメリカにあるアパートを手放そうとしないのは、それが「とてもスピリチュアルな場所で、最もクリエイティブになれる場所だから、どうしても必要」だからだった。イレーネは、大西洋の向こうの、もう何年も行っていないアパートを手放せば創作欲が枯渇してしまうと心配しているのだった。
石畳の通りのカフェで、潮風が吹き抜けるバルコニーで、イレーネといっぱい話して、そして話せば話すほど、イレーネが、もっとわからなくなっていった。クジ引きでミケーレが相続することになった両親の家を、すでに3つも住みかがあるのに、それにそもそもミケーレはイレーネの部屋をそのままにして、いつでも出入りできるようにしてくれるはずなのに、なぜ欲しがるのか、とか。たった1人しかいない姪(めい)を、「プライバシーが欲しいから」と、なぜ相続したマンションのビルから追い出そうとしているのか、とか。ひとりきりで、なぜそんなにたくさん住む場所が必要なんだろう?
ずっとべったりいっしょに過ごしているうちに、イレーネにとって、ものはもの以上の価値があるということがわかっていった。物理的に存在するものが、形が、たいせつなのだった。
生まれたときからたくさんのものが与えられていたから、ものがないと不安になるのかもしれないし、逃げてしまいそうな何か、物理的に存在しない何かをものによってつなげておきたい心理がはたらくのかもしれない。いくら美人で聡明でお金持ちでたくさんのものを持っていても、当然すぎるほど当然なのだけれど、恵みを恵みと見なすことがなければ、恵みは恵みではないということを、イレーネはことばなしに教えてくれた。
生まれは自分で選べないけれど、裕福な家庭に生まれるということは、なかなか不幸なことだ。生まれたときから、小指1本上げないでも食事が用意され、運ばれてくる生活をして育ったなら、自分で野菜を切るとか、コーヒーをいれるとかいった何でもないことまでが大層な作業になってしまう。贅沢はたまにするから贅沢なのであって、それが日常だと楽しめなくなるし、小さなことが喜びをもたらさなくなってしまう。お金がたくさんあるから、ものがよりおいしく食べられるわけでもなく、おそらくはその反対で、お金持ちというのはけっこう大変な仕事である。
それにしても、人生は何でまたこうも皮肉なのだろう、大学院時代の友人、フィリップの妹のジェンナが付き合っているディーンは、金融業を営んでいてとてもお金持ちで、そして、やりがいのある仕事に勤(いそ)しんでいるから、もう完璧かと思いきや、なかなかそういうわけにもいかず、お金がもたらす厄介な問題がある。
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