倉橋由美子の衝撃作『夢の浮橋』が復刊!スワッピング、近親相姦……「桂子さんシリーズ」第1作
夫婦交換遊戯(スワッピング)を核としているセンセーショナルな物語、『夢の浮橋』。そんな倉橋由美子作品の後期を代表する「桂子さんシリーズ」の、記念すべき第1作が、P+D BOOKSより待望の復刊。翻訳家の古屋美登里氏が、作品の魅力を熱く語ります。
流麗な文章で、端正に構成されながらも、夫婦交換遊戯(スワッピング)を核としているセンセーショナルな物語、『夢の浮橋』。
そんな倉橋由美子作品の後期を代表する「桂子さんシリーズ」の、記念すべき第1作が、P+D BOOKSより待望の復刊となりました。
互いの伴侶を取り替えるという、いかにも扇情的なテーマを扱っていながら、
優雅に、慎み深く語られる内容は、読む者を強く惹きつける魅力に溢れており、古典文学の名作の色香も見え隠れする深みに満ちています。
倉橋由美子は、『パルタイ』、『聖少女』、『大人のための残酷童話』など多彩な作品を残し、『星の王子さま』の翻訳を手掛けたことでも知られ、幅広い文筆活動を行いましたが、2005年6月、69歳で逝去。
現在でも、川上弘美や桜庭一樹など多くの作家がファンを公言するなど、多くの“倉橋マニア”が存在する昭和を代表する女性作家の一人です。
高校時代にファンレターを書いたのがきっかけで、生前の倉橋と親しく交流を重ねた翻訳家の古屋美登里氏が、『夢の浮橋』について、倉橋作品の魅力を熱く語ります。
自宅にて愛犬EDDYと戯れる、在りし日の倉橋由美子
自由な世界を開く 古屋美登里
倉橋由美子は高知県に生まれ、明治大学大学院在学中の一九六〇年一月に「明治大学新聞」主催の小説コンクールで学長賞を受賞した。六〇年安保の最中に生まれたこの短篇小説「パルタイ」は、選者を務めた文芸批評家平野謙の推薦で「文學界」(一九六〇年三月号 文藝春秋)に転載され、これによって倉橋は一躍時代の寵児となり、以後次々に短篇を文芸誌に発表していく。さらに、文学論争にまで発展した鮮烈な長篇小説『暗い旅』(一九六一年 東都書房)や野心的な作品『スミヤキストQの冒険』(一九六九年 講談社)を上梓する。
そして、一九七〇年七月号から中央公論社の文芸誌「海」で連載が始まったのが本書『夢の浮橋』である。冒頭の一行から、その優美な文章にたちまち魅了される。これは裕福な家庭に生まれた女子大生牧田桂子とその恋人宮沢耕一と、ふたりを見守る大人たちの物語であり、七〇年安保という騒々しい時代のなかで、登場人物たちはそうした騒音に気を取られずに、むしろ喧しいからこそ、優雅な生活を送る。これはこの時代に対する倉橋の姿勢が示されている。谷崎潤一郎が戦時中でも『細雪』の執筆を止めようとしなかった意思の強さと同じものを、ここに見て取ることができる。
後になって、桂子さんの人生をたどるようにして三つの長篇が書かれる。三十代になり、たおやかな母親となった桂子さんが宗教の問題と取り組む『城の中の城』(一九八〇年 新潮社)、戦争の音が聞こえるなか、六十代の桂子さんが宴を催し、美酒と豊かな会話を楽しむ『シュンポシオン』(一九八五年 福武書店)、そして四十代の女盛りの桂子さんが官能的で高貴な世界を自由に往来する『交歓』(一九八九年 新潮社)。この四つの物語では、大人たちは現実社会に左右されずに高雅な遊びを繰り広げる。倉橋はこうした作品で、いまでは死語になりつつある「教養」と「文化」に根ざしたひとつの文明の形を造り上げようとしたのである。
本書は一九七三年に文庫化されたが、そのときに解説を担当した批評家の佐伯彰一は、「典雅なロココぶりと、放埒なバロックぶりとが、背中合わせにはりついている小説である」と述べ、「夢の浮橋」というタイトルが『源氏物語』の最後の巻から取られたことを指摘し、そのうえで藤原定家の歌「春の夜の夢の浮橋とだえして嶺にわかるゝよこ雲のそら」のほうが小説の雰囲気と「ぴったり重なり合う」と主張している。二〇〇九年に文庫が復刊された際の解説は、プルースト『失われた時を求めて』(光文社古典新訳文庫)の個人訳を刊行している仏文学者高遠弘美である。高遠はこのタイトルについて、先のふたつに加え、谷崎潤一郎の小品「夢の浮橋」(一九五九年)の内容からの影響があったことにも触れている。その他にも、両氏の卓越した解説には教示されることが多い。
『夢の浮橋』の魅力を数えあげれば切りがないが、まずはその美しい文章である。
創作においては、何を書くかということよりいかに書くかということのほうに頭を使う、と倉橋はたびたび述べている。そしてその方法にとって欠かすことができないものが文体である。初期に積極的に取り入れていた海外文学の硬質で鋭利な翻訳文体は、やがて理知的で優美な流れるような文体へと変化していく。その礎にあるのが『源氏物語』であり、川端康成、谷崎潤一郎、吉田健一などの諸作品ということになる。さらに言えば、泉鏡花や内田百閒の作品も加わってくる。
次に挙げる魅力は、スワッピング(夫婦交換)と近親相姦という、一種センセーショナルな事柄を官能的な行為として、さらには神々しい行為の象徴として高めている点である。こうした考え方は『反悲劇』(一九七一年 河出書房新社)などにも反映されているが、登場人物が自由な精神によって人間の範疇を超えることで、あらゆることが可能になる世界を描き出したともいえる。もっとも、倉橋はスワッピングについて、「『カップルズ』というアプダイクの小説には余り感心しなかったので、これとは別の優雅で腐敗した関係を書いてやろうと意気込んだことはあるかもしれない。それにしてもswappingなどということは、妄想してみる限りではわかるような気もするが、実際に書くとなると、いささか想像力の限界を超えているのを感じる」(『倉橋由美子全作品8(一九七六年 新潮社)』の作品ノート)と述べている。
倉橋由美子がジェイン・オースティンの作品をこよなく愛していたことは有名で、小説やエッセイなどで繰り返し触れている。本書では桂子さんがオースティンを卒論に選び、『城の中の城』ではオースティンの『高慢と偏見』の続篇がイギリスの作家の手によって書かれ、それを翻訳しているという設定になっている。
一九七二年九月に出版された筑摩世界文学体系33『オースティン ブロンテ』の「月報」に、倉橋は「小説のお手本」という文章を寄せた。ここには、倉橋にとってよい小説とはどのようなものか、ということが具体的に書かれている。
「オースティンの小説を読むと、どこかモーツァルトを聴いた時の気分に似たものを感じる。よい時代の、というのは十八世紀のヨーロッパの完成された優雅がそこにあるので、大袈裟なことをいえばここからあとはなくてもよいような気分になる」。「(十八世紀には)時代の観念に酔う必要がないまでに成熟した人間がヨーロッパに出てきたので、これを別の言葉でいえばひとつの文明が成立したということになる。オースティンがその小説に描いたのがそれで、そこには人間しかいない。あるいはその人間の付合いがつくっている世界しかなくて、これに改めて優雅その他の形容を加えるのも実は余計なことである」
『夢の浮橋』を描くときに作家の念頭にあったのはこのことだったのではと推察される。桂子と耕一との関係、そして桂子とその夫となる山田の関係は、まさに「成熟した人間」であることを示している。
桂子さんという人物を生み出したことで、倉橋の創作世界は一挙に広がった。この後、桂子さんを異界へ送り、新しい官能的な経験をさせる短篇を立て続けに発表している。『夢の通い路』『幻想絵画館』『完本 酔郷譚』などには、夢と現実を、生と死を、此岸と彼岸を隔てる壁や境が消滅し、そこを自由に往還する人々が描かれる。その結果、読者の精神と意識は高度な自由を享受することになる。(翻訳家)
古屋 美登里
Midori Fruya
翻訳家。著書に『雑な読書』(シンコーミュージック)。訳書にダニエル・タメット『ぼくには数字が風景に見える』(講談社文庫)、デイヴィッド・フィンケル『帰還兵はなぜ自殺するのか』『兵士は戦場で何を見たのか』(以上亜紀書房)、エドワード・ケアリー『望楼館追想』(文春文庫)、アイアマンガー三部作『堆塵館』『穢れの町』(以上東京創元社)、M・L・ステッドマン『海を照らす光』(ハヤカワepi文庫)、イーディス・パールマン『双眼鏡からの眺め』(早川書房)などがある。
おわりに
古屋美登里氏が語る、倉橋作品の世界は如何でしたでしょうか?
『夢の浮橋』はP+DBOOKSから絶賛発売中です。
また、「桂子さんシリーズ」の続編も後日発売予定ですので、乞うご期待ください。
『夢の浮橋』
若い男女とその両親たちの“夫婦交換遊戯”
大学で知り合い愛し合うようになった一組の若い男女。だが、期せずして自分たちの両親が、夫婦交換遊戯を長年にわたって続けてきたことに気づいてしまう。結婚を夢見る男女と、一方で両親たちが繰り広げる艶麗な恋愛譚を通じ、生涯“物語文学”を追求し続けた倉橋由美子が、古代神話、源氏物語等の系譜を織り込んだ意欲作。倉橋文学後期を代表する「桂子さんシリーズ」の第一弾。
イベントのお知らせ:「永遠の倉橋由美子 vol.1」~『夢の浮橋』の復刊と電子書籍の刊行を記念して~
2005年に他界した作家倉橋由美子。その代表作のひとつ、『夢の浮橋』が小学館のP+DBOOKSから刊行されました。その記念として、「永遠の倉橋由美子」をテーマに、朗読とトークを交えたイベントをおこないます。 表題を『源氏物語』から取ったこの作品は、オースティンの『高慢と偏見』のように多彩な登場人物とその行動を織り交ぜながら、才色兼備の桂子さんが自分にふさわしい伴侶を得るまでを描いた物語です。水のごとく流れる文章、言葉のひとつひとつに宿るイメージの美しさ、的確で豊饒な表現、凜とした世界の広がり、読者をじらせながら妖艶な世界に誘いこむ巧みさ――そうした魅力を読み解き、味わう一夜です。 これまでも倉橋作品をたびたび朗読してきた女優の村岡希美さんと、作品の復刊に尽力してきた翻訳家の古屋美登里さんのトークと作品の朗読を是非お楽しみください。
日 時◆2017年9月22日(金) 19:00開演/18:45開場
詳 細◆https://www.kinokuniya.co.jp/c/store/Shinjuku-Main-Store/
会 場◆紀伊國屋書店新宿本店8階イベントスペース
参加料◆500円
受 付◆9月2日(土)午前10時より店頭またはお電話にてご予約を受付いたします。(先着50名様)
ご予約電話番号:03-3354-5702
新宿本店2階売場直通(10:00~21:00)
※当店に繋がる他の電話番号にかけられてもご予約は承れませんのでご注意下さい。
※間違い電話が頻発しています。上記の電話番号を今一度お確かめの上お掛け下さい。
※イベントに関するお問い合わせも、上記の電話番号までお願いいたします。
★プロフィール★
村岡希美(むらおか・のぞみ)
東京都出身。劇団「ナイロン100℃」に所属。劇団の中心的女優として活動するほか、映像作品へも数多く出演。2012年より倉橋由美子作品「大人のための残酷童話」や「ポポイ」などのリーディング公演を企画し、倉橋作品の魅力を伝えている。主な出演作に、舞台『鳥の名前』『キネマと恋人』『娼年』、映画『岸辺の旅』『凶悪』、ドラマ『PTAグランパ!』(NHKBS) 『花子とアン』(NHK)などがある。
◆注意事項◆
・参加料500円はイベント当日、会場にてお支払いいただきます。(お支払い方法は現金のみとさせていただきます)
・イベント会場は自由席となります。開場時間よりご入場いただいた方からお好きな席にお座りいただけます。
・イベント会場での撮影・録音は固くお断りします。
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・当日はマスコミの撮影が入る可能性がございます(会場後方より撮影)。撮影した映像は、後日プロモーションに使用させていただく場合がございますのであらかじめご了承くださいませ。
・イベントの出演者・内容については急な変更等ある場合がございます。予めご了承下さい。
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初出:P+D MAGAZINE(2017/09/02)